第9話 妥協

 コンコン


「冬星先生、足を見て……げ」

「けっ」


 保健室の扉がノックされ、加恋が中に入って来た。

 加恋は一哲の存在に気付くと顔をしかめ、一哲もまた同様にして顔を逸らした。


「やっぱり後にします」

「ダメ。こっちに来て座りなさい」

「いえ、いいです」

「一晩経っても足が痛いのでしょう。このまま治りが遅くなっても良いの?」

「…………」


 加恋は嫌そうに、冬星保健医が用意した椅子に座った。

 一哲から離れた所なのは冬星保健医のせめてもの気遣いなのか。


「…………」

「…………」


 嫌いあっている二人が揃い、保健室の中は険悪な空気が満ちる、はずなのだが昨日よりも幾分軽い感じだ。二人とも相手に対して怒っている感じが無いからだろうか。


 一哲はどことなく気まずそうで、加恋も怒りでは無く無関心を貫こうとしている雰囲気だ。


「…………?」


 だがそれはおかしい。

 一哲は加恋の異変に気が付いた。


 加恋ならば一哲の顔を見た瞬間に煽ってくると思ったからだ。

 顔を腫らした一哲を、間違えて自分の顔を殴った愚か者だとあざ笑うはずだと。


 それなのに加恋は何も言おうとしない。


 それに襲われただの、追い出せだなど、騒ぐのが普通だろう。

 それだけのことを一哲は昨日やらかしたのだから。


 強い違和感を覚えたが、冬星保健医の言葉に思考が遮られる。


「それじゃ少し触るわよ」


 冬星保健医はしゃがみこむと、加恋の足首を触り始める。


「俺は帰ります」

「何言ってるの。君の治療もまだ途中よ。もう少し座ってなさい」

「いや、もう大丈夫ですから」

「それを判断するのは私よ」


 そう言われてもここに居たくなかったのだろう。一哲は冬星保健医の言葉を無視して立ち上がり、保健室から出ようとした。


「ダメって言ってるじゃない」

「放してください」


 一哲の腕を冬星保健医が掴んだ。

 すると一哲はその場にピタリと止まってしまった。


「どうしても帰りたいなら、これを振り払いなさい」

「…………」

「全く、ほら座る」

「うっ!」


 一哲の腕を強く引っ張り座らせようとすると、一哲は痛みに顔をしかめて座った。


「そんなに痛いのに痩せ我慢しないの」


 背中が痛くて振り払うことなど出来ないのだ。


「はぁ……分かりました。座ってます」

「よろしい」


 一哲が観念したところで、冬星保健医は加恋の治療に戻った。


「痛かったら言ってね」

「…………っ!」

「ここか。どのくらいの痛み?」

「少しズキっとする程度です。いきなり触られたからビクっとしちゃうだけで」

「腫れはほとんど無いみたいね」


 軽い触診を終えた冬星保健医は、立ち上がると机に向かい紙に何かを書き始めた。


「二人とも、今日は放課後絶対に病院に行くこと。分かった?」

「…………」

「…………」

「分かった?」

「…………」

「…………はい」


 全く返事が無いので念を押したら、一哲は小さく頷き、加恋は小声で返事をした。


「それじゃもう少し診るから……あれ、何かしら?」


 治療の続きのために机から離れようとしたら、固定電話が鳴り出した。


「保健室です……はい……はい……ええ、今生徒の治療中なんですけど……はい……あ~はい……そうですか……分かりました、すぐ行きます」


 電話を終えた冬星保健医は一哲達に申し訳なさそうに言う。


「ごめんなさい。ちょっと急用が出来たの。すぐに戻ってくるから待ってなさい」

「…………」

「…………」

「絶対に待ってなさいよ。もしいなかったら、巌流島君の背中にドロップキックかまして、桜ヶ平さんの足首を思いっきり踏んづけてやるから」


 それが保健医のやることなのか。

 そう抗議する間もなく、冬星保健医は慌てて保健室から飛び出して行った。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 残された一哲達は無言だ。

 口喧嘩することもない。

 相手の様子をチラっと伺うことすらしない。


 お互いに相手の変化に戸惑っているのだろうか。


 カチ、カチ、カチ、カチ。


 時計の針の音だけが保健室の中に響く。

 昨今では音がしない時計が多い中、それでは味気ないと冬星保健医が好みで設置していた物。


 その音が二人の心を落ち着かせていた。

 一定のリズムが、集中力を生み出していた。


 お互い考える。

 深く深く考える。


 バディについて。

 今後の自分について。


 合体という超常現象に巻き込まれた中で、微かに見えた相手の姿。


 加恋は一哲についていくつかのことを知った。何も聞いてない風を装っているが、心の中は決して穏やかではない。

 では一哲は加恋について何を感じ、態度を変化させたのだろうか。


 永遠にも感じられる時間の中、先に口を開いたのは一哲だった。


「俺はお前が嫌いだ」


 その言葉はいつも通りの内容でありながら、いつも通りの覇気が全く無かった。


「私もあんたが大っ嫌い」


 返す加恋の言葉にも、全く力が籠められていない。


「だから俺の邪魔だけはするな」

「それはこっちの台詞よ」


 お互いに相手の考えを認められない。

 絶対に譲れない何かに抵触しているから。


 だがそれでも。

 認められなくても。

 大嫌いでも。


 人は歩み寄ることが出来る。


「分かった」

「え?」


 一哲の口から初めて飛び出した、加恋の言葉を肯定する何か。


「お前の邪魔はしないし、少しは協力もする」

「…………本気で言ってるの?」

「ああ。それでも嫌なら、追い出すなりなんなりしろ」


 無理矢理襲われたと加恋が証言すれば、それが通る可能性はあるだろう。

 そちらの方が加恋にとって過ごしやすい学園生活になるに違いない。


 女子寮に戻り、嫌な奴の顔を見ずに勉強に打ち込めるのだから。


「いいけど、私はあんたに協力なんかしないわよ」


 だが加恋は一哲の妥協を受け入れた。

 あまりにも不便で不快な学園生活を認めてしまった。


「それで良い」


 一哲が求めているのは青春に恋愛。

 それは協力してもらって得るものではない。


 ゆえにむしろ協力が無い方がありがたいくらいだ。


「ただ……」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「ただ、何よ」

「なんでもない」


 一哲は何かを言いかけたが、それを最後まで口にはしなかった。


 加恋は無性にその続きが気になったが、聞き返せない。


『お前は本当にそれで良いのか?』


 そう問われて、答えに窮してしまう予感がしたから。


「おまたせ。お、帰ってないね」


 話がついたところで、冬星保健医が戻って来た。


「あれ、なんか雰囲気が……あ、そっか、ふ~ん」


 思わせぶりなことを言いながらニヤニヤする冬星保健医。

 これまで多くのバディを見てきた経験から、一哲と加恋との間の空気が和らいだことを察したのだろう。


「先生タイミング良すぎでしょ。まさか入り口で覗いてたとかないですよね」

「え、そ、そんなことするわけないでしょ~」

「うっわズル。そうやってわざとらしく怪しく振舞って混乱させるつもりっしょ」

「こういう時はノってあげないとモテないわよ」

「マジで!?」

「ねぇ、桜ヶ平さん?」

「ふぇ!? わ、私? の、覗きなんてするわけないでしょ!」

「そういう話じゃないし、そもそもなんでお前が焦ってるんだ?」

「あ、焦ってないし!?」

「??」


 冬星保健医ではなく、加恋に覗かれていたとは全く思ってもいない一哲は、加恋の奇妙な反応を不思議がるだけ。以前ならばとにかく怒ってあることないこと責めただろう。二人の関係が明らかに変わった証拠である。


 一方で加恋はあることが気になって一哲との関係を考えるどころではなかった。


「(もしかして冬星先生、私が覗いてたの気付いてたの?)」


 それをここで聞いてしまったら一哲に覗きがバレてしまうため、しばらくは聞き出すことが出来ず悶々とするしかない。


 だが良く考えれば自ずと分かること。


 保健室はセンシティブな場所。

 他の人に聞かれたくない話をすることが多々あるだろう。


 たとえば生理の話。

 女子は男子に聞かれたくないに違いない。


 そういう場所であると一番分かっているはずの冬星保健医が、果たして扉を少し開けて中の声が漏れるようなミスをするだろうか。

 加恋は冬星が仕掛けた罠にまんまと嵌まってしまっていた。


 この学園の大人達はこうして陰ながら生徒達をフォローしているのであった。

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