第10話 Rendezvous 6:02
東亰警視庁に女が
その車内には、怪我の傷が痛々しいウアル・エントウィッスル、ウアルの右側の座席に腰掛ける長身痩躯の男、シャクス・タウンゼントの姿があった。紙巻煙草を燻らせて、何を考えているのか表情は読めない。
「随分と男っぷりがあがったな。」
シャクスが皮肉を込めて言うと、ウアルは身体がじっとりするのを感じた。
シャクス・タウンゼント少佐、大英帝国書記官の肩書を持つ外交官であるが、内実は王立超自然作戦部の人間で本国から計画実行のため、ウアル達と共に派遣された人物であった。
シャクスは外交官特権を振りかざして、先程ウアルの身柄を警察から強引に引渡しさせたところである。
「貴様らのせいで、計画を練り直さなければならなくなった。」
火のついた煙草を火傷の跡が残るウアルの右手に押し付け揉み消す。
「うぐっ!」
「それと本国から連絡が来て処分が決まった。お前は作戦から外せとの通達だ。ご苦労だった、ゆっくり休んで帰国しろ」
作戦から外れろとは、自分が最低ランクの評価だったということだ。ウアルは未だぼんやりとした頭で自分の置かれている状況を確認した。
所詮は自分は使い捨ての傭兵扱いだったのだ。最後に労いの言葉を掛けてもそれは伝わるものだ。そう思ったがウアルは口に出すことはしなかった。
「これは帰国までの当座の資金だ……」
分厚い封筒を胸元に投げつけられ、ウアルは中身を確認した。
「こんなに……」
「貴様の好きに使え。それだけ有れば、貴様の性癖を満足させる店も探せるだろう」
ウアルに不快感を覚えさせる様な含みのある言い回しだ。
「ではここで……」
ウアルは車を停めさせ、自分の足で伊勢佐木町の繁華街に向かうと言い残してシャクスと別れた。
「さて、負けた闘牛は処分せねばな……
運転手にそう告げ、シャクスは二本目の煙草に火を着け深々と吸い込むと、紫煙が漂う後部座席に身体を沈めた。
翌朝未明、顔を切り刻まれ焼かれた身元不明の男の死体が、伊勢佐木町の朝靄が漂う繁華街外れの路上で発見された。
通りは静寂に包まれ、遠くで烏の鳴き声がかすかに聞こえた。
休暇中、巻き込まれた事件について報告するため、利国が東亰警視庁に立ち寄ると、受付で同僚の吉野が受付職員と何やら話をしているところに出くわした。利国に気がつくとニヤニヤして近づいて来た。
「上水流、おはんに金髪ん別嬪さんが会いに来たごたる」
吉野はそう言って折り畳んだ紙片を差し出した。
「金髪?誰だ、そんおなごは?」
利国に思い当たる節は無いが、慌てて手帳を破ったような紙片を開いて目を通した。
あっ、と小さく声を上げ唸りつつ、困った顔をしている。
吉野が差し出した紙片には滞在しているホテルと勤務地の連絡先が走り書きされており、最後にジョアンヌと署名があった。
(……ジョーが来ているんか?)
「こんおなご、何か言うちょらんじゃったか?」
「『ジョーの機嫌を直すなら早い方がイイ』と……」
受付職員が気の毒そうに利国に告げた。
「上水流、そんおなごとは、どげん関係じゃっど?」
吉野が普段女っ気のない利国を此処ぞとばかり茶化す。
「せからしかッ!」
利国はこれを描いた人物の性格を思い出し、取り急ぎ滞在先のホテルに向かう事に決めた。
「……すまん、野暮用じゃ」
「おはん、一体何しに来たんじゃ?」
口を半開きにした呆れ顔の吉野を残して利国は庁舎を後にした。
ジョーことジョアンヌ・レイス、利国の英国留学時代の魔法魔術学校の同級生である。利国が薩摩で小学校を卒業して一年間の語学習得期間を経た後、渡英し十一歳から十八歳の間一緒に学んだ仲であり、東の島国からやって来た得体の知れない子供に対してこれっぽっちの偏見も持たず一番最初に話しかけてくれた好奇心旺盛な女の子だった。
裕福な商会の娘で卒業後は魔法を活かした職業に就くわけでもなく、出身地のアイルランドに戻り独立戦争に身を投じると聞いていた。ようやく戦争も終わり故郷で家族と平和に暮らしているとばかり思っていたが、こっちに来るなんて随分と急な話だ。
いや、待て。
先月ジョーから海外郵便が届いていたが、忙しさにかまけ封も切らずそのままにしていたという記憶が甦る。最近、手紙のやり取りが途絶え気味になっていたから直ぐに開封すべきだった。
(……不味かことになってしもうたな、弁解のしようもなかッ……)
ジョーが逗留しているホテルに向かう道すがら、顔を合わせた途端に問い詰められる姿しか想像できない。
東亰駅に併設された高層ホテルのフロントに出向き、外国人に好まれそうな豪奢な造りの受付でジョーを呼び出すことを依頼した利国は、広々とした壮麗なメインエントランスのソファーに身体を預け、暫し学生時代の思い出に耽った。
北アイルランドの断崖絶壁に佇む、荒涼とした城砦でのフィールドワーク、占星術の授業での野営を兼ねた夏の天体観測など仲間たちと経験した様々な出来事が脳裏に浮かぶ。
ふと気がつくと赤い分厚い絨毯を敷き詰めた階段を一人の女性が降りてくるのが見えた。利国の姿を確認すると刺すような眼差しを向けて近づいて来る。多分ジョーだ。
「ジョー!久しぶりだな、会えて嬉しいよ」
利国は大袈裟に手を広げジョーとの再会をハグして喜ぶ。利国の記憶にあった少女のジョーの面影はすっかり影を潜め、そこには大人の女の姿があった。
ジョー自慢の髪色が、透き通る様な白い肌とグリーンの瞳の印象をより際立たせ、利国が見たことがない笑顔を降り注いだ。
「利国は学生時代より精悍になったかしら」
ジョーは腰に手を当て、首を傾げ利国をじっと見つめた。
見つめられて改めて利国は思った、本当に吸い込まれそうな神秘的な瞳の色だと。
「……ん、そうかな」
「それで?」
ジョーは薄い口唇の両端をぎゅっと上げて利国の顔を覗き込んだ。
「それで?って?」
「質問に質問で返す人がどこにいるの、久しぶりに会った私はどう?」
「うん、元気そうだ」
若干照れ臭くなった利国は鼻先を掻きながら取って付けたような言葉を吐いた。
「ふぅん……まぁいいわ、ちょっと付き合って頂戴」
学生時代から変わらない有無を言わせぬ口調だな、と内心思いながら顔色に出さないように利国は尋ねた。
「どこに?」
「あら?歓迎会もしてくれないの?折角だからパブがいいわね」
「こっちで英国式のパブは見かけないぞ」
「冗談よ。利国が案内して」
そう言われても、せいぜい思いつくのはビヤホールぐらいだ。最近雨後の筍の様に帝都では開業が続いており、まぁビールならジョーの口に合うだろう。アイルランドの黒ビールが飲みたいと我儘さえ言わなければ無難な選択だ。
ビヤホールに着くと、早速二人は一番大きなジョッキに入ったビールと適当に酒の肴を注文した。広い店内では、スーツ姿の勤め人で賑わっており騒々しい。ここなら人に会話の内容を盗み聞きされる心配はない。
案の定、ジョーはドイツ風のビールと食事にケチをつけながらも、酔いが回った頃に真面目な顔をして話を切り出した。
「近々、日本と英国の間で大きな諍いが起きる。水面下で火種が色々と燻っているのは間違いないの。私は利国に自分の国で起こった様な悲劇に巻き込まれて欲しくない」
「ジョー……それは本当か?」
少々羽目を外し過ぎて飲み過ぎたか、呂律が回っていない。頭が朦朧として来た。
「……利国、テトロドトキシンって知ってる?」
ジョーの声。耳慣れぬ単語。だが、ジョーに似ているその女の顔には悪意がある。
「チェックメイト」
そう言うとジョーに似た女は椅子から立ち上がりそのまま振り向きもせず店の入口へ向かった。
視界が狭くなってくるのを感じた利国は手元のジョッキを握りしめ、深く息を吸う。
そして店内の騒がしさが、まるで別世界の静けさのように感じられた。
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蒸気奇譚ー無自覚な新米陰陽師と猫又?の物語 浮子喜市 @Level54r
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