第3話~運命~

 セレスタリア王国では、秋になると王都セレノアを筆頭に国中で精霊たちへの感謝を伝える『感謝祭』が開かれる。

 北に向かって旅を続けていたトウヤとフィリアは、王都より一足早く祭りの準備が始まろうとしている村、ルオムへ近づいていた。

 

「ルオムに着いたら、この先の身の振り方を考えよう」

「何日か滞在するの? でも……おかしく思われないかしら」

「フィリアは変装しているし、よほど目立ったことをしなければ注目を集めることもないさ。それに野宿するには、そろそろ厳しい季節だ」


(理由は、それだけじゃないけどな)

 

 心の中で、トウヤはそっと付け足した。

 ネルム村を出てから数日が経過していたが、フィリアの口数はエルドの仕事を手伝う前より明らかに減っている。

 トウヤには、それが気がかりだった。


(『俺はお前の罪を知っている』……あの霊が口にした言葉は、フィリアにも聞こえていただろう)


 しかし今のところ、彼女があの件に触れる様子はない。

 トウヤに秘密にしておきたいというよりは、フィリアはこの話題をどう切り出すべきか、迷っているように見えた。


(あの霊はフィリアを見ていた。つまりフィリアに、王家に繋がる『何か』を見たんだろうが……)


 それがなんなのか、無理に話してほしいとは思わない。

 ただ落ち込んでいる様子のフィリアを、元気づけてやりたかった。


「……何日も村にいるのなら、働いてみようかしら」

「えっ? なんだって?」


 思いもよらない言葉が飛び出したので、トウヤは驚いて聞き返した。

 落ち込んでいるとばかり思っていたフィリアは、意外なほどしっかりとした口調で話し始めた。


「トウヤには金銭的にも、頼ってしまっているでしょう? でも、それではいけないわ。私にできることがあるかはわからないけど、働いてあなたにお金を返したいの」

「そんなこと――」


 しなくていいと言いかけて、トウヤは口をつぐむ。

 身体を動かしていたほうが気が紛れることもある。

 それに以前、焚火の番を断ってしまったが、フィリアはトウヤの役に立ちたがっていた。

 これは、いい機会なのかもしれない。

 

「わかった。それなら俺と一緒に働き口を探そう。ルオムでは、そろそろ感謝祭が始まる頃だ。きっと人手を必要としている」

「……感謝祭。あと一週間もしたら、王都でも準備が始まるのでしょうね」


 フィリアの唇から漏れた囁きには、郷愁を含んだ響きがある。

 南に向けられた眼差しには、自責の念も含まれているように見えた。


***


 ネルム村を出てからずっと、フィリアはあの霊が発した言葉の意味を考えていた。


(私の一番の罪は、お母様を置いてきてしまったことだわ。だけどあの霊は『フィリア』ではなく『ルヴェール』と私を呼んだ)


 つまり、王家の罪を告発したかったのではないか。

 王家の罪――それは自分が逃がされたことと、関係があるのだろうか。

 

「フィリア。ルオム村が見えてきたぞ」


 暗い思考へ沈みそうになったとき、トウヤの声が明るく響く。

 頭上に輝く太陽のように眩しい笑顔で、トウヤは前方を指さした。

 

「もう祭りの準備が、始まっているみたいだ。聴こえるか? 太鼓の音がする」


 トウヤの指先を追うと、まだ昼間だというのに赤々と輝く松明の灯りが見える。

 地面を伝って響く重低音のリズムは、王都で遠く耳にしたものよりも素朴で、力強い音に聴こえた。

 

***


 ネルム村は放牧を主な生業としている、寒冷地域らしい村だ。

 火を燃やすために使う薪は、この辺りでは貴重なはずだが、今は祭りの期間なので特別に灯りを多く掲げているのだろう。

 当分の住処として抑えた宿で、火と大地の精霊を刺繍した壁掛けを見つけたことで、トウヤは確信した。

 

「この村は、火と大地の精霊を祀っているんだな」


 宿泊の手続きをしながら宿の主人に話しかけると、無骨な北部の男といった感じの主人の顔がかすかに動く。

 髭と皴に埋もれてわかりづらいが、どうやら笑ったようだった。


「ネルムの冬は厳しいんでな。火の精霊は大切な存在だ。家畜を育む大地の精霊も、同じだよ。特に最近は『恩恵』もない。この二つの精霊がいなければネルムの暮らしは、成り立たんよ」


 『恩恵』――それはセレスタリア王国の王家が国民にもたらす、天の奇跡のことだ。

 日照りが続く地域には、作物を潤す恵みの雨を。

 雨が降り続く地域には、人々や家畜を育む祝福の太陽を与えてくれる。

 国民の求めに応じて王家は『恩恵』を与えてきたが、主人の言う通り、ここ二、三年は『恩恵』が施されることはなかった。


「元々セレスタリアは、精霊の国だ。精霊を大事にしていれば、恩恵などなくともやっていけるがね」


(辺境の村でもこのように言われるとは。王家の力は、かなり弱ってきているのかもしれないな)


 主人に相槌を打ちながら、そっと隣にいるフィリアの表情を窺う。

 その顔が少し青ざめているような気がしたトウヤは、さりげなく話題を変えた。


「ところで、俺たちは仕事を探しているんだ。祭りの期間中だけでいいから、働き口はないかな」

「そういうことなら、うちで働くか? こんな辺鄙な村だがね、祭りを目当てに来る旅人は意外と多いんだ」

「宿の仕事ってことは、部屋の掃除や食堂の配膳なんかだな。……フィリア、やれそうか?」


 話を振ると、青ざめていたフィリアの頬に仄かに赤みが戻ってくる。


「ええ。やってみたいわ」


 ぎゅっと握られた手は小さくて、衣服から覗く腕は青白くて細い。

 そんなフィリアを見て、宿の主人は呻き声ともため息ともつかないものを漏らしたが、すかさずトウヤは人好きのする笑顔を浮かべた。

 

「俺は二人分の働きができる。二人合わせて三人分の働きと思えば、お得だと思わないか」


 この説得が功を奏したのかはわからないが、トウヤとフィリアは祭りの当日までの一週間、この宿『羊牛亭』で働くことになった。

 

***


 『羊牛亭』で働き始めて二日間、フィリアはありとあらゆる種類の失敗をした。

 まだ寝ている客がいる寝室のドアを開けて起こしてしまう、部屋の掃除をするために水を溜めていた桶をひっくり返す、料理が載ったお盆を落としてしまう等々――

 そのたびにトウヤがフォローしてくれたが、働くというより迷惑をかけている状況に、フィリアはすっかり落ち込んでしまった。

 ただし落ち込みはしても、フィリアは決して挫けなかった。

 

(迷惑をかけるばかりの自分では、いたくないわ。それが今の私にできる、最低限のことだから)


 落とした料理で汚れた床を掃除しながら、フィリアは作戦を考えた。


(お盆には、自分が持てる重さの料理を載せよう。その分、配膳が遅くなったとしても、落として台無しにするよりマシだもの)


 反省を生かしながら仕事を続けていると、最初はフィリアへの文句が止まらなかった『羊牛亭』の女将さんも、徐々にフィリアを可愛がってくれるようになった。


「一時はどうなることかと思ったけど、なんとかやれるようになってきたじゃないか」


 お昼の混雑が過ぎると、女将さんはフィリアに休憩を促しながら温かいミルクを淹れてくれた。

 『羊牛亭』の女将さんは寡黙な主人とは対照的に、陽気でおしゃべり好きな女性だった。

 フィリアと同じ年頃の娘がいること、その娘は王都に働きに出ていることなどを、フィリアが口を挟む隙もないぐらい話し続ける。


「だけどね、娘はもうすぐ帰ってくるんだよ」

「それは、お祭りを手伝うために?」


 ようやく口を挟むタイミングを見つけてフィリアが尋ねると、女将さんは薄い眉をかすかにしかめた。


「それもあるけどね。王都は今、物騒なことになってるらしいんだよ。内乱が起きるとかなんとか……まったく感謝祭が近いってのに争いを起こすなんて、精霊への感謝ってもんがないのかねえ」


 内乱の原因については、フィリアにもなんとなく見当がついた。

 

(『天罰』が起きないからだわ。それに『羊牛亭』のご主人は、『恩恵』も起きていないと言っていた……)


 『天罰』は『恩恵』と同様に、王家が起こす奇跡だ。

 ただしこれは、良いものではない。

 王家に逆らう貴族が現れると、必ずその領地に天変地異にも等しい災害が起きるのだ。

 大規模な森林火災や、洪水に飲まれた村もある。

 しかしこれもまた、もう何年も起きていないことをフィリアは知っていた。


「ところで、トウヤとフィリアは兄妹じゃあないよね。でも揃いの眼鏡をかけているし、血縁だろう? それはあんたたちの村の風習かい?」

「……えっ?」


 考え込んでいたので、女将さんへの反応が一瞬遅れる。

 その間にも、話はどんどん進んでいった。

 

「トウヤはいい男だよねえ。見目がいいってだけじゃなくて、気も優しいし。意外と力仕事も得意だし、男として非の打ち所がないよ。娘の夫になってくれないものかね」

「あっ、あの……」


 血縁であることを否定しようとしたところで、フィリアは不意に気がついた。

 逃亡者の身である自分は、もしかしたらトウヤと血縁だということにしておいたほうが良いのかもしれないと。

 けれどもフィリアがまごついている間に、女将さんは勝手に納得して話を進めていった。


「うちはいつまででもいてくれて、構わないからね。そのうちトウヤと娘を引き合わせられたら、嬉しいよ」

「……ありがとう」


 お礼の言葉を言うだけで、フィリアには精一杯だった。

 頭の中では、とりとめのない考えが、浮かんでは消えていく。

 

(トウヤが、女将さんの娘さんの夫になる? そもそもトウヤには、恋人はいないのかしら。ああでも……そういえば、エルドがトウヤはモテると言っていたわ)


 フィリアが落ち着かない気持ちになっていると、宿の勝手口が開く。

 勝手口から姿を現したのは、話題の当人であるトウヤだった。

 

「ああ、休憩中か。女将さんと随分仲良くなったんだな」


 トウヤに声をかけられると、なぜだか胸が騒ぎ出す。

 同時に先ほどの女将さんの話を思い出すと、フィリアは寂しい気持ちにもなったのだった。


***


 一週間が過ぎ、いよいよ『感謝祭』の当日を迎えた。

 今日は村中に松明が灯され、村の中心にある広場には、大きな櫓が設置される。

 この櫓にも火がくべられ、夜が明けるまで炎を焚き続けることで火の精霊への感謝を表すのだ。

 さらに櫓では家畜たちの調理も行われる。

 大地に捧げる歌を歌いながら、家畜たちの肉を食べることが、大地の精霊への感謝の表し方だと『羊牛亭』の主人はトウヤたちに語った。


「どの精霊を祀り、どのように感謝を示すかは、地方によって全然違う。この季節になると、各地の祭りを巡って精霊に感謝を捧げる巡礼者もいるんだ」


 トウヤが説明すると、フィリアの瞳は眼鏡越しでもわかるほどにキラキラと輝いた。


「本当ね。ネルムの祭りは王都のものとは、違うわ。炎がとても綺麗……私はこちらのほうが好きよ」


 フィリアは自分が王都に縁があることを自然に口にしているとは、気がついていない様子だった。

 ただ純粋に胸を躍らせている彼女へ、トウヤも水を差すつもりはなかった。


「『羊牛亭』の主人は、夜は仕事を休んでいいと言ってくれたな。せっかく来たんだから、俺たちも祭りに参加しよう」

「参加って、具体的には何をすればいいのかしら。……実を言えば、今まで感謝祭は遠目から眺めるばかりで、参加したことはないの」


 戸惑いを隠せないでいるフィリアの肩を、トウヤは気持ちを軽くするようにポンと叩いた。


「難しく考えることはないさ。ただ楽しめばいい」


 日が暮れると、トウヤとフィリアは連れ立って村の広場を目指した。

 櫓の周りには丸太で作られた大小の椅子が並べられていて、祭りを楽しみに来た人々が思い思いに腰かけている。

 トウヤたちが傍へ寄ると、この一週間で顔なじみになった村人たちが、二人が座れるように席を空けてくれた。

 

「仔羊の丸焼きを食べるかい?」「ほら、串焼き肉ができたところだ、持ってきてやるよ」「牛肉のパン包み焼きも出来上がったな。火から取り出そうか」


 切り分けたばかりの仔羊の肉が、湯気を立てて皿に山盛りにされる。

 長い串に刺さった肉は、肉汁を垂らしながら運ばれてきた。

 火から取り出されたばかりのパンはすぐには持てないほど熱くて、トウヤはフィリアと一緒に騒がしく声をあげながら頬張った。

 次々に料理を渡されたので、トウヤたちはしばらくの間、会話も忘れて食事に夢中になった。


「んんっ! この肉、柔らかくて美味いな。獣っぽい臭みもなくて、食べやすい」

「香草とスパイスの使い方が上手いのではないかしら。手に持つだけで、いい匂いがするもの」


 この一週間、食堂の手伝いをしたおかげか、フィリアは少しだけ料理に詳しくなっていた。

 手にした料理をしげしげと眺めては大事そうに頬張る様子は微笑ましくて、トウヤはときおり食べる手を止めて見入ってしまった。

 お腹が膨れてきたところで、太鼓と弦楽器の音が聴こえてくる。

 流れてきたメロディに乗せて、村人たちが歌を口ずさみ始めた。

 恐らくこれが、大地の精霊へ捧げる歌なのだ。

 トウヤとフィリアも見よう見まねで歌を口ずさんでいると、示し合わせたように村人たちが立ち上がった。

 

「さあお楽しみの時間だよ。若者たちが、櫓の周りで精霊たちへ感謝の踊りを捧げるんだ」

「俺たちも踊ったほうがいいのか? だが、どんな風に踊ればいいのかわからない」

「曲に合わせて自由にやればいいさ。あとは、周りの真似をしてごらん」


 さあさあと促されて、トウヤとフィリアも前に出る。

 周りを見ると、トウヤたちと同じように男女のペアになった二人が手を繋いで向かい合っていた。


「言われた通り、真似してみるか」

「……そうね、やってみましょう」


 大真面目な顔をしてうなずくフィリアの手を取る。。

 彼女の手は、トウヤの手のひらにすっぽりと収まり、強く握ればつぶしてしまいそうなほど指はか細かった。

 力を籠めすぎないように、慎重にフィリアの手を握ったとき、隣の男女が踊り出す。

 近づいては離れ、また近づいては離れるといった動きは、単調で覚えやすいものだったので、トウヤは安心してフィリアとその動きを真似た。

 しかしほっとしたのも束の間のことで、何度か同じ動きを繰り返すうちに、踊りは抱き合うようなものへと変化していく。


(これ……距離が近過ぎないか?)


「今年は、大勢の恋人たちが参加してくれたな。火と大地の精霊も、喜んでいるに違いない」


 不意にそんな言葉が聞こえてきて、トウヤは理解した。


(そうか。だからこんなに互いの距離が近いんだな。つまり俺たちは、恋人だと勘違いされたんだ)


 なんとなく気まずくなってフィリアの表情を窺ってみるが、彼女は踊りに集中しているのか周りの声は聞こえていない様子だった。

 生真面目な顔で踏むステップはお世辞にも上手いとは言えないが、炎に照らされたフィリアの頬は薄っすらと色づいていて、この場にいるどの娘よりも輝いて見える。

 

(不思議な娘だ。フィリアは俺が出会ってきた、どんな娘とも違う)


 エルドにからかわれた通り、トウヤがモテるのは事実だ。

 ただしそれは自分が望んだことではなく、誰にでも優しくしてしまう性分から好意があると勘違いされ、トラブルになるというのがお決まりのパターンだった。


(俺が優しくすると、女性たちはすぐに『好きになった』と言ってくる。そうして俺にも『好きになってほしい』と言うんだ。……でも、フィリアはそんなことを言わない)


 それどころか、恩を返すのだと必死になっている。

 欲しがるのではなくトウヤに何かを与えようとしてくれていることが、彼女の言動からは伝わってきた。

 どうしてそんな風に思えるのかと考えていると――


「あのねトウヤ。私、ミユリに会ったの」


 突然、腕の中のフィリアが呟いたので、トウヤの心臓は大きく跳ね上がった。

 

「いつの間に……。あいつは何か言っていたか?」


 気持ちを落ち着けて尋ねると、彼女の手がかすかに震えたのが握った手のひらから伝わってくる。

 わずかな沈黙が流れたあと、フィリアはトウヤにだけ聞こえるように囁いた。


「ネルム村に入る前の、野宿をしている時に会ったのよ。最初は夢だと思ったけど、エルドが夢ではないと教えてくれたの。……あなたは、ミユリとは話さないの?」


 質問に質問を返されて、トウヤは一瞬言葉に詰まった。

 それから今までの行動を思い返して、フィリアが何を疑問に思っているのかがわかった。

 

「話さないというか、話せないんだ。ミユリは他の霊と違って、俺の意識がない時にしか出てこられない。だから大概俺が寝ている夜に、俺の身体を使ってるんだ」

「そう……だからミユリは、私に伝えたのね」

「何を伝えたんだ? ……と、俺が聞いてもいいものなのかな……」


 ミユリの話をエルド以外とするのは久しぶりで、どう振る舞うのが正解かわからなくなる。

 そんなトウヤにフィリアは、桜色の頬をほころばせてほほえんだ。


「ミユリは私に、あなたに優しくしてほしいと頼んだのよ。でもねトウヤ……ミユリに頼まれなくても、私はあなたに優しくしたかった。というか、恩を返したかったの。たくさん迷惑をかけてしまったから」


 一度視線を落としたフィリアは、もじもじとしてから思い切ったように顔を上げてトウヤを見つめた。


「この村で働いて、ほんの少しだけ自信がついたの。だけどまだ、あなたに恩を返せたとは言えないわ。だから……あと少しだけ一緒にいてもいい?」


 今までのトウヤだったら『もちろんだ』と即答していた。

 でも答えようとした瞬間、炎に照らされ、生き生きと輝くフィリアが、急に初めて見た女性のように見えてくる。

 その姿に目を奪われている間に――事態が動いた。


***


「きゃあっ!」「なんだ!?」


 村のあちこちで、悲鳴が上がる。

 同時に松明の炎が消え、辺りは暗闇に覆われた。

 うなじの毛が逆立つようなビリビリとした空気が、トウヤの肌に触れる。

 

 「フィリア、こっちだ!」

 

 直感的に嫌なものを感じ取ったトウヤは、フィリアの手を強く掴んで走り出した。

 

 「……っ」

 

 しかし、いくらも走らないうちに足を止めると、汗が滲む手で剣の柄に触れる。

 風を斬る音が聞こえる前に、トウヤは鞘から剣を抜いていた。

 

 ――ギィンッ! ガキンッ!

 

 『祓い』の道具というだけではない剣で、向かってきた刃を受け止める。

 感じる気配から、相手は一人や二人ではなかった。

 戦えないフィリアを連れたトウヤには、圧倒的に不利な状況だ。


(恐らく、こいつらの目的はフィリアだ)


 そう判断したのは、襲ってきた相手が野盗の類にしては、洗練された動きをしていたからだ。

 そしてその点にこそ、トウヤの勝機があった。

 

 「ふうっ……」

 

 短く息を吐いたトウヤは、襲ってくる相手を軽く受け流してから、懐に手を入れる。

 革袋には、こんな時のために集めておいた暖炉の灰が入っていた。

 

(逃げる時間が、稼げればいい。それなら、これで十分だ)

 

 ジャリッ――

 

 闇の中で対峙した相手の、足音が聞こえる。

 その瞬間、トウヤは素早く手を動かし革袋ごと灰を投げつけた。

 

「ぐっ……目がっ……!」

 

 目潰しには成功したようだが、確認している余裕はない。

 再びフィリアの手を掴んだトウヤは、乱暴だと思われるほどぐいっと引き寄せた。

 

 「――っ」

 

 フィリアが鋭く息を呑む音が聞こえる。

 彼女に何か声をかけてやりたかったが、残念ながらそんな余裕はなかった。

 握った手に力を込めて、トウヤはフィリアを連れて全速力で駆け出した。


***


「はぁはぁはぁ……」


 どこをどう走っているのかわからないぐらい、無我夢中で足を動かす。

 足がもつれそうになっても、必死で前に足を踏み出す。

 耳に聞こえるのは、フィリア自身の荒い呼吸の音と砂利を踏む足音だけだった。


「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 そうしているうちに、周りの景色が深い森に変わる。

 追っ手を撒いたと確信できたところで、ようやくフィリアの手を引いていたトウヤが、足を止めた。


「フィリア……大丈夫か?」


 トウヤと一緒にフィリアも足を止めるが、肺は息を吸い込むのに必死でなかなかしゃべり出すことができない。

 足もがくがくと震えて、立っているのもやっとというありさまだったが、なんとか声を絞り出した。


「だ、いじょぶ……っ」


 あえぐような返事しかできず、今にも倒れそうなフィリアとは違い、トウヤは既に落ち着いているように見えた。

 

(剣捌きも手慣れているように見えた。トウヤは、武術にも長けているんだわ)


 よりいっそうトウヤを頼もしく思うものの、それは迷惑をかけていい理由にはならなかった。


(トウヤに自分の身に起きたことを、わからないことも含めてすべて話そう。これだけ巻き込んでしまったのだから、トウヤには知る権利があるわ)


 息が整う頃には決心もついて――フィリアは夜の闇に紛れそうなトウヤの顔を見失わないように、目を凝らして見つめた。

 

「あの人たちは、王が放った追っ手だと思う。私を追ってきたのよ」

「……フィリアは、王家に縁のある者なんだな」


 尋ねる声は、ただの確認のように聞こえた。

 ネルム村で祓った霊が『ルヴェール』と言ったのを、トウヤも聞いていたのだと確信する。

 確信できたことで――わずかに残っていた迷いは、フィリアの中から綺麗に消え去った。


「私は王の妾腹の娘。隠されるように育てられたから、私の存在を知る者は、あまりいないわ」


 フィリアの告白に、束の間の沈黙が訪れる。

 次に発せられたトウヤの声は、少なくともフィリアには動揺しているようには聞こえなかった。


「それなら、なぜ追われている? というかなぜ逃げてきたんだ」

「それは……お母様が私に逃げろと言ったからよ」


 あの時のことを思い出すと、フィリアの胸はズキリと痛んだ。

 その痛みを堪えるように唇を噛みしめてから、フィリアは話を続ける。

 

「王家は『恩恵』と『天罰』、二つの力を行使して、王国を支配しているの。だけど『羊牛亭』のご主人が言っていたように、最近では力を行使できなくなってきている」

「……王家の力が弱まってきているのは、俺も感じていた。そのことと、フィリアが母上に逃がされたことが関係しているのか?」

「ええ、たぶん。二つの力を行使するために『ある装置』が使われているのだと、お母様は教えてくれたわ。そしてその装置が、上手く動かなくなってきていることも」


 傍の木の上で、フクロウが鳴いている。

 その鳴き声が厳かな審判者の声のようにも聞こえて、フィリアはぶるりと身体を震わせた。


「お母様は、はっきりとは言わなかったけれど……装置を直すために、私は必要な存在なのだと思う。でもきっと、役割を果たしたら私は無事ではいられない」

「生贄のような扱いを受けるということか。……お前を死なせたくなくて、母上は逃がしたんだな」

「……そう思うわ。でなければ、自分の身に起きたことの説明がつかないの。あんなに必死なお母様は、初めて見たから」


 すべてを話し終えたフィリアは、大きく息を吐きだした。

 胸の痛みはさらに大きくなったが、ここで話を終わりにするわけにはいかなかった。


「たくさん迷惑をかけて、ごめんなさい。もうわかっていると思うけれど、私は厄介な存在よ。だからここへ置いていって」


 覚悟を決めて言ったつもりだったのに、ぎゅっと握りしめた指先が、冷たくなっていく。

 トウヤの顔を見るのが怖くて俯きかけたとき、フィリアの肩をトウヤが掴んだ。

 大きな手に込められた力は、痛いほどだった。

 それでもフィリアは痛みよりも、指先から伝わる熱を強く感じた。


「置いてなんか、いくわけがない。……ほら、行くぞ」


 ためらいなくフィリアの手を握って歩き出したトウヤの声は、やっぱり温かかった。

 

「追っ手に見つかるから灯りはつけられないが、多少なら夜目が効く。俺が足場の良さそうなところを選んで歩くから、ついてきてくれ」

「……ありがとう」


 これまでトウヤが見せてくれたすべての優しさに対して、お礼を伝える。

 優しく握られた手のぬくもりに涙がこぼれそうになるのをこらえながら、フィリアは黙ってトウヤの後ろを歩いた。


***


 森の奥に洞窟を見つけた二人は、陽が登るまでそこで過ごすと決めた。

 火を焚けないので、フィリアはマントにくるまりトウヤと身を寄せ合った。

 しばらくすると隣から寝息が聞こえてくる。

 触れた肩が上下していることから、トウヤが眠っているのは間違いないようだった。

 けれどもフィリアは、目を閉じてもいっこうに眠れずにいた。


『眠れない?』


 出し抜けに問いかけられて、はっとする。

 すぐにミユリだとわかったので顔を上げると、自分を見つめる青紫の瞳と目が合った。


『罪悪感があるから、眠れないんだね。トウヤを自分の運命に巻き込んでしまったと、思っているんでしょう』

「ええ、そう。よくわかるのね」

『わかるよ。私たちにも、覚えがあるものだから』


 「私たち」と言う時、ミユリは『トウヤ』の腕をポンポンと叩いた。

 それは、二人の絆を感じさせるような仕草に見えた。

 

『だけどそんな風に思わなくてもいい。これは、私たちの咎でもあるんだから』


 ミユリの声は落ち着いていたが、静かな洞窟の中ではひときわ大きく響いた。

 

『私たちの一族も、王家と関わりがあるんだ。だからきっと、君とトウヤが出会ったのも運命なんだろうね』


***


 使命を果たせば、自由になれる。


 あなたはそう言った。

 迷いのない眼差しで。


 私も、あなたの手を取ることを迷わなかった。

 あなたの言葉を信じたからではなく、あなたの想いを受け取りたかったから。


4話へ続く

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夜渡りの逃亡者 夕月燈 @yuzu_writer

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