世界の終わりを恋願う

間川 レイ

第1話

1.

ああ、神様。世界なんか滅んでしまえばいいのに、なんて。そう、思い始めたのは一体何時の頃だったか。


それこそ、幼少期のころ。両親に毎日のように殴られていた、小さな子供の頃から思っていた様に思う。


私の実家は、一言で言えば歪だった。外から見れば開業医を営むそこそこ裕福な家。父親も母親も外ではいつだってニコニコとしていて、外から見る分には典型的な幸せそうな一家だったことだろう。


だがその実態は全く違った。父親は専業主婦の母親を自分の稼ぎがなければ生きていけない人間と露骨に見下していた。かく言う母親は元々薬剤師としてバリバリ働いていたという矜恃があってか、かなりそうした目線にはフラストレーションを感じているようだった。


そしてそのフラストレーションはもっぱら子供たち、特に私に向かった。その背景には私と母親の間に血が繋がって居ないこともあったのかもしれない。


習字、テニス、ピアノ、公文。習い事は色々させてくれたけれど、どれもこれもパッとしない私に、本当にネチネチと小言をいった。そこまで出来が悪いのは才能だね。あるいは、なんでこんなに色々させてあげてるのに、どうして努力できないの?なんて。


ピアノの演奏会で課題曲を上手く演奏出来なかった時なんて酷かった。帰ってくるなり、先に帰ってシャワーを浴びてた私を捕まえ、なんなのあの演奏はと叫び散らし、怒鳴り散らし。毎月いくらかけて通わせてると思ってるのよと叫びながら楽譜を投げつけてきて。私はただごめんなさいと小さくなることしか出来なかったけれど。


それでも腹の虫が治らなかった母親に出てけよ。お前なんかうちの子じゃないと肩が抜けそうな力で腕を引っ張られ、家の外に追い出されたり。下着を掴むことはできたから全裸で追い出されずには済んだけど、髪なんてびしょびしょで。みぞれが降るぐらいの夜だったから、歯の根が合わないぐらい寒かったことをよく覚えている。


ごめんなさい、ごめんなさい、開けてよ、ねえ。そう叫んでもドアは開かなくて。体温を保つためにお山座りして、必死に自分を抱きしめていた思い出。そして、そんな私を見て、まるで見ては行けないものを見てしまったかのように目を逸らして通り過ぎていったサラリーマンとか。


父親もまた味方では無かった。父親は本当に些細な事で私を殴った。


ある時など、テストで85点を取ったからという理由で何発も殴られた。なぜこんな簡単な問題が解けないのかと。学校のテストなんて100点取れて当たり前だろうと。クラスで3番手だった事なんてなんの言い訳にもならなかった。むしろますます怒らせただけ。


小説みたいな無駄なものばかり読んでるから勉強時間が足りなくなるんだと目の前で小説達を次から次へとゴミ袋に突っ込まれ。やめて、やめてと腕にしがみつけば邪魔をするなと思い切り頬を張られたりした。しかも、それからしばらくは勉強状況を確認するためと言う事で、私の勉強時間中ずっと後ろのベッドに腰掛け。解けた問題を採点し、一問でも間違っていれば私の髪をぐいぐい引っ張ったり、あるいはそのまま机に叩きつけたりした。こんな簡単な問題で間違えるなと。その時叩きつけられないよう踏ん張ったりしてはいけない。舐めてるのかと言う怒声と共に、倍叩きつけられることになるから。


そんな毎日。それは、見るに見かねた義母の実家が苦言を呈するほど。そんなに殴らなくても。女の子なんだよ、と。でも、まるで効果なんてなくて。これは私の家の方針です。余計な口出しをしないでください。そんな一言で一蹴され、私は普段より沢山殴られた。義母の実家には2度と行けなくなった。


味方なんて誰もいなかった。それこそ妹だって。妹だって父親の機嫌が悪けりゃ髪を掴んで引きずり回されたり、お腹を力いっぱい蹴り飛ばされて床をコロコロ転がっていたのに。


だけれど、仲はあまり良くなかった。避けられている、と言っても過言ではなかったかもしれない。いや、実際避けられていたのだろう。下手に私と関わることで両親のターゲットになる事を恐れて。あるいははたまた、母親からお姉ちゃんみたいになったらダメよとよく言われていたからかもしれない。私が殴られたり詰られたりしているのを部屋の片隅に隠れ、ちらりちらりと伺っている妹の姿をよく覚えている。


そして学校にだって救いはなかった。当時は漸くスクールカウンセラーというものが新設されだした頃。困った事があったらなんでも相談して。その言葉を信じて飛び込んだ私の期待はあっさりと裏切られた。


カウンセラーが私の話を信用しなかったのだ。地元では名家として名高い私の家がそんな事をするわけないと言って。親御さんも貴女の事を思いやってのことだよ。貴女にも落ち度があったんじゃないの?家族なんだから大事にしなきゃダメだよ。あるいは、家族なんだから話し合えば分かり合えるはず。そんな事を言われた。


そんな馬鹿な。私は必死に反論した。殴られすぎて頭がふわふわ、ぼーっとしてきて、次第に殴られている自分を遠くから眺めている気持ちになるぐらい殴ってくる親がまともな訳が無い。このままではいつか殺される自信があった。その前に何とかして助けてくれ。必死にそう訴えた。カウンセラーは渋々うなづいた。担任の先生とも相談してみますね。


これで、少しはましになる。そんな期待はやはり呆気なく裏切られた。担任の先生が三者懇談会で、お宅の娘さんこんな事を言っていますが本当ですか?と父親に私の目の前で暴露するという事によって。正直、その後のことは思い出したくもない、というよりよく覚えていない。


そんな家が私の家だった。


とはいえ、勿論、最初から世界の終わりを望んでいた訳では無い。


少なくとも本当に幼かった頃は、子供らしくヒーローの出現を待ち望んでいた気がする。あるいは白馬の王子様でもいい。兎に角、私をこの地獄から救い出してくれる誰かを私はいつだって恋焦がれていた。


だが現実とは無常だ。ヒーローなんていないし、救世主なんてものもいない。この腐りきった現実を何とかできるのは誰もいないと気づいた時、私は世界に絶望した。


最初は小さな自傷から始まった。手の甲や腕、あるいはお腹。そこをカッターで刻んだり、爪で肉をえぐって見たりした。ぷにぷにした薄桃色のお肉の奥からじんわりと血が溢れ出すのを見ると、なんだか安心して。死にたいという渇望を少しの間でも忘れることができた。


だが、そんな事を続けていれば当然生傷は増えていく。何その手。きったないな。ある日私の手の傷に目をつけた両親の言葉で、私はこれ以上の自傷を封じられた。


次は首吊りを試みた。ロープみたいに洒落たものはないので、父親の部屋からネクタイを拝借して。ドアノブに引っ掛けて首を吊ろうとした。首吊りはあまりにも苦しすぎた。


頚部にちぎれそうなぐらいのぎゅうぎゅうとした圧迫感がかかり、息はできず肺は爆発しそうなぐらい熱くなる。意思に反し口は酸素を吸おうと無駄な開閉を繰り返し、手足はバタバタとはね回る。次第に遠のく意識に安堵したのもつかの間、感じるのは途方もない喪失感と、徐々に私というものを観測できなくなる恐怖。そのあまりの苦しみと恐怖に咄嗟にネクタイを解いてしまった。


そして最後に試みたのは用水路への身投げ。ただそれだけで死ねるか自信がなかったから、家庭菜園用の農薬を飲み、手首を切ってから飛び込んだ。農薬は苦くてとても飲めたものではなかったけど無理やり飲み込んだ。今度こそ死ねるはず。そんな思いは無惨にも裏切られた。たくさん農薬の匂いのする吐瀉物を吐かされて。気づいた時には真っ白な病室の中。


2.

身投げに失敗した私は、そのまま精神病棟に強制的に入院させられる事になった。なんでも、両親に対しては警察の説得があったとかなんだとか。世間体とやらを重視する両親によってあっという間に私は精神病棟に入院させられた。


余計な真似を。私としては舌打ちするしかない。私が死なないことなんて、世界の誰も望んでいないのに。私だって助けて欲しかった訳じゃないのに。誰も私の死を止める権利なんて持って無いはずなのに。全くもって余計な事を。そう思っても時計の針は元には戻らない。覆水盆に返らず。元の木阿弥、よりなお悪い。


精神病棟は、形を変えた地獄だった。死にたいと言えばとても眠たくなる点滴をうたれ、カウンセラーは生きていればいい事がありますよの一点張り。多少気分が良くて起きていたいと言っても点滴をうたれたし、強制的に眠らされるのが気持ち悪くて、もう眠りたくないと泣きながら訴えてもやはり点滴はうたれた。


ずっと眠っていると、次第に今の自分が生きているのか死んでいるのか分からなくなってくる。実は用水路に飛び込もうとした時に実は自分は死んでいて、今精神病棟に居るというのは死後の私の見ている夢なんじゃないかって。生きているのか死んでいるのかわからない状態というのはとても落ち着かなくて、最高に気分が悪い。


だからこそ、私は自分が生きているのか死んでいるのか確認するために腕にプラスチック製のフォークをつき立てようとした。それで血が出れば、運良く死ねれば私はまだ生きていたという証。でも自殺防止用に柔らかめのプラスチックでできているフォークは全然腕に突き刺さってくれなかった。


その挙句涙ながらに何度も突き立てようとしている所を見つかって組み伏せられた上、拘束テープでぐるぐる巻きにされた。


どれだけ死にたくても、皆が笑顔で明日こそ元気に生きようと励ましてくる世界。それどころか、肝心のその死にたい気持ちさえ、薬で無理矢理に剥奪される。薬で死にたい気持ちがなくなったとしても私は健康体になる訳では無い。


むしろ、薬で死にたい気持ちを無理矢理蓋をされているからこそ、奇妙に心の中にぽっかりと穴の空いたような、がらんどうな喪失感を抱えて生きる事になった。


心の奥底からちりちりと引っ掻くように死にたさが込み上げてくるものの、薬で意識の表層に上がらないようにされているような不快感。たかが何十グラムの化学物質で私の自由意識は犯された。


そもそも自由意識なんて幻想で、私の認識する自我なんてものは脳内を走る電気信号のバグに過ぎなくて、かけがえのない21グラムの魂や自由意識なんでそもそも無くて、全ては物理法則に支配されているのかもしれない、なんて。そんな事さえ考えてしまう。


私はこんな不自由な世界から解放されたかった。肉体という牢獄から解放されたかった。


私はいつしか、世界が滅べばいいと考えるようになった。世界が滅べば、もはや私は自由だ。私の自殺を誰にも止めることは出来ない。世界が滅べば、私は漸くこの不自由な肉体という器から解放される。全ての苦しみの元凶である自我という物を失うことが出来る。


そうすれば私はやっと休める。心の底からぐっすりと。夜中悪夢にうなされて目覚めることも。毎朝起きて自分がまだ生きている事に絶望して涙を流すことも無くなる。それはなんと甘美なのだろう。それはなんと優しい世界なのだろう、なんて。


いや、正直に言おう。私が苦しんでいる時、世界は何事もなく回っていた。まるで私の事なんて知らんぷりして。人々は笑い、恋をし、幸せそうに生きていた。美味しいものを食べ自由に生きていた。


私にはそれが、許せなかった。憎くて憎くて堪らなかった。いや、憎いというより、理解できなかった。この世界はこんなにも残酷なのに。この世界がこんなにも醜く歪んでいるのに、どうして誰も気づかないのだろう。

どうして平然と生きていられるのだろう。生きることは幸せです、なんてどうして宣えるのだろう。知らんぷりして生きていけるのだろう。


だから、思った。


世界が終われば、皆が気づくだろう。


生きることの無意味さに。


生きることとは苦しみで、幸福なんて幻想だったことに。


だからこそ私は願うのだ。いつか世界が滅びますようにと。


まぁ、そんな祈りが通じる訳もなく、毎朝の様に世界の終わりを望んでは、毎晩寝る前に世界が終わらなかったことに涙を流しながら眠りにつく。あるいは寝ている間に世界が終わることを望んでは、まだ世界が続いていることに涙を流しながら目を覚ます。そんな毎日。


そんな毎日が変わったのは、病棟のテレビが伝えた一つのニュースだった。地球に衝突する軌道の流星群が発見された、と。患者たちは悲鳴を上げた。看護師たちは青ざめた。


私は、笑った。


やっと、やっと来たのだ。


3.

その流星群は規模こそかなりのものであったが、本来であれば地球よりはるか遠方を通過するはずであった。


だが、何の因果か軌道がかわり、地球へと直接降り注ぐこととなったのだ。その数実に1時間に6000個ほどのペースで地球上の各地に降り注ぐほど。組成からしてそのほとんどが大気圏を突破し地上に直撃するとの知らせが入った時、世界は大パニックになった。


流星群というだけあって、流星一つ一つの持つ破壊力はそれこそ恐竜絶滅に繋がるような大規模隕石の破壊力に比べれば遥かに小さい。だが、そうした流星でさえ広島型原爆の何百倍もの破壊力を持つのだ。そうした流星達が世界中に降り注ぐとしたら?答えは簡単だ。人類は滅亡する。何だったら地球自体跡形も残らないかもしれない。


その知らせは世界を絶望のどん底にたたき落とした。一つの隕石が地球に衝突しそう、というだけならあるいは人類にまだなす術はあったかもしれない。それこそ、映画アルマゲドンの様に核爆弾を埋め込んで爆破すると言った処置だって取れたかもしれない。


だが、今回地球に向かっているのは数にして数十万個。なすすべがないとはまさにこの事だった。対処を考えることすら馬鹿馬鹿しい、そんな破滅が目の前に迫っていた。


人々はその知らせを受けた時、驚愕し、絶望し、その理不尽さに激怒した。理不尽にも明日が奪われるという現実を多くの者は受け止めきれなかった。


どうせ世界が滅ぶならと、それより先に愛するものと共に自死を選ぶものが続出した。


だがそれだけなら可愛いものだ。どうせ世界が滅ぶならとせめて最後にいい思いをしようと略奪に走るものは多かった。婦女を乱暴し、一時の快楽にふけろうとするものは遥かに多かった。


勿論、各国政府もそのような暴動に手をこまねいていた訳では無い。


最初は警察によって混乱を鎮圧しようとし、それが叶わぬなら軍隊によって鎮圧しようとした。


だが、そうした国の暴力を司るもの達にすら絶望が蔓延した結果、世界は急速に無政府状態へと陥った。各地を死と絶望、流血と火災こそが支配した。人類は世界の終わりより先に、自らの手で滅びへと向かっていた。それは私の住む地域も別では無かった。


4.

絶叫と罵声、断末魔の悲鳴が響く病院内を、私はくすねてきた大ぶりのハサミを片手に歩く。電気なんて来なくなって久しいけれど、時刻はまだ夕方。窓から差し込むオレンジ色の光に照らされてまだ明るいのが唯一の救いか。真っ白な入院服を着た私をくみしやすしとみたのか襲いかかって来る人間を可能な限り躱し、どうしても逃れなれなさそうな相手のみやむを得ず殺しながら私は歩く。


今日はいよいよ流星群が地球へと到達する当日。私にはどうしても向かいたい場所があった。それは病院の裏山、小高い山となっている箇所の頂上。ちょっとした展望台になっていて、ここら一体では一番見晴らしのいい場所だった。どうせ死ぬのなら、せっかくだから眺めのいい場所で死にたい。そう思って私は病院を抜け、商店街を抜け山へと向かう。


商店街のショーウィンドウは尽くが割られ、中の商品はあらかた抜かれているようだった。とても、流星群の直撃のニュースからまだ1週間とは思えないほどの荒廃ぶり。


がめつい事に、レジスターまで破壊され中のお金も抜き取られているようだった。無駄なことを。私は内心冷笑する。どうせみんな死ぬのだから、死ぬ時にまでお金を握りしめていたって仕方がないだろうに。でもまぁ、そう言う意地汚さが人類をここまで反映させて来たのかもしれない。その人類も今日滅びる訳だけれど。


そんな事を考えながら所々火のくすぶる、随分ひとけのなくなった商店街を抜けていく。道端には色とりどりの遺体が転がっている。乱暴されたと思しき薄紫色のワンピースを纏った少女。リンチされたと思しき群青色の制服の警察官。母の胎内に回帰せんとするかの様に身を丸めた黒焦げの遺体。まるでそこは死者たちの回廊だった。私たち生者を黄泉の国に導く死者の回廊。


商店街の奥、街の方角から尚も聞こえる喧騒を軽く聞き流しつつ、私は黙々と向かう。街に繋がる道を回避し、目的の裏山へ、黙々と。ぺたぺたと。


最初の動乱で皆裏山へと逃れようとして、暴徒に襲われたのか遺体はどんどん増えていく。中には見知った顔もちらほらと見られるようになった。高校のクラスメイト。よく一緒に放課後カラオケに行っていた友達。担任の先生。通学路でたまに見かけるおばちゃん。皆が皆身体のどこかを赤く染め、倒れ伏していた。中には明らかな銃創と見られるものもあったから、あるいは治安部隊との衝突もあったのかも知れない。


私はずっと病院に隠れていたから知らないけど。私を迎えに来てくれる人も、助けに来てくれる人もいなかったから。


そうした見慣れた遺体を片目に歩いていると、その中でも大変よく見知った遺体がある事に気づいた。それは父親であり、妹であり、母親であった。皆が皆、バットや刃物による打撃痕や刃物による創傷をおっていた。苦悶に顔を歪めながら、それでも3人手を繋いで事切れていた。私を残して。


こんなこともあるだろうとは病院を抜け出していた時から内心多少は覚悟していた。でもいざ目の前にすると、多少は込み上げてくるものはある。なのに一方で心は静かな湖面のように凪いでいて。そんな矛盾した気持ち。喜べばいいのか、悲しめばいいのかわからない。どんな気持ちを抱くのが正解なのかすらわからない、そんな奇妙に静かな、凪いだ心地。


あんなに歪で仲の悪かった家族であっても、こんな時ぐらいは手を繋いで逃げるんだな、なんて。私の怯え、憎んだ父親も母親も、複雑な感情を抱く妹も、随分手酷く殴られ刺されていた。


身を守るように身を丸めた彼ら。それでも手は繋いだままの彼ら。その彼らは、やけに小さく見えた。


見開いたままの目をそっと閉じさせてやると、私は小さく呟く。


「さよなら。」


私は最後に彼らを一瞥すると、山道へと進んだ。治安部隊との衝突が原因か、それとも暴徒に襲われたのが原因か、山道に入ると人の気配はほとんど無かった。街の方から聞こえる微かな喧騒も次第に遠のき、私の呼吸の音のみが木霊する。


そして今生最後の夕焼けが地平線に消える頃、漸く頂上に着いた。発電所が破壊されたのか、街には電気の光こそ見えなかったけれど、赫々と燃え盛る炎たちによって上空はほんのりと色づいていた。


やっぱり、病院にいる時は散々聞こえていた街の方の悲鳴や喧騒は最早聞こえない。とても静かだった。微かに聞こえる鈴虫の鳴き声が心地いいぐらい。


それは単に街から遠のいたからか、最期の時が近づいて暴徒も殊勝になったのか、あるいは騒げるようなような人間も残っていないのか。正直なところどうでもいい。


私はこっそりくすねてきたポケットウィスキーの瓶をズボンのポケットから取り出す。瓶に入った琥珀色の液体が、街からの炎で踊るように揺れるのが何だか楽しい。


私は瓶の蓋を開けると辺りに芳醇な酒精の香りが広がった。それは私にとって初めての香り。そういえばこれは未成年飲酒になるのか、とふと思い苦笑する。今から世界は滅ぶというのに未成年飲酒もクソもあるものか。


そしてゆっくりとその輝く液体をひっそりと口にする。度数が高いと話には聞いていたからあくまでちょっぴりと、口に軽く含む程度。だがそれで十分過ぎた。


最初に感じたのは、濃厚なスモーキーな香り。そして、口に含んでいるだけでもピリピリと感じられるアルコールの刺激。そしてふんわり広がる甘いような苦い様な不思議な味。口の中で軽く転がすようにして十分楽しんだ後、思い切って飲み込んでみれば、喉元と胸元に感じるカッとした灼熱感。思わずゲホゲホとむせてしまう。


でも、不思議とその灼熱感は嫌いではなかった。一口、また一口とちびちびと飲んでいく。すぐにトロトロとした、ふわふわとした不思議な感覚がやってきた。これが酔いという感覚。これもまた初めての感覚だったけれど、なぜだか嫌では無かった。


ぼんやりと街の方を眺める。喧騒はやっぱり聞こえない。鈴虫の音色すら止んで、あたりはとっても静かだった。家族が倒れていたあたりをぼんやりと眺める。燻っていた火が何かに燃え移ったのか、チロチロと炎の舌が見え始めていた。


商店街を抜け、混沌の支配する中どこかへ向かおうとしていた家族。位置的には山道を抜け、私の今いるここへ向かおうとしていたというのが妥当なところだろう。


だが、家族が倒れていた場所は私のいた病院に繋がる道路がある道でもあった。少しばかりは遠回りになるけれど。あるいはひょっとして、私を迎えに来ようとしに来てくれたんじゃないかって。


勿論、それはただの夢。ただの私の願望。でもあんなに仲の悪かった家族が、逃げる時ぐらい手を繋いで逃げていたのだ。夢を見るぐらい私の勝手だろう。


でも、もし、本当に私を迎えに来ようとしていたのだとしたら。


それは最悪だ。それはあんまりだ。今更、今更何だというのか。散々殴って、罵って、私の心を殺しておいて。

世界が終わる間際になって、やっと家族ごっことか。くだらない。そう吐き捨てようとして、できなかった。


だって。少しだけ。本当に少しだけ。嬉しいと思っている自分がいることも、否定できなかったから。その自分が、心底気持ち悪くて。


でもまぁ、今となっては考えても仕方の無いことだ。私は軽く琥珀色の瓶を掲げ、奇妙に歪む視界の中、天を仰ぐ。


人工的な明かりが消えて仰ぐ星空は、美しかった。どこまでも広がる暗闇に、正しく文字通り降るような星の光が瞬いている。その内のいくつかの光は正しくこちらに爆進しているのだから、悪趣味な言い分としか言えないのかもしれない。


でも、その降るような満天の星空はまるで宝石箱をひっくり返したかのようだった。天に向かって琥珀色の瓶を軽く掲げ、一口、また一口と口に含む。心無しか、濃厚な燻製の香りがより一層濃くなった心地がした。


ほう、と熱いため息を吐く。きっと今日、人類は滅ぶだろう。世界の終わりがやって来たと言ってもいい。きっとそれは、悲しむべきことなのだろう。絶望すべきことなんだろう。


でも、私の気持ちは酷く穏やかだった。


だって、私はずっと昔から思ってる。死んだ人間こそ幸せで、生きている人間こそ不幸せだ。なぜなら、死ねば、もう苦しまなくていい。不安定な明日というものに怯え、終わりのない努力を積み重ね無くてもいい。世界が滅べば、私達はもう、頑張らなくていいのだ。私達はもう、自由になれる。


誰かが言っていたが、この流星群はソドムとゴモラの町を焼いた天の火なんかじゃない。この流星群こそ、私達に対する福音なのだ。人類を苦しみから救い出す、神の光。それがこの終わり方。


だからこそ私は笑うのだ。軽くステップを踏んで踊り出す。るんたった、るんたった。


大気を切るような唸り声が聞こえる。その声に釣られるように天を仰げば、天を覆い尽くすように無数の駆け抜ける光。


いよいよ始まったのだ。視界の端がチカチカと瞬き天は色とりどりに彩られる。大地は揺れ、ステップを踏み外して大地に投げ出される。最早立って居られない。どこに潜んでいたのか、大量の鳥たちがパニックを起こしたように飛んでいく。その間も無数の流星達が天を彩る。


だけどそれでも私は笑っていた。天を仰ぎ大きく腕を広げる。やがてやってくる救いの光を受け入れるように。


その中でも一際大きな光がこちらに向かってやって来るのが見えた気がした。私は小さくふんわり微笑む。


そして-










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世界の終わりを恋願う 間川 レイ @tsuyomasu0418

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