第8話 猫は普通に生きている
背中に羽根を生やすのを諦めた太地は、しばらくおとなしかったかと思いきや、日曜の今日、どこかへ出かけたかと思うと、何やら買い込んできた後、マンションの一室を占領して何やらごそごそやっている。また何か作ってるのかな、とそっとドアの隙間から朝香が覗いてみると、透明のプラスチックで長方形のケースを組み立てている。その横でエジソンが不思議そうな顔で太地を見つめている。
「あなたなにを作ってるの? 水槽?」
とドアを開けて入った朝香が声をかける。
「やぁやあ、違うんだよ。これは世紀の発見なんだ! あのアインシュタインですら気づかなかった大発見なんだ」
「この安っぽい透明のケースが?」
「簡単に言うと実験装置さ、これは。うむ、上手くいった」と太地は上部が蓋になって、開けたり閉めたり出来る事を確認して、じっとエジソンを見た。思わず朝香の足元に隠れるエジソン。
「まさか閉じ込めて水を入れたりするんじゃないでしょうね。そんなことしたら殺すよ、あんたを」
「あひぇっ、いや、中に入ってはもらうけど、水なんかいれたりしないよ。これはね、シュレーディンガーの猫の実験を解明する画期的な装置なんだよ」
「なに、シュレーディンガーの猫って」
「話せば長くなるんだけど、簡単に言うと、量子力学の世界では、観測されるまで飛ばした光の状態が決まらない、観測していると一定の動きしかしない、という不思議な事が起こるんだ」
「へぇ~。で、それと猫は何の関係があるの?」
「そこで物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが、なら猫を箱の中に入れて一時間後に死ぬ可能性が50%にするようにしたら、猫は生きている状態と死んでいる状態で重なり合っていることになる、と提案したんだ。もちろん実際にやったわけじゃないよ。これは思考実験なんだ」
「なんでその思考実験をお前は本当にやろうとしているの?」
「いや待って、つまり、こうやって透明な状態にしていれば生きているか死んでいるか明白じゃないか、という」
「うん。そうだね。で、見ただけで猫が生きてるか死んでるか分かるの?眠ってたら?」
「えっ、その場合は叩いて起こすとか?」
「アインシュタインも気づかないような世紀の発見はそんなザルなやり方でいいの? あと、その50%の死の可能性とやらはどうやるわけ?」
「あ、うん、それはね、こう、実験では放射性物質を箱の中に放出することになってて……あれ?」
「そんな邪悪な物質をお家の中に持ち込まれてたまるか。どうしてもやりたいなら福島原発の廃炉のそばで一人でやってこい。あー怖いわねこの人。いきましょ、エジソンちゃん」
と、三毛猫を抱いて朝香は去っていった。太地はうぬぬ、考えが足りなかった、と恨めしそうに透明の箱を見つめた後、これ何かに使えないかな、と思い立ち、分解してあちこち切ったり伸ばしたりした後、糸をつけて、近所の公園まで行って凧にして飛ばしてみた。案外風を受けて空高く舞い上がって、太地ご満悦の冬の午後。そんな太地の姿をマンション四階のベランダから見ていた朝香と抱かれたエジソン、二人でため息。
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