第二部 第2.5話 癒すということ、その手前で

 治療所の夜は静かだ。昼間の喧騒が嘘のように、ランプの光だけが壁に揺れている。


 エルナは、自分の手を見つめていた。

 回復魔法を何度も行使してきた、その手を…


 今日も、魔法は間違っていなかった。

 詠唱も、魔力の流し方も、判断も。

 それなのに――届かなかった。


「……拒絶、か」


 魔力が弾かれる感覚。

 回復を望んでいるはずの身体が、それを受け取らないという異常。


 知識としては知っている。

 理論としても理解している。

 けれど、実際に目の前で起きたのは初めてだった。


 その横で、彼は鍋をかき混ぜていた。

 特別な術式も、魔法陣もない。

 ただ、温かい匂いのするスープ。


 ――それで、回復した。


 エルナは唇を噛む。

 悔しさではない。

 否定されたとも、思っていない。


 ただ、自分は「最後の工程」しか見ていなかったのだと気づいた。


 癒すこと

 治すこと

 それは、魔法をかける瞬間だけではない。


 身体が、心が、 “受け取れる状態”でなければ、どんな正しい魔法も意味を持たない。


「……私は、急ぎすぎていたのかもしれない」


 ゆうは言っていた。

 「お腹が空いてると、治るものも治らないですよ」


 あまりにも簡単で、あまりにも本質的な言葉。


 エルナはランプを消し、深く息を吐いた。


 もし、この人の隣でなら。

 自分の魔法は、もっと正しく使えるかもしれない。


 ――それは、学者としての興味。

 けれど、少しだけ、それ以上のものでもあった。

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