第七回:『鉄の雨と、魔王の契約』
雨音と、焦げたオイルの臭いが鼻をつく。 城内を埋め尽くしていたあの異常な紫の光が消え、耳の奥で鳴り続けていた嫌なノイズもようやく収まった。
葵は床に膝をついたまま、手の中のスマホをじっと見つめていた。 画面は漆黒だ。あんなに熱を帯びていた筐体は、今はもう、ただの冷たい板切れに過ぎない。
「……あいつ、何だったのよ」
「未来から来た刺客、といったところか」 信長が血のついた長銃を肩に担ぎ、悠然と歩み寄ってくる。板張りの床を鳴らす足音はやけに重く、葵の鼓膜に直接響くようだった。 「葵、貴様が持っておるのは、単なる便利な道具ではないらしいな。奴らはそれを『禁忌』と呼んだ」
「禁忌……」 葵は、先ほどの「カスミ」という少女の冷徹な目を思い出す。あいつは「帰してあげる」と言った。でも、その言葉の裏には、自分を人間としてではなく、壊れた部品か何かのように扱う冷たさがあった。
「お嬢さん、顔色が真っ青だぜ。腰が抜けちまったか?」 藤吉郎が、カチカチと音を立てる機械の指で葵の肩を叩いた。その感触はどこまでも硬く、ここが自分のいた新宿や渋谷ではないことを、嫌というほど突きつけてくる。 「ま、あんな化け物じみた小娘を追い払ったんだ。今は勝ち鬨を上げようじゃねえか」
「そんな気分じゃないよ……」 葵はフラフラと立ち上がり、汚れたスカートの砂を払った。 信長の目は、優しさなんて微塵もなく、ただ葵という「利用価値のある存在」を冷酷に値踏みしている。
「果心」 信長の呼びかけに、部屋の隅で壊れた機巧をいじり回していた老人が顔を上げた。 「はっ。既に手は打っております。あの小娘が残した『未来の残り香』を、老夫の解析眼で追跡させましょう。巫女殿の板にあったあの信号、あれを再現する触媒さえあれば……」
「……待って。私を追わせるつもり?」 葵が詰め寄ると、信長は不敵に口角を上げた。
「追わせるのではない。迎えに行くのだ。貴様が言った『未来』がそこにあるのなら、俺がそれを手に入れんでどうする」
葵は背筋に冷たいものが走るのを感じた。 この男は、単なる戦国大名じゃない。 自分が持ち込んだ現代の常識や技術を、恐怖や驚きとしてではなく、純粋な「資源」として喰らおうとしている。この世界の魔法や機械と、自分の世界のテクノロジーを混ぜ合わせ、誰も見たことのない化け物のような時代を作ろうとしている。
「信長さん……あなたは、この世界をどうするつもりなの?」
信長は窓の外、雨に煙る濃尾平野を見下ろした。 そこには、かつての歴史には存在しなかったはずの、蒸気を吐き出す巨大な機巧の塔がいくつも建ち始めている。
「歴史だの、未来だの。そんなものは勝者が書き換える紙クズに過ぎん。俺が望むのは一つ。この空の果てまで、俺の法で塗り潰すことだ」
葵は悟った。 自分がこの世界に落ちたのは、ただの事故じゃないのかもしれない。 この「魔王」に、天下を獲るための最後のパズル……「情報の力」を与えるためだったのではないか。
「……充電、しなきゃ」 葵は小さく呟いた。 スマホがなければ、自分はここでただの「変な服を着た無力な女の子」でしかない。 生きていくためには、この男の覇道に相乗りするしかないのだ。
「果心さん、水車を回して。もっと、もっと強く。私のスマホに……この世界をハックする力を、もう一度ちょうだい」
葵の瞳から、迷いが消えたわけではない。 ただ、生き残るための「覚悟」が、じわりとスマホの黒い画面に反射していた。
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