第3話 拾ったゴミは、国一番の美少女(SSR)でした


 館の裏手に出ると、そこは地獄のような光景が広がっていた。


 ズズズゥゥン……バシャァァァン!


 鉛色の波が、岩場に激しく叩きつけられている。

 ここが、生きとし生けるものを拒む海――『死滅海』だ。

 鼻を突くのは、強烈な磯の香りと、鼻の奥がツンとするような薬品の刺激臭。

 海面から立ち上る飛沫には微量の呪毒が含まれていて、普通の人間なら吸い込むだけで気分が悪くなるだろう。


「うぅ、臭いなぁ……。でも、お宝のためだもんね」


 ぼくは鼻をつまみながら、マップが指し示す砂浜へと降り立った。

 そこには、波打ち際に打ち上げられた「ボロ雑巾」のような物体が転がっていた。


「うわぁ……」


 近づいてみると、それは人間だった。

 豪奢なドレスを纏った、長い髪の少女だ。

 だが、その状態は悲惨の一言に尽きる。

 ドレスは海水を吸って重く張り付き、露出した肌は酸性の海水で赤く爛れている。


 何より、顔が怖すぎた。

 右半分がどす黒い「あざ」のようなもので覆われ、腐った果実のようにドロドロに溶けかけているのだ。

 前世のホラー映画でも、ここまでの惨状は見たことがない。


「ひっ……! こ、これ、死んでるんじゃ……?」


 ぼくは思わず、その凄惨さに半歩後ずさった。

 SSRの反応があったから来たけれど、これはもう手遅れな産業廃棄物(死体)にしか見えない。

 でも、もし万が一、まだ息があったら。


 ぼくは恐る恐る、彼女の濡れた肩に指先で触れた。

 ひやりと、冷たい感触。


「ね、ねぇ。生きてる?」


 ピロンッ♪


 その瞬間、軽快な電子音が鳴り響いた。

 さっきの【市場調査リサーチ】のターゲット捕捉が完了した合図だ。

 すると、彼女の上に浮かんでいた赤いマーカーが展開し、詳細な商品情報(タグ)として勝手にウィンドウが開かれた。


「えっ? うわ、びっくりした……勝手に出るんだ」


 ぼくは目の前に割り込んできた文字列に目を丸くし、そこに書かれた内容を見て、さらに驚愕することになる。


~~~~~~~

【品名:元公爵令嬢アナスタシア】

【レア度:SSR】

【状態:瀕死、腐食、呪い(美貌の喪失)】

【経緯:冤罪により婚約破棄され、絶望し投身自殺→漂着】

【買取価格:0 RP(ジャンク品のため買取不可)】

~~~~~~~


「……えっ?」


 公爵令嬢?

 このボロボロの人が?

 

 ぼくの頭の中で、パチパチとそろばんを弾く音が鳴り響く。

 公爵令嬢……つまり、超エリート教育を受けた貴族様ってことだ。

 領地経営には、計算や書類仕事ができる「事務員」が絶対に必要だ。

 でも、こんな辺境に来てくれる文官なんていない。

 それが、ここに落ちている。拾えばタダだ。


「問題は、修理費だけど……」


 ぼくは恐る恐る、彼女を直すための見積もりを出した。


商品修繕リペア費用:5000 RP】


「ご、5000ッ!?」


 ぼくは驚愕のあまり、砂浜でのけぞった。

 さっき必死にゴミ拾いをして稼いだ全財産が5800RP。

 そのほとんどが一瞬で消えてしまう額だ。

 普通なら諦めて、そのまま海に返却するところだろう。


 でも、ぼくはニヤリと口角を吊り上げた。


「高い。高いけど……新品の『公爵令嬢』を雇う契約金だと思えば、破格の安さだよね!」


 金は使うためにある。

 ここでケチるようなら、最強の領地なんて作れない。


「よし、商談成立(お買い上げ)!」


 ぼくは少女の、冷たくなった手をギュッと握りしめた。

 そして、ありったけの魔力とポイントを込めて叫ぶ。


「――【商品修繕リペア】ッ!!」


 カッッ!!


 直後、ぼくの手から眩いばかりの光が溢れ出した。

 それは慈愛に満ちた聖なる光、ではなく、もっと無機質で、幾何学的なエフェクトの光だ。


 ヴィィィィン……!


 光が少女の身体をスキャンするように走る。

 その軌跡を追うように、奇跡が起きた。

 肺に溜まっていた海水が強制的に排出され、酸で焼け爛れた肌が、一瞬で白磁のような滑らかさを取り戻す。

 そして、彼女の人生を狂わせた顔面の「呪いのあざ」が、まるでこびりついた泥汚れを洗浄するかのように、パリパリと剥がれ落ちて光の粒へと消えていった。


 数秒後。

 光が収まった砂浜には、この世の物とは思えないほどの美少女が横たわっていた。

 月光のように輝く銀髪。宝石のように整った目鼻立ち。

 ボロボロだったドレスまでもが、新品のようにフリルを取り戻し、ふわりと風に揺れている。


「ん……ぁ……?」


 少女の長いまつ毛が震え、ゆっくりと瞼が開かれた。

 アメジストのような透き通る紫色の瞳が、ぼんやりとぼくを捉える。


「わたくし……死んだ、はずじゃ……」


「おはよ、お姉ちゃん。生きてるよ」


 ぼくは屈託のない笑顔で、彼女の顔を覗き込んだ。

 少女はハッとして起き上がり、自分の手や身体を触って確認する。

 痛みがない。寒くない。それどころか、体が羽のように軽い。

 そして、恐る恐る自分の頬に手を触れ、息を呑んだ。


「あ……嘘……消えている……?」


 凸凹していた呪いのあざの感触がない。

 指先に触れるのは、ツルツルとした陶器のような肌の感触だけ。

 彼女は震える瞳で、目の前に立つ小さなぼくを見つめた。


「貴方様が……治してくださったのですか? こんなどこにも行けない、汚れた私を」


「うん。ぼくが直したんだよ」


 ぼくは胸を張り、リサイクルショップの店長として堂々と宣言した。


「リサイクルショップのルールだよ。捨てられたものは、拾った人のもの。だから――」


 ぼくは彼女の目の前で、人差し指をビシッと突きつけた。


「今日からお姉ちゃんは、ぼくのモノ(部下)ね!」


 その言葉を聞いた瞬間、彼女の瞳から大粒の涙が溢れ出した。

 絶望の淵で死を選び、誰からも必要とされなかった命。

 それを拾い上げ、「自分のものだ」と言い切ってくれたことが、何よりも嬉しかったのだろう。


 彼女はその場に跪くと、深く頭を垂れた。


「……はい。我が主(マスター)」


 彼女の声は震えていたが、そこには確固たる意志が込められていた。


「この救われた命と身、すべて貴方様に捧げます。……これよりこのアナスタシア、貴方様の剣となり盾となりましょう」


「あ、剣とか盾はいらないから、とりあえず『計算』と『書類整理』をお願いね!」


「……は?」


 キョトンとする彼女の手を引き、ぼくは歩き出した。

 よし、これで優秀な秘書(事務員)ゲットだ。

 ぼくの領地改革は、まだ始まったばかりである。

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