第8話 痛みの理由 後編

『すっごーい! 桜ヶ平さんまた学年トップなんだ!』

『頑張って勉強してるもんね~』

『ご両親が有名大学の出身なんでしょ? 血筋が違うね』


 クラスメイトがテストの結果を賞賛してくれるけれど全く嬉しくない。

 褒められたくて勉強している訳では無いから。


『ねぇねぇ桜ヶ平さん、今日の放課後遊びに行かない?』

『ダメだって、桜ヶ平さんは輪音学園に行くために頑張ってるんだから』

『そっか~、息抜きにどうかなって思ったけど無理は良くないよね』


 それで良い。

 遊んでいる暇があるなら少しでも多く勉強したいから。


『本当に?』


 悪魔の声が聞こえてくる。

 世界一嫌いな男の声。


『本当にお前は勉強したいと思っているのか?』


 その声が加恋の心をかき乱す。

 決して触れられたくない部分に遠慮なく入り込んでくる。


『遊ぼうぜ。学生は青春するのが仕事だぜ』

『違う。学生は勉強が本分』

『勉強も、だろ。遊ぶのも大事だって皆言ってるだろ』

『そうだとしても、私はそれを望んでない』

『本当に?』

『本当に』


 何度問いかけられても答えは同じ。


 本当は勉強なんかしないで遊びたいのではないか。


 そう質問されたことなど何度もあるし、自分自身自問自答したこともある。その度に勉強を優先したいと考えた。その気持ちに嘘偽りはない。


『そうだよな。お前の理由はそうじゃないもんな』


 やっと憎い敵をやりこめることが出来た。

 自分の言い分を認めさせることが出来た。


 そう安心しようとしたのは、この先に言われることを予想出来ていたから。

 その事実から目を逸らそうとしていたから。


 今までずっとそうだったように。


『本当にそれで良いと思っているのか?』

『!?』

『本当に求められているものはなんだ』

『っ!』

『本当になすべきことはなんだ』

『やめてっ……』

『お前は本当は』


「やめてええええええええ!」


 自分の絶叫で意識がクリアになる。

 目を開けると知らない天井だったが、そんなお約束を考える余裕も無かった。


「はぁっ、はぁっ……夢、ね」


 悪夢のせいで澱んでしまった気持ちを振り払うかのように、頭を軽く振りながら身体を起こす。


「もう朝?」


 時計を確認すると、目覚ましが鳴りだす数分前だった。


「あいつは!? 何もされてない!?」


 慌てて服を確認するが、乱れた様子はない。

 それでも不安は消えず、スマホの録画内容も確認する。


「寝ている時は私の姿なのね」


 超倍速で寝ている様子を確認するが、途中で一哲の意識が目覚めて何かをする様子は無かった。そして外が明るくなって来た時。


「体がうっすらと光ってる?」


 部屋の中がまだ暗いから辛うじて分かる程度に全身が光ると、その直後に加恋の身体から一哲の身体が分離した。


 分離方向は加恋の真横。加恋はソファーで寝ている。となるとどうなるか。


『痛っ!』


 一哲の身体は床に落ち、その衝撃で一哲が目を覚ましたのだ。


「位置的に顔は見えないのね」


 自分で殴った顔がどうなっているのかを確認したかったが、一哲はスマホがある方向を見なかった。


「そんなことより、こいつが何をしたかよ」


 好き放題身体を弄ばれたのではないか。

 録画を見ているだけなのに、身を守ろうと身体を丸めそうになる。


 一哲は立ち上がるとスマホに背を向け、上からしばらく加恋を見下ろしていた。

 そして何もせずにその場を立ち去ったのであった。


「何も……しなかったの?」


 その後もチェックしたけれど、一哲の姿は全く映っていなかった。

 途中で玄関の扉が開く音が聞こえて来たので、外出したようだ。

 

「良かった……」


 放置された違和感が気持ち悪くはあるが、合体が解除されたことと何もされなかったことへの安堵の気持ちの方が上回った。


「お風呂入りたい」


 肉体的にも精神的にも疲れた体を労わりたい。念のため本当に一哲が家に居ないかを隅々まで確認し、玄関にチェーンをかけて鍵を持っていても入れないようにしてから湯船に入った。


「はぁ……ずっとこうしていたい」


 だがそういうわけにもいかない。

 早いうちに保健室へと向かい、昨日聞けなかったことをたっぷりと質問し、一哲とのバディ解消の交渉もしてこなければならないのだ。


 重い気持ちをどうにか奮い立たせ、加恋は急ぎ身嗜みを整え、自分の部屋に置かれていた携帯食でお腹を雑に膨らませて学校へと向かった。


--------


「やっぱり先にバディ解消をお願いするべきよね」


 合体のことは気にはなるが、そもそも一哲がここから居なくなれば考える必要は無い。となると職員室に行くべきなのだが、それでも加恋は保健室へと向かっていた。


「でも足がまだ少し痛むから冬星先生に診てもらいましょう」


 せっかく自由になれたのに後遺症のせいで日常生活がままならないなんてことになったら最悪だ。ゆえに身体のことを優先したのだ。


「あれ、誰かいる?」


 保健室の前まで来たら扉が僅かに開いていて微かに話し声が聞こえてくる。

 もし先客がいて邪魔したら悪いなと中をそっと確認する。


「全く無茶しちゃって」

「いででで!痛いですって!」

「我慢しなさい、男の子でしょ」

「女子の方が痛みには強いって聞いたことありますけど?」

「モテたいならそれ絶対女子に言っちゃだめよ」

「マジで!?」


 心臓が止まるかと思った。


 加恋にとって最も会いたくない男が居たから、ではない。


 一哲が背中の治療・・・・・を受けていたから。

 その背中に遠くからでも分かるほどの青痣があったから。


 昨日寝る前に想像してしまったことを、思い出してしまう。


 一哲が体を張って自分を助けようとしてくれたのではないか。


 結局そんなはずがないと無理矢理忘れようとしたのだが、現実はそれを忘れさせてはくれなかった。


「この怪我を見せれば、あの子も少しは貴方を見直すんじゃないかしら」

「何勘違いしてるんですか。俺はどさくさに紛れてムカつくあいつを突き落とそうとして、ミスって自分も落ちちゃっただけですよ」


 そうだ。

 一哲はそういう奴だ。


 思い違いだったと加恋は安心しようとしたが、もちろんそれは都合の良い理由に飛びつこうとしたに過ぎない。


「あの子は全く怪我して無さそうだったのに?」

「…………」

「まるで誰かを庇って背中を打ち付けたかのような、普通に階段を落ちたよりも酷い怪我をしているのに?」

「…………」

「突き落とそうとした相手をそうまでして庇うなんてことするのかしら」

「…………」


 一哲は何も答えず、加恋もまたその場から一歩も動けなかった。

 世界一嫌いな相手に助けられたという事実を脳が受け入れてくれない。


「さ、今度はこっちの手当てをするわよ」

「痛っ!」

「これは酷いわね。歯が折れてたりはしない?」

「…………大丈夫、です」


 一哲の右頬が真っ赤に腫れていて、あまりに痛々しい。

 少し前までの加恋であれば心底ざまぁと思ったに違いないが、今はそういう気持ちが生まれてくれない。


「一体何をしたらこんな風に殴られるの。もしかして襲ったの?」


 冬星保健医は一哲が加恋に殴られたのだと勘違いしていた。

 傍から見ればそう感じるのが普通だろう。


「そこまでしてあの子を追い出したいだなんてねぇ」

「…………」


 普通ならば性的に興奮したから襲ったと思いそうなものだが、そうではないことを冬星保健医は確信していた。


「それとも追い出されるためにわざとやったのかしら?」

「…………」

「(え?)」


 一体何を言っているのか。

 加恋の思考が完全に停止してしまった。


 自分は間違いなく一哲に憎まれている。

 嫌悪されている。

 加恋を追い出したいという言葉は間違いなく本心からのものだった。


 あれが演技だなんて絶対にありえない。


「俺は……絶対にあいつを認めない」

「そうなんでしょうね」


 そうでなければ、ここまで苛烈に相手を否定し学園から追い出そうとなどするはずがない。


「でもそれは質問の答えにはなってないわよね」


 何故殴られるようなことをしたのか。

 その問いに対して相手を認めたくないからというのは答えになっているようで、直接的な答えにはなっていない。


 何故なら認めたくなくても、階段から落ちる敵を助けようと行動してしまうこともあるのだから。


「…………」


 そして即答断言しなということは、少なからず一哲の行動には何らかの含みがあるということ。


「ほんとに……ほんとに俺は……追い出すつもり……だった・・・んだ……」


 俯く一哲は苦悩と困惑が入り混じった表情になっていた。

 もしかすると、自分の気持ちを正確に理解できていないのかもしれない。


「今はまるでそうじゃないみたいな言い方ね」

「そんな……ことは……」

「もしかして追い出されようとしているのかしら? これも、酷いことしたお詫びにわざと殴られたとか」

「ちが……う……」


 元気で明るい一哲。

 加恋を激しく嫌悪する一哲。


 感情豊かな一哲の姿はどこにもなく、今にも消えそうな程に弱々しい。


 もちろん冬星保健医は一哲を追い詰めるつもりなどない。

 ただ彼が心のうちに抱えていたものを気付かせ、必要な痛みを与えてあげているにすぎない。


「まったく男って馬鹿ね。ここを出た所で、行く場所なんか無いんでしょ」

「…………」

「そんな目で見ても何も出て来ないわよ。私は事情なんて全く知らない。ただ、合体するような子は大抵何かしらの事情があるから想像しただけ」


 自分が置かれた立場を言い当てられ、何もかも知られているのではと一哲は訝しんだが、そうではなかったらしい。


「これ以上は私は踏み込まない。それは貴方が自力で解決しなければならないことだから。でもこれだけは言っておくわ。憎んでも良いし、抗っても良い。でもその先にある己の幸せを考えて行動することね」

「…………」


 そこで話は途切れ、冬星は一哲の治療に集中し始めた。


「(私は……どうしたら……)」


 話を聞いたところで、一哲に対する好感度が変わるなんてことは無い。

 一哲の性格も考え方も何もかもが嫌いで、顔も見たくない。


 そしてその一哲も加恋に対して似たような気持ちを抱いている。

 本気で心底嫌い、追い出したいと強く願っている。

 一哲の悪意を一身に受けているからこそ、一哲の本気度が良く分かる。


 お互いに相手を嫌い排除したい。

 でもこの学園に拘る強い理由があるから排除されるわけにはいかない。


 まるで合わせ鏡のような二人。


 でもそうではなかった。

 一哲には加恋に無いものがあった。


 加恋を助け、嘘か真か道を譲る気持ちがあるらしい。


 これで悪夢から解放される。

 自分の勝利だ。


 そんな気持ちは全く起きない。


 むしろ相手を拒絶だけして、我儘を言い続ける自分があまりにも幼く思えて来る。

 惨めに思えて来る。


 一哲が自分と同じくらい強い想いを抱いていることを直感的に理解しているからこそ、それだけの想いがあっても相手を助け、退こうと考えられることに衝撃を受けた。


「(違う……あいつはそんな奴じゃない……)」


 全部ただの勘違いに過ぎない。

 一哲が加恋を助けるような真似をするはずがない。


 そう思い込もうとするが、階段で手を伸ばして来た一哲の姿を思い出してしまう。

 胸を揉まれたことを思い出すが、本当は制御を奪い続けてもっと酷いことが出来たのではと考えてしまう。

 何もしなくても待っていればトイレなどで辱められると言われたが、だとしても加えて辱めようとしても良いはずだ。少なくとも自分なら相手を追い出すためにいくらでも攻撃していたに違いない。


 否定したくても否定できない。

 自分が一哲よりも劣っていて、嫌だ嫌だと駄々を捏ねているだけの子供でしかないと感じてしまう。


「(お父さん……お母さん……)」


 どうすれば良いのだろうか。

 その答えはすでに心の中にあった。


 だがそれを認めるには、まだ少し時間が必要だった。

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