第三食『禁断のサイン』
――さて、今日は何を食べようか。
ふと、制服のポケットからガマ口財布を取り出し、中身を確認する。
……寂しい。
銀貨が数枚、チャリチャリと悲しげな音を立てているだけだ。
フランから巻き上げた小遣いも、前回の「巨塔チャーハン」の店の近くにあった雑貨屋で、変なキーホルダーを買って浪費してしまった。
あまり贅沢はできない。
私は、ガイドブックに載っている「星付きレストラン」に行くのを諦め、地図の端に小さく記載されているエリアへと足を向けた。
メインストリートからかなり離れた広場。
そこには、無数の屋台がひしめき合っていた。
香辛料の匂い、油の跳ねる音、人々の喧騒。客層は家族連れや労働者が多く、活気に満ちている。
なるほど……ここは「庶民の胃袋」といったところか。
やはり屋根と壁がある店は、貴族や裕福な市民のための特権階級なのだろう。
だが、今の私にはこの雑多な雰囲気が心地よい。
私は屋台を物色する。
『青トカゲの丸焼き』
『毒消し草の天ぷら(確率50%)』
『オークの汗風味スープ』
……ラインナップが最悪だ。どれもこれも、不味いのか美味いのか、そもそも食べ物なのかすら判別不可能だ。
その中で、一際異色な一角があった。
まず、屋台自体がない。
あるのは、ポツンと置かれた数脚のテーブルと椅子だけ。
しかし、周りには人が座り、何かを美味しそうに食べている。
屋台がないのに、料理がある。
狐につままれたような気分だ。にわかには信じがたい。
私は近くの木の陰から、注意深く観察(モニタリング)を開始した。
隣の席にいた客の前。
何もない空間に、突如として湯気を立てる丼が現れた。
一体いつの間に注文して、いつの間に運ばれたのか……。
怪奇現象か? ポルターガイスト食堂なのか?
いや、違う。
いくつものテーブルで同時に料理が現れている。
目を凝らせ。私の動体視力は、膳所高の体育祭で鍛えられているはずだ。
――風だ。
不自然なつむじ風が、テーブルの間を縫うように流れている。
読めた!
屋台が無いのではない、見えないだけだ。
凄まじいスピードで高速移動しながら、調理と配膳を行っているのだ。
常人の肉眼では捉えることすら不可能な超高速移動(ハイスピード)屋台。
一体なぜ、そこまで速くする必要がある? 回転率を上げるためか? それとも単なる店主の趣味か?
採算度外視の狂気を感じる。
だが、客たちの幸せそうな顔を見る限り、味は確かなようだ。
上等だ。暴いてやる、この屋台の全てを。
私は意を決して、空いている席についた。
まず直面する第一の難関。それは「注文方法」だ。
メニュー表もなければ、ウェイトレスもいない(見えない)。あるのは木目のテーブルのみ。
大声で叫ぶのか? 念じるのか?
その時、私の正面に一人の男性が歩いてきた。
黒髪で、線の細い優しそうな青年だ。
他にも席は空いているのに、彼はなぜか私の前の席に座った。
そして、無言でじっと私を見つめてくる。
(……え、何? 怖いんですけど)
(ナンパ? それとも私の食い意地に惹かれた妖怪?)
内心でツッコミを入れるが、今はそんなことを言っている場合ではない。
胃袋が「燃料切れ」のアラートを鳴らしている。限界は近い。
ふと、正面の男性が動いた。
彼は静かに片手を上げ、小指と人差し指を立てて、影絵のキツネのような形を作った。
そして口元で何かを呟く。翻訳不能な異世界語だ。
ヒュンッ!
風が流れた瞬間、男性の目の前に、油揚げの乗った麺料理が現れた。
なるほど……!
注文方法は「ハンドサイン」か。
私は他の客の行動もスキャンする。
人差し指と中指をクロスさせると、チュロスのような揚げ菓子。
小指を立てると、ピンク色の甘そうなドリンク。
グーを出せば肉まん、パーを出せばナン。
一体何種類のバリエーションがあるというのか。
どんな注文でも対応可能だという自信の表れか。
この無限の選択肢の中から、今の私にとっての最適解(ベスト・アンサー)を探すのが使命だ。
だが、ただ真似をするだけでは面白くない。
私はあまのじゃくな女子高生だ。
この店の裏メニュー、あるいはシェフの限界を引き出してみたい。
私は静かに目を閉じた。
私にしかできない、オリジナルの方法で……。
カッ、と目を開く。
私は胸の前で静かに両手を重ね、親指を下にして形を作った。
――『ハートマーク』。
日本女子高生の必殺奥義、指ハートだ。
周囲の人々が「おおっ!?」とどよめく。
前に座った学院生の男性も、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、驚愕に満ちた顔で私を見ている。
(ふふん、どうだ。このオーダー、お前たちに捌けるか?)
ヒュゴオオオオオッ!!
今までとは桁違いの突風が吹いた。
目の前に、残像を伴って一人の人影が実体化する。
猫耳のウェイトレスだ。いたのか……!
彼女は顔を真っ赤にし、息を荒くしている。
そして次の瞬間。
ガシッ!
彼女の両手が、私の顔を左右から鷲掴みにした。
え?
「んぐっ!?」
彼女の顔が目前に迫る。
そして、私の唇が、彼女の柔らかい唇によって塞がれた。
ディープキス!?
いったい何を! 私のファーストキス(たぶん)が、異世界の猫耳!?
困惑し、抜け出そうとするも、万力のような力でホールドされている。
女子高生の筋力ではビクともしない。
次の瞬間、彼女の口から私の口へと、暖かい液体が流れ込んできた。
――!!
こ、これは……。
濃厚で、とろけるような甘み。
最高級のコーンポタージュに、ハチミツと数種類のハーブを溶かし込んだような味だ。
口移しという背徳感も相まって、味覚だけでなく脳髄まで直接刺激される。
喉を通るたびに、身体の芯からカッと熱くなる。
滋養強壮、疲労回復。そんな魔力を秘めたスープが、私の空っぽの胃袋を満たしていく。
(……う、美味い……!)
(あかん、なんか変な扉開きそうや!)
一通り流し終えると、猫耳ウェイトレスはパッと私の顔を離した。
そしてニカッと爽やかな笑顔を残し、
シュンッ!
かき消えるようにその場から消滅した。まるで何も無かったかのように。
私の唇に残る湿り気と、胃袋の温かさだけが現実だ。
呆然とする私。
すると、目の前に座っていた男性が、感極まった表情でパチパチと拍手を送ってきた。
彼は満足げに頷くと、自分の分と、私のテーブルに銀貨を数枚置き、颯爽と去っていった。
(見事な注文だった。私の奢りだ)
背中がそう語っていた。
……何だったんだ、今の時間は。
私は熱くなった頬を冷ましながら、空を見上げた。
【本日の評価】
★★★★★(星5つ)
味は極上。サービス(?)は過剰。
「ハートマーク」は「口移しスープ(滋養強壮)」の合図だったらしい。
知らずに頼むと大変なことになるが、人生経験としてはプライスレスだ。
ごちそうさまでした。
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