セフィーヌ業務録 【令嬢と侍女と北極星Ⅱ】
片栗ポン酢
第1話 過去の回想と明日の予定
草木も眠る静寂が、ポラリス王国王都ステラの夜を包み込んでいる。
チュモー伯爵家の令嬢でありながら、ベルカント公爵家の侍女を務めるセフィーヌは、ようやく一日の務めを終えて自室へと戻ってきた。ランプの柔らかな灯りに、張り詰めていた心がわずかに解ける。重い疲労感に身を任せて椅子に深く腰を下ろすと、視線の先には、明日着用するドレスが静かに出番を待っていた。
(……いよいよ、明日ですのね)
彼女の胸の内に現れるのは、主人であり、かけがえのない親友でもあるフェルマータの結婚式への想いだった。
フェルマータは、ポラリス王国でも屈指の名門、ベルカント公爵家の一人娘だ。前王ラングホーンによる「女性の家督継承権」を認める勅令。そして彼女自身が積み重ねてきた不断の努力。その二つが結実し、彼女は次期公爵としての地位を揺るぎないものとしていた。
フェルマータの成人を前に行われた婚約者選抜こそ、彼女の研鑽の総仕上げと言えよう。セフィーヌは選抜の模様を回想した。
すべては、フェルマータの元婚約者、スメリー伯爵家令息カーティスの不貞から始まった。彼の家門の堕落までもが白日の下にさらされ、王命による婚約は破棄。代わって開催されたのが、あの婚約者選抜だった。
それは単なる花婿選びではなく、候補者たちの本質を試す過酷な試練の連続だった。 並み居る候補者の中からフェルマータの心を射止めたのは、ダツミン侯爵家の令息オリヴァーであった。
彼は最終審査において、本物のフェルマータと、彼女と瓜二つに変装した影武者セフィーヌの入れ替わりに気付いたのだ。瞳の色のわずかな違いのみならず、令嬢の内面の美しさまでも見事に言い当てたその慧眼。令嬢を守り抜こうとする騎士としての誠実さ。ベルカント家本邸での一泊二日の審査を通じ、彼はその高潔な魂を態度と言葉で示し続けたのだ。
セフィーヌは、改めて確信する。彼こそが、公爵家を背負うフェルマータの伴侶に相応しい貴公子であると。
この選抜の目的は、フェルマータの伴侶探しだけではなかった。一つは、令嬢フェルマータの見識を深め、政治的手腕を鍛えること。そしてもう一つは、水面下でセフィーヌの伴侶に名乗りを上げた、モントリエ伯爵家令息ジョナサンの実力を見極めることだった。
セフィーヌは、ただの「貴族家出身の侍女」ではない。彼女はフェルマータの乳姉妹であり、友人でもあるのだ。公爵一家や彼らに仕える人々は、それぞれの立場による一線は守りながらも、彼女を「もう一人のベルカント公爵家の令嬢」として大切にしてきたのだ。
(まさかわたくし自身が、あの壮大な選抜のもう一人の主役であったとは……。最終審査のその時まで露ほども知らずにおりましたわ)
思い出すたび、胸が熱くなる。ジョナサンの告白も、彼がベルカント家の使用人として共に歩む覚悟を表明してくれたことも、すべてが幸福な夢のようだった。セフィーヌは、最終審査で見せた彼の覚悟と愛情に応え、ジョナサンとの婚約に至ったのだ。
「……いけない、いけない」
セフィーヌは思考を現在に引き戻した。重い身体に力を入れて立ち上がり、寝支度を整える。トルソーに纏わせた、薄く明るい緑色のドレスに視線を移すと、翌日の業務予定が自然と頭を駆け巡った。
まず、この王都別邸にて新婦の支度を手伝う。続いて一家に先んじて大聖堂へ向かい、先触れとしての重責を果たす。式の間は介添人として、親友の最も美しい瞬間を支えるのだ。
このドレスは、介添人のためにフェルマータが誂えたもの。飾り気こそないが、花嫁の婚礼衣装と同じ最高級の生地が使われている。同じドレスを纏い、共に介添えを務める「仲間」の顔を思い浮かべ、セフィーヌは幾ばくかの緊張に身を震わせる。しかし、そればかりに思考を支配されることはない。
式が終われば別邸での披露宴だ。新郎新婦の傍らに控え、彼らのために動く。そして、宴の後、若夫婦を初夜の寝室へと送り出すまでが、彼女に課せられた務めである。数日後には、王家直轄地ラーグの湖畔にある離宮への新婚旅行の同行も控えている。
敬愛する令嬢夫婦の門出に立ち会える重責と喜びに、震える心を落ち着かせようと、セフィーヌは灯りを消した。暗闇は彼女に、落ち着きに加えて眠気も運んできた。セフィーヌは来るべき一日への期待を胸に、穏やかな眠りについた。
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