第九回:『電脳侵食と、氷の微笑(システム・エラー)』

「がはっ……!? クソ、腕が……勝手に!」


最前線で立ち回っていた藤吉郎が、突如として苦悶の声を上げた。彼の自慢の義手『金剛腕』が、意志に反して不規則な火花を散らし、背後の味方兵をなぎ払おうとしている。


異変は彼だけではなかった。織田軍の機巧足軽たちが次々と動きを止め、あるいは奇声を上げながら同士討ちを始めたのだ。


「葵殿、板を見ろ! 何かが入り込んでおるぞ!」 果心居士が叫ぶ。葵の手の中にあるスマホの画面は、どす黒い赤色に染まり、見たこともない文字列が高速で書き換えられていた。


[MALWARE DETECTED: 'MAMUSHI-VIRUS'] [ACCESSING ODA-NETWORK... OVERWRITING COMMANDS] [SYSTEM CRITICAL: 78% INFECTED]


「ウイルス……? 嘘、この世界の生体魔導が、私のスマホに感染してるっていうの!?」


葵はパニックに陥りながらも、画面を必死にスワイプする。しかし、操作は一切受け付けない。それどころか、スマホから伸びた青白い光の糸が、葵の指先にまで絡みつこうとしていた。


「それが父上の愛、『蝮の毒』ですわ」 濃姫が、銀色の触手をゆらりと揺らしながら近づいてくる。彼女の瞳には、プログラムされた冷徹な光が宿っていた。 「あなたの『未来の力』はあまりに強大で、あまりに無防備。父上のウイルスに飲み込まれ、織田の軍勢をその手で滅ぼすがいい」


「……ふん、小癇(こせがれ)た真似を」 信長が前に出る。だが、彼の魔導長銃もまた、ウイルスによる干渉を受けて銃身が赤く熱し、暴発寸前だった。


「信長さん、離れて! スマホが……爆発する!」


葵の叫びを無視し、信長は力任せに葵の手を掴み、そのまま彼女を自分の方へと引き寄せた。


「葵、思い出せ。その板は貴様の何だ」


「何って……ただの、スマホだよ……!」


「違う。それは貴様の『意志』を写す鏡だと言ったはずだ。理屈で勝てぬなら、貴様の『魂』で押し通せ!」


信長は躊躇なく、魔導長銃の引き金ではなく、銃身に刻まれた緊急排熱用のレバーを葵のスマホに叩きつけた。物理的な衝撃と、信長自身の圧倒的な「覇気(霊力)」が、ウイルスに汚染された回路に強制介入する。


その瞬間、葵の脳裏に「現代」の記憶がフラッシュバックした。 友達との通話、SNSの喧嘩、パスワードの入力、そして……。


(……そうだ、ウイルスなんて、アンチウイルスで消せばいいだけじゃない!)


葵は覚悟を決め、指先に絡みつく光の糸を逆手に取った。 「AMATERASU! 私の全アプリの権限を解放……『初期化(リセット)』じゃない、『強制クリーンアップ』を実行して!」


[OVERRIDE ACCEPTED: AOI KANNAGI] [EXECUTING PROTOCOL: EXORCISM (SAI-NO-KAWAGRA)]


スマホから、先ほどまでの黒いノイズを打ち消すような、清浄な白銀の光が放たれた。神凪神社の巫女としての血が、無意識にデジタルな術式と共鳴する。


「……っ!? 毒が、消されていく……?」 濃姫の表情が初めて崩れた。彼女とリンクしていた生体機巧兵たちが、糸の切れた人形のように次々と機能を停止していく。


[CLEANUP COMPLETE: 0% INFECTED] [COUNTER-HACKING... TARGET: NOHIME]


「お返しだよ、学姐さん……じゃない、濃姫さん!」


葵が画面を強く叩くと、スマホから放たれた衝撃波が濃姫の触手を次々と焼き切った。


「見事だ、葵」 信長は熱を帯びた長銃を再び構え、倒れ込む濃姫の喉元に突きつけた。 「さて……道三の隠し場所を吐いてもらおうか。それとも、その美しい体ごと、未来の屑(データ)にしてやろうか?」


美濃の深い森に、ウイルスを焼き払った後の、静かな電子音が響いていた。

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