第4話 お嬢様、お隣に座る
「……はあ。どうしてこうなったんだ」
週明けの月曜日。聖鳳高校2年B組の教室で、康太は机に突っ伏して溜息をついた。
隣の席には、先週まで空席だった場所に不自然なほど気品を振りまく美少女――神代凛が座っている。
「おはよう、佐藤君。そんなに嫌そうな顔をしないで。あなたの『監視』と『保護』。これは私の義務なの」
凛は澄ました顔で教科書を開くが、その周囲には黒スーツの男たちが廊下に三人、窓の外(校庭)に二人配備されている。明らかに異常事態だ。
「神代さん、監視はいいけど、せめてSPの人たちは下げてよ。授業に集中できない」
「無理よ。昨日の『深海ピクニック』の動画が、健さんのせいで闇サイトにまで流出しているわ。今、あなたの首には数十億の懸賞金がかかっていると思ってちょうだい」
「え、マジで!?」と後ろの席で健がスマホを片手に飛び起きた。
「やったぜ康太! お前の技術、ついに世界を敵に回したな!」
「喜ぶなよ……」
康太が呆れ顔で応じると、凛は手元のタブレットを叩きながら深刻な表情を崩さなかった。
「笑い事じゃないわ。あなたの技術はもはや、一企業の利益を超えて、国家の勢力図を塗り替えるレベルなの。他国の諜報機関や手段を選ばない過激派が動かないはずがない……」
「神代さん、そんなにカリカリしないでよ。ほら、今日は暑いからさ、これを使ってみて」
康太はカバンから、市販の『ハンディファン(携帯扇風機)』を取り出した。しかし、本来あるはずのプラスチックの羽根は取り払われ、代わりに青く透き通った六角柱の結晶が埋め込まれている。
「……何よ、その扇風機の成れの果ては」
「『空間冷却式・次元クーラー』。大気中の熱エネルギーを別の次元にパージする術式を回路に焼き付けたんだ。ボタンを押せば、半径五メートル以内の温度が設定した22度で固定されるよ。湿度管理も自動だから、梅雨のジメジメも関係ない」
康太が親指でスイッチを入れる。
その瞬間、湿気がまとわりついていた重苦しい校舎裏の空気が、まるで高原の朝のような清々しさに一変した。風が吹いているわけでもないのに、空間そのものが「冷えて」いる。
凛は箸を止めた。肌をなでる空気の質感に、彼女の論理的な思考が悲鳴を上げる。
「……っ、冷気がどこからも出ていないのに空間全体が冷えている!? 熱力学の第二法則が泣いてるわよ、佐藤君!」
「科学にこだわりすぎだよ。涼しければいいじゃん」
康太が当然のように答えたその時、校舎の塀を乗り越えて、数人の男たちが音もなく着地した。
全員がタクティカルベストを着用し、顔をバラクラバで隠している。その手には、おもちゃではない本物の自動小銃が握られていた。
「――動くな。神代の令嬢、およびターゲットの佐藤康太」
男たちのリーダー格が冷徹な声で告げる。凛のSPたちが即座に反応しようとしたが、男たちが放った特殊なスタングレネードが炸裂し、プロのガードマンたちが一瞬で無力化された。
「……民間軍事会社? それとも、どこかの国の特殊部隊?」
凛の声が震える。彼らは、昨日の深海での映像を見て『拉致』を強行しに来た実力行使部隊だ。
「佐藤康太。貴様の技術は、一個人が持っていいものではない。我々の組織で、人類のために役立ててもらう。……抵抗すれば、隣の少女の命はないぞ」
銃口が康太の眉間に突きつけられる。しかし、康太はハンディファンを持ったまま、不思議そうに男を眺めていた。
「あ、その銃。最新のやつだね。でも、火薬で鉛の弾を飛ばすなんて、ちょっと危ないし原始的だよ」
「……何だと?」
「ちょうどいいや。この『空間冷却』の出力を、少しだけ『指向性』を持たせて絞ってみるから」
康太はハンディファンの設定ダイヤルを限界を超えて回し、銃口を向けてくる男たちに向けた。
「……あ、これ、絶対零度まで下げるとどうなるんだっけ」
瞬間、音も熱も消失した。
男たちが引き金を引くよりも早く、彼らの周囲の『空気』そのものが固体へと相転移し、真っ白な霧が立ち込める。
「なっ……がはっ……!?」
男たちが持っていた自動小銃は、極低温によって金属結合が脆化(ぜいか)し、まるでガラス細工のようにパリンと砕け散った。それだけではない。男たちの衣服や装備が瞬時に凍りつき、彼らは『物理的に』一歩も動けない氷の彫像へと変えられた。
「……あ、やりすぎた。一応命に別状はないようにしたけど、解凍には時間がかかるかな」
「…………え?」
凛は、手元で粉々になった最新鋭の銃火器と、カカシのように固まったテロリストたちを見て絶句した。
「君たちの装備、面白いね。でも効率が悪いよ。もっと小型の重力偏向シールドとかを服に編み込めば、こんな危ない真似しなくて済むのに」
康太は、腰を抜かした男たちを放置して、溶け始めた自分の弁当を心配そうに覗き込んだ。
静まり返った校舎裏。凛は、砕け散った鉄屑を拾い上げ、震える声で呟いた。
「佐藤君。……決めたわ。今週末、あなたが住むための『空飛ぶ家』を作りましょう。地上にいたら、私の心臓と世界の平和が持たないわ」
「え、空飛ぶ家? 面白そうだね。ついでに宇宙まで行けるようにしとく?」
康太の何気ない一言で、人類の宇宙進出は数百年単位で前倒しされることが決定した。
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