第7話📙 第6巻 第二部|始魂 第六章 影衣(かげころも)――魂の最初の輪郭

(神話語本文)


魂核が芽を持ったとき、世界は次に、静かに問う。


――この点は、何と異なるのか。――この点は、何から帰るのか。


帰還の灯は、灯であるために闇を必要としない。だが灯は、灯であるために輪郭を必要とする。


輪郭のない灯は、風に混じって消える。輪郭のない帰還点は、世界の無数の痕の中に溶ける。


そこで魂は、最初に衣(ころも)をまとう。


それが、影衣(かげころも)である。


影は、悪ではない。影は、罪でもない。影は、呪いでもない。


影とは、ただの差である。


光が当たったから影が生まれたのではない。影は、光の後に来ない。影は、魂の前に立ち上がる。


なぜなら魂は、「同じではない」という差を持たなければ、帰還点として成立しないからだ。


同じなら、戻る必要がない。同じなら、帰る道も要らない。帰還が必要になるのは、世界がすでに「差」を持ってしまったからである。


影衣は、その差を焼かず、閉じず、ただ包んで保持するための布だ。


影衣は、魂核を守る。だが守り方が違う。


剣で守るのではない。壁で守るのでもない。影衣は、魂核を目立たせないことで守る。


魂核が目立てば、世界はそれを名札にしてしまう。魂核が目立てば、生命はそれを旗にしてしまう。


旗はすぐ剣になる。剣はすぐ裂け目になる。


だから魂は、最初に影をまとう。影とは、隠すための闇ではない。過剰な意味づけから遠ざける、薄い膜である。


影衣がまとうものは、二つある。


一つは、沈黙。まだ言葉にならない部分を、言葉にしないまま保つ沈黙。沈黙は欠如ではない。沈黙は保護である。


もう一つは、未決。決め切らないまま保持する余白。未決は怠惰ではない。未決は、世界が裂けないための仕草である。


影衣は、沈黙と未決をもって魂核を包む。


包むことで、魂核は「帰還点」として働ける。露出していたなら、魂核は世界の争いの種になってしまうからだ。


影衣は、心ではない。影衣は、感情ではない。影衣は、価値判断でもない。


影衣は、魂の最初の輪郭であり、魂の最初の禁則である。


「ここを断定するな」「ここを名札にするな」「ここを剣にするな」


影衣は、そう言っている。


声ではない。命令でもない。ただ、構造としてそう言っている。


この影衣が生まれたことで、魂核ははじめて「壊れずに残れる点」となる。


だが、影衣だけではまだ足りない。輪郭があるだけでは、灯は灯らない。沈黙があるだけでは、帰還は起きない。


影衣はあくまで布だ。布は、温度がなければただの布である。


次章で語るもの――**温度(おんど)**は、魂が「手放さない」と決める熱である。


影衣が輪郭を与え、温度が保持を与える。保持が積み重なると、やがて魂は定着する。


この順番だけは崩れない。輪郭なしに、保持は続かない。保持なしに、定着は起こらない。


最後に、この章の結びを一行で置く。


影は、魂の弱さではない。影は、魂が剣にならないための最初の慈悲である。


――次章「第七章 温度(おんど)――手放さない熱」へ。

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