第2話 天使の降臨と壊れた物理法則
「……なあ、康太。これ、本当に大丈夫なんだよな?」
文化祭当日の朝。演劇部の部室で、工藤健は目の前にある『衣装』を指さして震えていた。
それは、どこにでもある白いワンピースに、康太がガレージから持ってきた『謎の銀糸』で刺繍を施し、背中にプラスチック製の翼を付けただけのもの……に見えた。
「大丈夫だよ。要は重心移動をセンサーが読み取って、微弱な浮揚フィールドを発生させてるだけだから。ほら、セグウェイの空中版みたいなもんさ」
「お前の『だけ』は、政治家の『検討します』より信用できねーんだよ!」
健が叫ぶのも無理はない。康太が持ってきたこの衣装は、ハンガーにかけられている今も、重力に逆らってわずかに浮き、空気の流れに合わせてゆらゆらと漂っているのだ。
康太は気にせず、演劇部のヒロイン役の女子生徒に声をかけた。
「これ、着てみて。スイッチは胸元のブローチ。強く念じれば高く浮くし、歩くつもりで足を動かせば空中で進めるから」
「え、ええ……。わかったわ、康太君」
半信半疑の彼女が衣装を身に纏い、スイッチを入れた瞬間。
部室の空気がピリリと震え、彼女の体がふわりと地面から三十センチほど浮き上がった。
「キャッ! ……あ、あれ? 怖くない。まるで水の中にいるみたい……」
「成功だね。一応、その生地には『絶対防汚』と『自動体温調節』の術式――じゃなくて、特殊加工を施してあるから。どんなに動き回っても汗をかかないし、転んでも怪我一つしないよ」
康太は満足げに頷いた。彼が昨日、徹夜で布に刻んだのは異世界の『加護の法陣』。
もはやそれは服ではなく、物理攻撃を無効化し、環境の変化から着用者を守る最強の『防護服』と化していた。
そして、演劇の舞台が始まった。
体育館を埋め尽くす生徒、保護者、そして近隣の住民たち。
クライマックス。絶望に打ちひしがれる主人公の前に、空から救いの手が差し伸べられるシーン。
「……あ、見て!」
「ワイヤーが見えないぞ? どうなってるんだ?」
観客がどよめく。
舞台袖から飛び出した天使役の彼女は、ワイヤーに吊られる独特の不自然さが一切なく、まるで鳥のように優雅に、体育館の天井近くまで駆け上がったのだ。
彼女が空中で一回転するたびに、衣装の銀糸が光を反射して、幻想的な光の粒子を振りまく。
それは演出用のスモークでも照明でもない。康太が組み込んだ『大気中の魔素を光に変換する』副産物だった。
「す、すげえ……。今のプロジェクションマッピングか何かか?」
「いや、本物の光だぞ! おい、誰か動画撮ってるか!?」
会場のあちこちでスマホが掲げられる。
康太は体育館の隅で、ポップコーンを食べながらその光景を眺めていた。
「うん、いい感じだ。あの光の出力なら、バッテリーも最後まで持つだろうな」
「……康太、お前、本気で言ってるのか?」
隣で健が、顔を引きつらせてスマホの画面を見せてきた。
「見ろよ、これ。SNSで『聖鳳高校の天使』ってワードが速攻でトレンド入りしてる。しかも……これを見てるヤツらの中に、マズい奴らが混じってるみたいだぞ」
健が指した画面には、海外の航空宇宙メーカーの技術者や、物理学の権威を名乗るアカウントの投稿が並んでいた。
『この浮遊、ジャイロ効果や磁気浮上では説明がつかない』
『加速の際、慣性Gが発生していないように見える。慣性制御が実現しているのか?』
『フェイク動画でなければ、これはノーベル賞どころの騒ぎではない』
「……みんな大げさだなあ」
康太が苦笑した、その時だった。
「――大げさではありません。あなたのしたことは、現行の物理学への宣戦布告ですよ」
涼やかな、しかし背筋が凍るような冷たさを孕んだ声がした。
振り返ると、そこには豪華な制服に身を包んだ、凛とした美少女が立っていた。
彼女の後ろには、黒塗りのスーツを着た体格の良い男たちが二人、壁のように控えている。
「神代……。神代財閥の、神代凛?」
健が息を呑む。
神代財閥。日本のインフラから軍事、宇宙開発までを牛耳る超巨大ゼネコンの令嬢が、なぜこんな地方の高校の体育館にいるのか。
「佐藤康太さん。あの衣装の作成者を探していましたが、まさか同級生だったとは」
凛は鋭い視線で康太を射抜いた。彼女の手元のタブレットには、康太が昨夜ゴミ捨て場で拾ってきた「ガラクタ」でルンバを改造している様子が映し出されていた。
「あなたの技術、我が神代財閥が保護させていただきます。――いいえ、正確には『回収』と言ったほうが正しいかしら。放置すれば、一週間以内にあなたは他国の情報機関に拉致されるでしょうから」
康太は首を傾げた。
「回収? いや、これ趣味なんだけど。それより、あの衣装、返してもらわないと困るよ。母さんのルンバのパーツを流用してるんだから」
凛の目が点になった。
「……ルンバ? 世界を根底から変える重力制御技術を家庭用掃除機のパーツで?」
彼女は額に手を当て、深い溜息をついた。
この少年に『常識』を説くのは、石に説法を説くより難しそうだと悟ったからだ。
「いいでしょう。ならば、あなたの『やりたい放題』に、私が責任を持って『理由』をつけてあげます。その代わり、あなたの力を見せなさい。……まずは、そうね。私の父が難航させている、海底トンネルの掘削現場なんてどうかしら?」
康太の目が輝いた。
「海底? 面白そうだね。ちょうど深海でも壊れない素材のテストをしたかったんだ」
康太の無自覚なオーバーテクノロジーが、ついに世界という舞台に引きずり出された瞬間だった。
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