穴埋め

 ピピピピピピッ!


 田中優一たなか ゆういちは、布団から手を伸ばし、けたたましく鳴り響く目覚まし時計のアラームを止めて、もぞもぞと起きだした。


 蛇口から出したコップ1杯分の水。起き抜けに、それを一気に飲み干すのが、優一の昔からの日課だったが、近ごろはそこに胃薬も加わるようになっていた。

 

 何かと優一を目の敵にして、文句をつけてくる上司。そんな仕事のストレスが原因で、優一の胃は穴が開く寸前だった。

 しかし、昨日その上司の転勤が決まり、優一はあのストレスから解放される事実に心の底から安堵を覚えていたのだ。

 優一は習慣になっている手付きで薬の袋を手に取ったが、胃の痛みが和らいでいることに気付くと、コップ1杯の水だけを飲み干し、ラジオをつけて朝食の支度を始めた。

 朝食の支度といっても、定番の食パンとヨーグルト、そして豆乳をいれるだけの簡単なものである。

 ラジオでは、毎日聴いている朝のニュースが流れていた。


 『水道管修復ナノマシンの投入が昨日から始まりました――』


 『水道管の穴を埋める修復ナノマシン』。老朽化する水道管への対策として、政府が半年前に打ち出した対策だった。

 政府は「家庭に届く直前でナノマシンの濾過ろかを行うため、健康への被害はない」という説明をしていたが、発表直後から反対意見がSNSで飛び交い、マスコミも連日報道し、ワイドショーを賑わわせていた。

 政府は、「丁寧に説明する」というばかりで、計画を止めようとはしなかった。


 過熱する報道と世論に後押しされ、政府は莫大な予算をかけて、『ナノマシン専用の家庭用浄水器』を全世帯に配った。

 水道管を掘り起こして取り換える費用と手間と比べたら、浄水器を配る方がまだマシだということなのだろう。


 発表から3か月もすると、報道は汚職疑惑の政治家や、セクハラ疑惑の芸能人に話題が移っていった。

 そうしてナノマシンの事は忘れられていった。

 よくある話だ。


 ナノマシンの投入から数日経ち、優一は胃の痛みが完全になくなっていることに気付いた。


 優一は、いつものように、コップの水を1杯飲み干すと、小さな声で独りごちた。


「そう言えば、最近便秘気味だな」

 

 そう呟く優一の足元の床には『浄水器』と書かれた、封を解かれていないダンボール箱が置いてあった。

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