第3話 星野家の古道具に、百年越しの優しさが宿る
汐見市のイチョウ町はイチョウ林の東側に位置していて、レトロな雰囲気の住宅街だ。青石の道の両側にはイチョウの木が植えられていて、秋風が吹くたび黄金色の葉が道一面に敷き詰まり、足を踏み入れるとさらさらと音が鳴る。
浅羽杏が星野朔に従って三丁目十二番地の門前に着いた時、空に残っていた最後の夕陽の光もちょうど消え、路地の入口の街灯が暖かい光を放ち始めた。ここは小さな庭付きの木造の古家で、塀には枯れかけたツル植物が這っていて、鉄の門は緩く閉まっていて、鴨居に刻まれた「星野」の家紋は年月によってぼやけているけれど、精巧な模様はまだ見て取れた。
「ここが……俺の家?」星野朔の視線が古家のあらゆる場所を巡り、迷いと懐かしさが混ざった表情になった。古家に近づくにつれて彼の姿はさらにはっきりとなり、人間のような淡い温度さえ感じられるようになった。
杏は鉄の門をそっと押すと、戸車が「きしり」と音を立てた。庭の中のイチョウ葉が風に卷き上げられ、二人の足元を旋回した。「入ってみよう、君の古道具がまだ残っているかもしれないよ。」
二人が庭に入ると、玄関の方から小さな足音が聞こえてきた。白髪のおばあさんが引き戸を開けて顔を出し、杏を見て一瞬呆気に取った後、まるで彼女の後ろにいる星野朔を透かして見ているようで、驚きの色を浮かべた。「お嬢さん、どなたをお探しですか?」
「おばあさん、こんにちは。浅羽杏と申します。佐藤雪穂さんのお願いで、星野家の方へ何かを届けに来たんです。」杏はポケットの百年前の手紙を握り締めて、少し緊張しながら話した。
おばあさんの目が一瞬輝いて、すぐに引き戸を全開にした。「早く入っておいで!雪穂おばあちゃんの話は、母からよく聞いてたわ。私は星野家の孫娘で、星野千鶴と言うのよ。」
杏は千鶴さんに従って古家に入ると、星野朔の姿もすぐに後を追ってきた。リビングにはレトロな木製の家具が置かれていて、壁には色褪せた家族写真が飾られている。写真の中の銀灰色の髪の少年は眉目が星野朔とそっくりで、その隣に立つ優しい雰囲気の少女は、手帳に描かれた佐藤雪穂その人だった。
「これは私の曽祖父の星野朔で、婚約者の佐藤雪穂おばあちゃんです。」千鶴さんは写真を指してため息をついた。「曽祖父は百年前に突然行方不明になって、雪穂おばあちゃんは一生彼を待ち続けて、亡くなる前まで『この古家を守っておけ、いつか曽祖父が戻ってくる』と私たちに嘱託してたのよ。」
星野朔は写真の前に歩み寄り、指をそっと雪穂の顔にかざした。「俺が戻ってきたよ、雪穂。ただ百年遅れてしまった。」
千鶴さんは何かを聞いたように、星野朔のいる方向を振り返った。目には見えないけれど、誰かに応えるように笑った。「おばあちゃんが言ってたわ。曽祖父は星屑界の想いに縛られていて、誰かが彼の執着を解かないと戻って来れないって。浅羽さんが届けてくれたものは、それと関係があるのかしら?」
杏はカバンから百年前の手紙と『汐見林間手帳』を取り出して千鶴さんに渡した。「これは雪穂さんがイチョウ林の木の根元に埋めていた手紙と手帳です。君たちの約束が全部記されているんです。」
千鶴さんは手紙と手帳を受け取って中身を翻すと、だんだんと目頭が熱くなった。「おばあちゃんはこんなことを手帳に書いてたんだね。曽祖父との約束を、イチョウの葉に隠していたんだ。」千鶴さんは箪笥から木の箱を取り出して開けると、中には銀鈴のしおりと一沓の色褪せた手紙が入っていた。「これは毎年おばあちゃんが曽祖父に書いた手紙よ。私たちはずっと手をつける勇気がなかったんだ。」
星野朔の視線が木の箱の銀鈴しおりに釘付けになった。これは杏の持っているのとまったく同じデザインで、ただ赤い紐は色褪せていた。しおりを取り上げると、指が銀鈴に触れた瞬間、封印されていた記憶が突然彼の脳裏に湧き込んできた——
百年前の秋の日、彼は雪穂と老いたイチョウの下に座っていて、雪穂がこのしおりを彼の制服のボタンに結びつけて笑って言った。「手作りだから、これを見れば私のことを思い出してね。」彼は当時嬉しそうに約束したけれど、それが二人の最後の穏やかな時間になるとは知らなかった。星屑界の亀裂が突然拡大し、彼は雪穂を守るために亀裂に巻き込まれ、幽霊の姿でイチョウ林に閉じ込められ、記憶も封印されて、ただ「一通の手紙を探す」という執着だけが残った。
「全部思い出した。」星野朔の声には解き放たれたような感情が込められていた。「当時行方不明になったんじゃなくて、雪穂を守るために星屑界の執着に捕まったんだ。雪穂が一生俺を待ってくれたのに、手紙も届けられないままで……」
杏は彼の様子を見て、心の中に優しい切なさが広がった。千鶴さんのそばに寄り添って木の箱の手紙を指した。「これらの手紙は、雪穂さんが星野朔さんに届けたかった想いです。星野家の皆さんにも、彼女の想いが決して変わらなかったことを知ってほしいんです。」
千鶴さんは手紙を杏に渡し、空の方へ話しかけた。「曽祖父、おばあちゃんの遺骨はイチョウ林の老木の下に撒かれてるのよ。君たちの約束の場所だから、永遠に君のそばにいられるんだ。聞こえてるなら、一度会いに行ってあげてね。」
星野朔は千鶴さんに軽く頷いた。千鶴さんは彼の姿が見えなくても、応答を感じたように解き放たれた笑顔を浮かべた。
星野家を出た時はもう夜が深くなっていた。イチョウ町の街灯が二人の影を長く伸ばし、星野朔は手の中の銀鈴しおりを握り締めて、行く手の足取りは来た時よりもずっと軽やかだった。
「杏、本当にありがとう。」星野朔は突然足を止めて杏に振り返った。「君がいなかったら、俺は一生イチョウ林に閉じ込められたまま、雪穂のことも、二人の約束も忘れたままだっただろう。」
杏は笑って足元のイチョウ葉をけってみた。「手紙守りとして当然のことだよ。」少し頓いてから好奇心から尋ねた。「それで君の執着は解けたの?イチョウ林を離れてしまうの?」
星野朔は手の中のしおりを見つめて頭を振った。「執着は解けたけれど、離れたくない。雪穂の遺骨がこの林にあるし、おばあちゃんも一生ここを守ってきた。俺はイチョウ林の『林守り』になって、君と一緒に星屑界の想いを届けたいんだ。」
彼の言葉に杏の心はほんのりと暖かくなった。顔を上げて彼を見ると、彼の姿は少し透明になっているけれど、消えてしまう様子ではなく、イチョウ林の光粒に溶け込んで、より柔らかくなっていた。
「手紙守りはただ手紙を届けるだけじゃないんだ。」星野朔は説明した。「イチョウ林の星屑界の亀裂を守る人も必要だ。俺がここにいることで、亀裂が拡大するのを防いで、汐見市の日常を守れるんだ。」
杏は頷いて、突然思い出したように問いかけた。「じゃあ毎日イチョウ林に来れば、君に会えるの?」
「もちろんだ。」星野朔は笑って、瞳が星屑よりも輝いた。「君が会いたい時は、いつでもここにいるよ。」
二人はイチョウ林の入口まで歩き着いた。老いたイチョウの影が闇の中で優しい抱擁のように見えた。星野朔の姿はだんだんイチョウ林の光粒に溶け込んでいき、手の中の銀鈴しおりだけがそっと杏の掌に落ちてきた。
「このしおり、君にあげる。」星野朔の声が林の中から聞こえてきた。「これからは二人の証になる。銀鈴を鳴らせば、俺はすぐに現れる。」
杏はしおりを握り締めると、銀鈴がささやかな音を立てて、林の風の音と混ざり合った。林の奥の光粒に向かって大声で叫んだ。「明日も来るよ!スケッチブックを持って、君とイチョウ林の姿を描くんだ!」
林の中から軽い応答が返ってきた。イチョウ葉が風に吹かれる音のようで、また少年の優しい笑い声のようだった。
杏は振り返ってイチョウ林を離れた。ポケットの銀鈴しおりがそっと揺れて、淡い星屑の香りが漂っていた。夜空を見上げると、イチョウの葉の隙間から星が漏れてきて、雪穂と星野朔の百年越しの想いのように、柔らかくてきらめいていた。
彼女は分かった。手紙守りとしての旅はまだ続いていくし、イチョウ林の物語も、秋のイチョウ葉と共に、永遠に続いていくのだ。
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