第2話~咎人~
リム村を出てから、二日。
獣しか通らない森の中を歩きながら、トウヤは隣を歩くフィリアを見やった。
(これ以上人里を離れて進むのは、厳しいか)
リム村を出る前に靴は手に入れていたが、フィリアの足取りはおぼつかない。
そもそも育ちの良さそうなフィリアには、二日間の野宿は相当堪えているに違いなかった。
「フィリア、明日は人里へ向かおう。そろそろベッドのある場所で休みたいだろう? 服も着替えた方がいい」
トウヤの服を着たフィリアに告げると、彼女は恥じらうように俯いた。
丈の合わない裾を必死にたくし上げている彼女を見て、トウヤはようやく自分の過ちに気がついた。
「お前が変だとか、汚れているとか、そういう意味で言ったんじゃない。俺の服じゃ、動きづらいだろうと思っただけだ。それに、何かから逃げているんだろう? だったら、変装は必要だ」
急いで言葉を付け足すと、記憶を探るように視線を彷徨わせたフィリアは、少しして合点がいった様子になった。
「変装というのは、前にあなたがマントを貸してくれたようなこと?」
「あとは、俺みたいに眼鏡をかけるのもひとつの手だな。この先の村には、俺の眼鏡を作った幼馴染が住んでるんだ。きっとお前に合うものも作ってくれる」
「あなたのような眼鏡……それをかけたら、あなたとおそろいになるのかしら」
「はは。そうかもな、おそろいだ」
『おそろい』と聞くと、こわばっていたフィリアの顔がふわりとほころぶ。
小さなつぼみが花開いたような無垢な笑顔は、トウヤを温かな気持ちにさせた。
(なんだか、幼子を相手にしているような気分だな。懐かれていると感じる)
「すぐにでも向かいたいが、今日中に辿り着くのは無理だな。悪いがあと一晩、野宿で我慢してくれるか?」
「大丈夫。もう、慣れたわ」
そう言った瞬間、落ちていた枝を踏んだのか、フィリアの身体がよろりと傾く。
慌てて掴んだフィリアの腕は細いけれど柔らくて、その感触はトウヤにかすかな罪悪感を抱かせた。
***
完全に陽が落ちてしまう前に、フィリアはトウヤにならって焚火に使う枝を集めた。
(慣れたと言ったのは、嘘じゃないわ)
「これでいい? 数は足りる?」
「ああ、十分だ。ありがとう、フィリア」
(役に立った。私も、やればできるんだわ)
トウヤから礼を言われると、フィリアの胸は誇らしさでいっぱいになった。
自分の『仕事』に満足しそうになるが、てきぱきと火を起こすトウヤを見ているうちに、高揚した気持ちは徐々にしぼんでいった。
「ほら、今日の飯だ。こんなものしかなくて、悪いな」
「謝らないで。私はあなたの食料を分けてもらっているのだから」
保存食を手渡される頃には、しぼんだ気持ちは地の底まで落ちていた。
トウヤと出会ってからというもの、フィリアは彼に頼り切りだった。
このまま世話になるだけではいけない。
そう気づいたフィリアは、決意を固めて顔を上げた。
「今日は、私が火の番をするわ」
焚火の火種が消えないように、トウヤが気を配っていることには、気がついていた。
そのせいでトウヤはぐっすり眠れていないはず。
自分が役割りを代われば、今日は休ませてあげられるだろうと考えたのだが――
「火の番? お前が……?」
目を丸くしたトウヤは、次の瞬間、盛大に吹き出した。
「ふ、あはは! お前は俺が起こすまで、ぐっすり眠ってるじゃないか。今朝も毛布を掴んで離さなかったのに、夜中に起きるなんて絶対に無理だ」
「そ、それは……毛布が気持ち良かったからだわ。だけど、起きると決めたらちゃんと起きられる。やり方さえ教えてもらえれば、あなたの代わりもできるはずよ」
ぐっと身を乗り出して主張すると、トウヤは気圧されたように軽く身を退いた。
けれどもすぐにほほえんで、まるでフィリアを諭すように頭を撫でた。
「お前は俺を心配してくれたんだな。笑ったりして悪かった。だけど、そんなに心配しなくても大丈夫だ。俺はお前が思うより、しっかり休んでるから」
(断られてしまった……)
笑われたことが気恥ずかしく、提案を却下されたことに落胆する。
自分の気持ちを整理するのに忙しかったフィリアは、このときはまだトウヤの言葉の意味を、深く考える余裕がなかった。
***
――パチパチと火が爆ぜる音がする。
一昨日と昨日は慣れない行軍に疲れて、ぐっすり眠っていたフィリアだったが、今日はその音がやけに耳について目を覚ました。
「……?」
焚火の前には、トウヤが座っている。
特におかしなことはないはずなのに、その姿に違和感を覚えたフィリアはそっと身体を起こした。
『起こしてしまった?』
トウヤの方から聞こえてきた声は、彼のものではなかった。
この状況に覚えのあったフィリアは、ぎくりと身体をこわばらせた。
「……また、霊を憑かせているの?」
『そう。でも私は他の霊とは違う。トウヤが私を祓うことはないよ。私はトウヤといつも一緒にいる』
トウヤに向かって問いかけたのに、答えたのは霊だった。
フィリアが目にした『憑き人』のトウヤは、霊を憑かせながらも自分の意識を保っていた。
でも今は、『トウヤ』の意識が出てくる気配はない。
確かにこの霊は、他とは違う存在のようだった。
『そうは言っても、私はトウヤが眠っているときしか表に出ないけどね。誰かと話すのも、本当に久しぶり。……ねえ、隣に座ってもいい?』
聞こえてくる声は、三日前に現れた霊のようにひび割れた恐ろしいものではない。
夜の静けさの中で響く声は、むしろフィリアに親しみを覚えさせた。
「ええ、どうぞ」
フィリアが答えると、トウヤの姿をした何者かが足音も立てずに隣へやってくる。
無造作にフィリアの隣に腰かけたトウヤは、眼鏡を外していた。
むき出しになった青紫の瞳は、焚火の炎を受けているせいか橙色に煌めいていて、まるで幼い子供が好奇心に目を輝かせているように見えた。
『初めましてフィリア。君からは、トウヤと同じものを感じるよ』
「同じ……って、何が? それに、あなたは誰なの?」
戸惑って尋ねると、煌めく瞳でフィリアを見つめた『トウヤ』は、胸に手を当ててほほえんだ。
『私はミユリ。トウヤの片割れだよ。同じと言ったのは、君が持つ雰囲気のことかな』
「……片割れ?」
『双子なんだ。トウヤは私の弟。私は死人だけど、トウヤと共に生きているとも言える』
「トウヤの……お姉さま?」
『ミユリ』はありふれた世間話をするように、すらすらと話した。
けれどもその内容は、フィリアが飲み込むには時間のかかるものだった。
双子。
死人の姉。
焚火が爆ぜる音を聞きながら、フィリアは『ミユリ』に言われた言葉を心の中で反芻した。
『……トウヤは、優しいよね』
「ええ、とても」
混乱していても、この問いには即答すると『ミユリ』は声を立てて笑った。
『ふふ、やっぱりそう思う? 自慢の弟なんだ。だけど優しすぎて、ときどき無理をする』
一度口をつぐんだ『ミユリ』は、温かな煌めきを湛えたままの瞳でフィリアを見つめた。
『これからもトウヤの傍にいるのなら、トウヤが君に優しくするように、君もトウヤに優しくしてくれる?』
「もちろんよ。約束する」
フィリアが答えると、『ミユリ』は満足した様子で立ち上がる。
なんの未練もなさそうに元いた場所へ戻ろうとする『ミユリ』を見て、なぜかフィリアの方が名残惜しくなった。
「待って、ミユリ。毎晩、火の番をしてくれていたのは、もしかしてあなたなの?」
思わず呼び止めると、『ミユリ』は先ほどまでと変わらない調子で、あっさりと答えた。
『うん、そうだよ』
「そう……あなたも、優しいのね。ありがとう」
感謝の気持ちを伝えると、『ミユリ』は驚いたように目を見開く。
それから大きく顔をほころばせて、満面の笑顔になった。
『そんなことは初めて言われた! 君も優しいね、フィリア』
向けられた笑みは死人というには生き生きとしていて、見た目よりも幼く見える。
トウヤの顔に浮かんだいつもの彼と違う表情は、フィリアに新鮮な驚きをもたらした。
そのせいでフィリアは、横になってもしばらく眠ることができなかった。
***
朝、トウヤが目覚めると、焚火の火はまだ燃えていた。
ミユリが火の番をしていたことはわかっていたので、トウヤにとって、これはいつも通りの朝の風景だった。
「フィリア、朝だぞ」
しかし揺り起こしたフィリアの反応は、この二日間とは少し違っていた。
「トウヤ……? 私……ずっと寝ていた?」
「ああ。今日もよく寝ていた」
「そうよね……」
首を傾げたフィリアは、そのまましばらく静止した。
そうやって動きを止めると、朝の柔らかな光に包まれた彼女は、まるで絵画に描かれた精霊のように見える。
フィリアが美しい娘なのだと改めて気がついたトウヤは、なんとなく落ち着かない気持ちになって目を逸らした。
「朝ごはんを食べたら、出発しよう。一時間ぐらい歩けば、目的の村に着くはずだ」
目を逸らしたまま、懐にしまっていた眼鏡をかける。
眼鏡に触れた瞬間、これから向かう村にいるはずの懐かしい幼馴染の顔が、脳裏に浮かんだ。
***
目指していた村――ネルムに到着すると、トウヤはマントのフードを深く被らせたフィリアを連れて、幼馴染の店を目指した。
ネルム村はリム村よりも大きく、村の中心をはしる大通りの両脇に、天幕がいくつも並んでいる。
並んだ天幕は、旅人たちを目当てに食べ物や土産物、ときには武器の類までも売る、商いの店のものだった。
「ここだ。入ってくれ」
しばらくして宵紫の天幕の前で足を止めたトウヤは、フィリアを手招きした。
風に揺られたベルベッドの布は金のタッセルで縁取られており、簡素な白い布の周りの天幕と比べて、そこだけ異国の空気が滲んでいる。
(この雰囲気は、相変わらずだな。どうやら、商売を変えてはいないようだ)
入る前から幼馴染の健在ぶりを感じとりながら入店すると、長いパイプをくゆらせた男が天幕の奥に座っていた。
男は天幕に入ってきたトウヤの姿を認めると、かけていた眼鏡をはずして目をすがめた。
女性たちを虜にする切れ長の目で視線を寄越した幼馴染の姿に、予感は確信に変わる。
「久しぶりだな、エルド。インチキ占い師は、板についてきたのか?」
「インチキとは、お言葉だな。俺はちゃんと『視た』ものを客に伝えているぜ」
不満を口にしながらも、トウヤの幼馴染――エルドは、ニヤリとほほえんで甘い香りのする煙を吐き出した。
「お前が女連れとは、珍しい。どれだけモテても相手にしなかったのに、どういう風の吹き回しだ?」
「……トウヤは、女性に人気があるの?」
すると今まで大人しくしていたフィリアが、突然エルドの言葉に反応した。
なんとなく気まずくなったトウヤが口を挟もうとしたとき、エルドが立ち上がる。
近づいてきたエルドは、フードの影に隠れたフィリアの顔を覗き込むと眉を顰めたが、すぐに切れ長の目を細めて薄く笑った。
「そうだよお嬢ちゃん。トウヤは見目もいいが、だれかれ構わず優しくするからな。こいつに落ちた女は、片手じゃ足りねえ」
「おい、勘違いさせるような言い方をするなよ。そもそも女性に人気があるのは、俺じゃなくてお前の方だろう」
「俺がモテるのは、否定しねえけどな。俺よりお前の方が、よほど質が悪いときがあるんだぜ。気づいてはいないみたいだが」
からかうように言ってのけたエルドは、再びフィリアへ視線を戻した。
「まあそういうわけだから、トウヤとは一緒にいないほうがいい。早晩泣かされる」
「フィリア、エルドの言うことは話半分で聞いてくれ。それからエルド、そろそろ本題に入らせろ。俺たちは眼鏡を買いにきたんだ」
目的を果たすために会話に割って入ると、エルドはあっさりと軌道修正に応じた。
「わかってる。お嬢ちゃん用だろう? 必要なのは眼鏡だけか?」
「……できれば、フィリアに合う服も手に入れたい。動きやすく、目立ちにくいものだとありがたいな」
「注文が多いな。代金はどうする? お前が払うのか?」
「ああ。いつも通り、仕事の手伝いでチャラにしてくれ」
「ハッ、調子のいい奴め。なら、とびきり面倒な仕事を手伝ってもらうぜ。ちょうど厄介な案件を抱えていたところだ」
話がまとまると、天幕の奥に戻ったエルドは、トウヤに向かって銀貨が詰まった財布を投げて寄越した。
「眼鏡は一晩あれば作れる。服はお前がその辺で適当に買ってこい。その間、お嬢ちゃんは俺が預かっておいてやるよ」
トウヤは思わずフィリアを振り返った。
甘い煙が漂う怪しげな天幕の中で、フィリアの姿はいつにも増して純真に見える。
エルドが醸し出すいい加減な雰囲気とはまるで真逆で、二人きりにすることにトウヤは一抹の不安を覚えた。
しかしフィリアを人通りの多いところへ連れて行きたくないのも、また事実だ。
結論は、すぐに出た。
「すぐに帰ってくるから、ここでエルドと待っていてくれるか、フィリア」
「ええ、わかったわ」
「ゆっくり行ってきな。お前の心配するようなことはしねえから、安心しろ」
ニヤリと笑うエルドに嫌な予感は膨れる一方だったが、長い付き合いで信用できるやつだというのは、よく知っている。
わずかに逡巡したものの、トウヤは何も言わずに天幕の外へ出ていった。
***
残されたフィリアは、物珍しさからきょろきょろと辺りを見回した。
幾重にも重ねられた布は外光を遮り、天幕の中は仄暗い。
頭上には精緻な模様を彫り込んだ色ガラスのランプがいくつも吊るされ、オレンジ色の光が複雑な影を作っていた。
(外とは、まるで違う。別世界に来てしまったようだわ)
初めて見る光景にフィリアが感動を覚えていると、不意に頭上に影が落ちる。
灯りを遮るように近づいてきたのは、エルドの影だった。
「それで? お嬢ちゃんは、いつまであいつと一緒にいるつもりなんだ?」
エルドもまた、トウヤと同じぐらい美しいと形容できる男性だった。
褐色の肌に、黒髪、瞳の色が青紫色なのも同じ――けれども目に宿る温度は冷たく、その視線に射抜かれると、心臓を一突きされたような心地がした。
「あいつは、飛びぬけたお人好しだからな。自分の身を顧みずに、厄介事を抱え込んだのは一度や二度じゃない。だがお嬢ちゃん。俺の見立てではあんたの厄介は特大級だ」
エルドの指摘は、図星だった。
このまま一緒にいたらトウヤに迷惑がかかるのは、間違いない。
そうして不意にフィリアは理解した。
この人はトウヤを心配しているのだ。
フィリアへの冷たい態度は、トウヤへの思いやりの現れに違いなかった。
(それなら、私と思いは同じだわ)
「わかっているわ。眼鏡と服を受け取ったら、私は一人でここを出ていく。私もトウヤに、これ以上迷惑はかけたくない。優しくしたいの」
フィリアにとっては何気なく口にした言葉だったが、なぜかエルドは驚いたように目を見開いた。
「あんた……まさかミユリに会ったのか? あいつは二言目には『トウヤに優しくしろ』と言いやがる」
「……彼女は、私の夢じゃないの?」
「夢じゃない。まあでも、そう思うのも無理はねえか。あいつはトウヤが寝てるときにしか出てこないから。そうか……ミユリは、あんたの前に姿を現したんだな」
エルドの声は、先ほどまでよりも少しだけ柔らかく感じる。
ためらうような沈黙の後、彼は再びフィリアに尋ねた。
「ミユリはあんたに、なんて言った?」
「……あなたの言った通りよ。トウヤに優しくしてほしいと言っていた。これからも傍にいるなら、そうしてほしいと私に言ったの」
「そうか。あいつは変わらねえな」
笑みを含んだため息を吐いたエルドの表情は、何かを懐かしんでいるようにも、呆れているようにも見えた。
頭上の影が、ゆらりと揺れる。
フィリアの傍から離れたエルドは、天幕の奥に置かれたテーブルに腰かけると、値踏みするような目でフィリアを眺めた。
「仕事、あんたも手伝えよ」
急な展開に、フィリアは瞬きをする。
さっきまでエルドはフィリアを追い払おうとしていたのに、いったいどういうことだろう。
「私はまだ、トウヤの傍にいてもいいの?」
「それを決めるのは俺じゃない。トウヤとあんただ。……だが、忠告はしたぜ」
理由はわからなかったが、『ミユリ』の存在が引き金になったのは、フィリアにも感じ取れた。
まだトウヤの傍にいられると考えた途端、自分でも気づかないうちに肩の力が抜けていく。
(仕事を手伝えば、少しは今までトウヤにかけた迷惑への、お詫びにはなるかしら)
手伝わせて――と言おうとして、フィリアは肝心なことを聞いていないと気がついた。
トウヤやエルドの口ぶりから、手伝う仕事は眼鏡作りとは関係ないように思える。
しかしフィリアには、それがなんなのかまったく見当がつかなかった。
フィリアの疑問を感じとったのか、エルドはテーブルに置かれた水晶の結晶のようなものを手に取ると、フィリアに見えるようにかざしてみせた。
「俺も『憑き人』だ。その力を使って占いやまじないをしてるが、能力がバレねえようにこういう道具で誤魔化してる。だが実際には客の守護霊を『視て』、客へアドバイスしてるってわけだ」
「……そんな特殊な仕事を、私も手伝えるの?」
「問題の案件の客は、悪霊に憑かれていて、ひどく怯えている。あんたは話し相手にでもなってくれ」
「わかった。お客様の気持ちを、落ち着かせてあげればいいのね」
「ああ。その間に、俺が『憑き人』の能力で霊を降ろして、トウヤに祓わせる。トウヤがいなきゃこの手は使えなかったから、実際来てくれて助かったぜ」
エルドの言葉に納得しそうになるが、フィリアはふと違和感に気づいた。
「あなたが一人で霊を降ろして、祓うのではだめなの? トウヤはそうしていたわ」
フィリアが尋ねると、手の中で水晶を弄んでいたエルドの動きが止まる。
物憂い顔になったエルドは水晶を手放してパイプをくわえると、気だるげにフィリアを眺めた。
「俺たちの一族は『憑き人』か『祓い』、どちらかの能力を持っている。だがトウヤのように二つの力を持つ者は、滅多に現れない。……『祓い』は本来ミユリの能力だ。二人が一つの身体にいるから、一人で降ろして一人で祓うなんて芸当ができんだよ」
***
トウヤが買い物を終えてエルドの天幕に戻ると、なぜかフィリアも仕事を手伝うという話になっていた。
仕事は明日にすると宣言したエルドは、フィリアの眼鏡を作るために占いの店は早々に店じまいにしてしまった。
「俺は家に戻るが、お前たちも来るか? 宿代、浮かせたいだろ」
「悪い。恩にきるよ」
(どうやらフィリアをいじめたりは、していないみたいだな)
買い物に出かける前に抱いた不安は、今は感じない。
隣で大人しくしているフィリアも、エルドの申し出を嫌がる素振りはなかった。
仕事を手伝うという話にまでなったのだから、二人は仲良くなったのかもしれない。
そんな風に楽観的に考えていたトウヤだったが、翌日、仕事の全容を知ると、とても呑気にかまえてはいられなくなった。
***
「夜ごと悪夢を見せる霊だって? それは、悪霊のなかでもたちが悪いやつじゃないか」
「だから面倒な仕事だと言っただろ。だが、俺とお前なら上手くやれる。大丈夫だ」
「……そもそも、占い師のお前のところへ、なぜ霊に関する相談事が舞い込むんだ。そこから説明しろよ」
トウヤの一族の者は、能力のことは明かさないようにしている。
ましてやエルドは、トラブルを極力避けるタイプなので、積極的に霊を祓ったりはしないはずだった。
「最初はどうにもツキがないから、見てほしいと言われてな。だがその客を『視て』みたら、たちの悪いのが憑いてたってわけだ」
説明を続けながらも、エルドはやる気の無さそうな態度でパイプを口にくわえる。
ひと口吸うと、まるで面倒事を吐き出すように、ふうーっと甘い煙を吐き出した。
「『視た』感じ、そいつは客の血筋に連なる者だ。過去に何某かの恨みを抱えていて、それを晴らすように訴えかけているようだが、肝心の本人には意味のなさない唸り声のようにしか聞こえてねえ」
「だから悪夢と表現しているのか。霊を祓えば、その客にはツキが向いてくるんだな?」
「まあよく眠れるようにはなるだろうから、今までよりは楽しく生きられるんじゃねえか」
(いい加減だな。だが、占いとは気休めのようなものなのかもしれないし……人助けには違いないから、やる意味はあるか)
唯一の気がかりは、フィリアだった。
(俺ならすぐに祓えるが、絶対に安全とは言い切れない。できれば、席を外していてもらいたいが)
「私も頑張るわ。任せて」
当のフィリアはトウヤの心配に反して、使命に燃えているとも言えるほどに張り切っていた。
こうなったら、何がなんでも素早く安全に、霊を祓おう。
トウヤがそんな決意を固めていると、ビロードの天幕がかすかに揺れた。
「あのう……エルドさん。入ってもいいかしら?」
「ええ、どうぞ」
ちょうどいいタイミングで、問題の客が現れる。
おどおどと怯えた様子の女性が天幕に入ってきた途端、エルドに改めて説明してもらうまでもなく、トウヤにも状況が飲み込めた。
女性の肩には、どしっとのしかかるように壮年の男の霊が憑いている。
その霊が囁く声も、トウヤにははっきり聞こえた。
『剣を、とれ……。俺は、殺された……あいつに、あいつらに、復讐を……』
「……この方たちは?」
霊の声に重なるように、客の女性の声が聞こえる。
パイプを置いたエルドは、切れ長の目を細めて妖艶な笑みを浮かべた。
「用心棒と助手ですよ。お気になさらずに。それよりさっそく、ツキがよくなるまじないを始めましょう」
「ええ、お願い。言われた通り、お金は持ってきたわ」
女性が取りだした財布は、銀貨でパンパンに膨らんでいる。
これだけでエルドが厄介な依頼を引き受けた理由が、トウヤにはよく理解できた。
「では、私の前に座ってください。トウヤ、お前は俺の横へ。フィリア、あんたは彼女の肩に手を置いてくれ」
「了解」
「わかったわ」
エルドに命じられた通り、トウヤとフィリアはそれぞれの配置につく。
まず、トウヤが鞘に入ったままの剣を弧を描くように動かした。
これは現世と幽世を近づける儀式だ。
そうしていつでも抜けるように剣の柄に手を置くと、トウヤはエルドと視線を合わせた。
――目で合図を出すと、エルドの身体がぐらりと傾ぐ。
あとは自分が祓えば、万事解決――そのはずだったのだが。
大きく揺れたエルドの身体が、ぴたりと止まる。
次の瞬間、目をカッと見開いたエルドは、正面にいるフィリアを血走った目で睨みつけた。
『おぉ、おぉ……目の前にいるではないか……! 俺の、恨みを晴らすべき相手が……!』
言葉の意味を、深く考えている余裕はなかった。
反射的に剣を抜き放ったトウヤは、素早い動作でエルドの胸にそれを突き立てた。
『あぁ……ああああぁぁぁぁ…………ッ』
断末魔というには悲哀に満ちた声をあげながら、霊はエルドの身体から離れていく。
浄化される直前、フィリアを凝視したまま霊がこぼした囁きは、トウヤの耳にはっきりと届いた。
『ルヴェール……俺は、お前の罪を知っている……』
ルヴェール。
それは、この国ではひとつの家しか名乗ることの許されない家名。
――すなわち、王家の名前だった。
3話へ続く
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