時の実体化
s
時の実体化
※起動条件:視覚的に一粒ずつ落下する砂を想像すること。
博物館の収蔵庫。
机の上に、登録待ちの小物。明日は棚卸しが行われる。
未登録は「存在しない」扱いになる。
今夜のうちに分類を決めて、目録を埋める必要がある。
登録画面を開いて、寸法を測り、材質を推定し、分類を選び、番号を振り、備考に必要なことだけを書く。必要なことだけ。余計な感情や詩は要らない。そう言い聞かせる。
箱を開けると、中から出てきたのは、砂時計だった。
大きさは、手のひらに収まる程度。どこにでもありそうな砂時計。
画面から分類の項目を開く。
砂時計。時計。寸法。材質。用途。——入力は終わるはずだった。
指が止まる。
時計って…何だ。
考える必要はない、と言いながら、もう考えている。
時計は、時刻か経過を示すもの。
時刻を示していない。
経過を示す目盛りもない。
これを時計と呼べるのか。
私は一度、砂時計を時計ではない前提で考えてみることにした。
名前のせいで結論が決まってしまうのが嫌だった。
「砂時計」という単語から、時計を剥がす。
残るのは、ガラスの器と、木の枠と、砂と、落ちるという現象。
時計じゃないとしたら、何になり得る。
美術品か。
だとしたら、何を表現しているのか。
時。だろう。
時をどう表現しているか。
砂が落ちる。たったそれだけ。
砂の落下が時間を表現している。
そう書けば、備考欄は埋まる。私は次に進める。
しかし「表現」という語が、口の中でざらつく。
表現。
そこには人工の匂いが付く。
だが、砂は重力があれば落ちる。
そこに試みはない。
表現なら、意図がある。
思考のピントをずらす。
「砂が時間を表現している」という解釈を捨てる。
目の前の現象だけを見る。
砂が落ちる。一粒、また一粒。
一粒落ちるたび、思考の区切りが勝手に打たれる。
一粒=一秒。
脳が単位を当てはめる。
その仮定を置いた瞬間、ガラスの中の景色が一変した。
——一秒という概念そのものが、ここにある。
落ちるそれが「一秒」に見えた瞬間、概念が現象に縫い付けられる。
一秒が、落下という現象となる。
私は画面から目を離して、砂時計を持ち上げる。
くびれを見る。
粒が落ちる道を見ようとしているのに、見えているのは道ではなく成立だった。
時計とは、時間を指すものだ。
だがここでは一秒が指されるのではなく、一秒が起きている。
発生してしまっている。
それは自然現象だった。
現象が、たまたま一秒という概念と縫い合わさってしまっている。
人間が縫ったのではない。縫い目を見つけてしまっただけだ。
その瞬間、私の中に一つの映像が立ち上がった。
誰かが最初にそれを見つけた。
砂が落ちる。
それを見た人間が、何かを理解したわけではない。
時間が、現象のように起きてしまう。
ただ、そう見えてしまった。
その人間は、震えながら、両手でそれを包んだ。
そして、割れ物のように、ガラスの器にそっと隔離した。
世界に現れてしまったそれを、世界から切り離した。
砂時計に作者はいない。
いるのは、発見者と隔離者だけ。
私はいま、分類をしているのではなく、隔離をしようとしているのだと気づいた。
「これはここに置くべきだ」という場所決めは、「これはここに隔離しておくべきだ」という隔離の手続きでもある。
私はもう一度項目を開く。
「時計」と「美術品」の間で指が迷い、最後に「その他」を選ぶ。
続けて、備考欄にカーソルを置く。
私はそこに、必要なことだけを書いた。
【備考】
一粒を一秒と仮定したとき、本品は「時計」としての機能を喪失する。
ここにあるのは時間の計測ではなく、時間の「発生」である。
概念上の一秒が、物理的な落下現象として実体化している。
本品は、自然界に開いた「時間が湧き出す穴」を、ガラスで隔離した標本である。
書き終えた瞬間、その文章が説明ではなく手順になったのが分かる。
私は備考欄を、伝染のために使ってしまった。
タイトル欄に「砂時計」と入力して、止まる。
私は迷った末に、こう打った。
時の実体化(砂時計)
考えてしまった瞬間、もう戻れない。
ラベルを貼り、棚に戻す。
棚の中に入ったのは物で、棚の外に残ったのは手順だ。
私は机に戻る。残りの小物を処理する。寸法、材質、分類、備考。必要なことだけ。
入力のキーが沈むたび、ここにも一秒が発生してしまう気がした。
備考欄の一文が
頭蓋の内側で口を開く。
一粒=一秒。
一秒が発生してしまう。
表現ではない。発生だ。
作者はいない。発見者が隔離した。
作業は終わる。
収蔵庫の灯りを落とす前に、私は棚の方を一度だけ見る。
そこにあるのは砂時計だ。
そう思おうとする。
けれど思おうとした瞬間に、「砂時計」という名前が剥がれてしまう。
残るのは、時間が起きてしまった地点。
そしてそれを閉じ込めてしまった器。
私が書いた備考欄の一文は、読む誰かの思考を、同じ手順で起動するためのものだ。
起動を確認。
時の実体化 s @kelpie07
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます