第8話 Fear of a Blank Planet

「利国さん。あいつ、どうなりました?」


 バラムとウアルの襲撃から一晩明けて、警察から宿に戻ってきた利国へ範洲は声をかけた。

 一晩中、事情聴取を受けたのであろう、午前中だというのに利国の表情には、疲労の色が濃く残っていた。戻るなり、どさっと身体を長椅子に預け深く腰を掛けた。


「自分は英国人だ。大英帝国大使館に連絡を要求すると言ったきりな、黙秘しちょった。あと言うちょる事も支離滅裂でな」

「すいません。俺が無理矢理、記憶覗いたから……アイツの子供の頃の嫌な記憶に触れてしまった」

「ん、男娼だったっていうあれか……。」

「上流階級の連中に散々な目に遭わされてきた様で……」

「隠したかったんじゃな、助けたアイツに対する想いと共にな。まぁ、気にすな。ハンスが調べてくれたから、ヤツらの狙いが朧げながら掴めたんじゃ。あと、おいが一つ気になっちゅう事があって、陰陽師っていうのはあんな風に人の記憶を覗けるもんなんか?」


 椅子から立ち上がり、窓の外の風景をしばらく見遣ると、利国は範洲の方に向き直った。

「え?みんなに聞いたことは無いですけど、出来るんじゃないんですか?」

「いや、それなら犯罪捜査に陰陽師を加えた方が警察としては楽じゃ、尋問する必要が無うなる」


 範洲は得心がいかぬと言う表情で顎に手を当て首を捻った。


「はぁ、そんなもんですかねぇ?」

「それについて、おいは至らんこつは言うちょらん。そん力は秘密にしちょけ」


 利国は陰陽師としての能力について、権力に翻弄されないよう注意する必要があると範洲に諭した。


「分かりました。ところで金髪の男の行方は?」

「依然、行方不明じゃ。普通、あれだけの傷を負ってそう遠くには逃げられん。大方、横濱大英帝国総領事館に逃げ込んだんじゃろ。そうなってはおいそれと手も出せん」


 利国は範洲の淹れたお茶を一口啜り嘆息する。

 湯気の向こうで、クンネは部屋の隅で丸くなって寝ていたが耳だけはこちらの会話を聞いている様で、時折ぴくりと動くのが見えた。


「坊ちゃん、利国殿、後はアイツらの潜伏先に残っておったという地図を詳しく調べた方が良さそうじゃの」


 クンネは一言だけそう言うと大きな欠伸をして自分の身体に顔を埋め寝入った。



 利国は休暇中の身ではあったが、事件に巻き込まれたのもあってしばらくは、警察や消防やら関係各所を回り昨日起こった事件について、事情説明しなければならない。

特に慌てて片付けねばならぬ用事も無かったので範洲とクンネは一旦実家である天王神社に帰る事を決めた。

 東亰に転居してから余りにも慌しかったのと、陰陽師の師である父、五神葉舟ごかみようしゅうに会い地図の件で意見を貰おうと考えたからである。

さらに葉舟は若い頃、修業で全国津々浦々回っていたので、何かしらの伝承、旧跡を知っているのは間違いなかった。


 陽がだいぶ傾いた頃、最寄りの駅からクンネを肩に乗せ、とぼとぼと家路を急いだ。


「そう言えば、坊ちゃんはどうして生き物の記憶に這入り込むことができるのかえ?」

「利国さんも他言するなって言ってたけど、そんなに気になることかぁ?」

「いやはや、あれがどれだけ特殊な力か判っておらぬとは!おっとっとっと」


 思わずクンネは立ち上がり、肩から転げ落ちそうになるのを体勢を立て直し踏みとどまった。

「それにあんな神代の式神なんぞ、長い事生きておるが使役した人間の話なんぞ聞いたこともないわッ!」

八色雷公やくさのいかづちかぁ?あれは擬人式ぎじんしきって言ってな、俺が念じた姿に形代が形を変えただけなんだけどなぁ?」


それがどうしたと言わんばかりにあっさりと範洲は語った。


「たまにワシらが根城にしている山に修行と称して陰陽師の連中が来るが、彼奴等はウンウン唸ってようやっと、虫やら小鳥やら何だか可愛らしいモノを呼び出しておったがのう」

 (自分の霊力の強さや総量を自覚していないとは……やはり予想通りであったのう)

と心の中でクンネは範洲が己の能力について無自覚であったことを改めて認識した。

「坊ちゃん、話を元に戻すようでかたじけないのじゃが、記憶を読む事ができる様になったきっかけは何かあったのかえ?」

「そうだなぁ、ハッキリと覚えちゃいねぇんだけど。母様、あ、俺がほんの子供時分に亡くなったんだよ。それで亡くなる一週間ぐらい前に床に伏せっていた母様に範洲にはこれぐらいしかしてあげられないからって、ふと頭を撫でられてな……」


 母親のことを語る範洲は少し寂しげな表情になり空を仰いだ。夕陽の赤が瞳に映る。


「当時、ヴァイスっていう犬を家で飼っていたんだけど、母様が亡くなった後落ち込んでいた子供の俺を慰める為なのか、しばらくの間ずっと側を離れなかったんだよ。俺も母様恋しさが募ってヴァイスにしがみついて大泣きしたことがあってさ。その時に自分の頭の中に映画キネマみたいにハッキリと映ったんだよ。ヴァイスがこれまでに体験した事が……。いやぁ、何だか湿っぽい話になっちまったな」


 言葉が途切れしばしの間、木々を抜ける風音だけが響く。

 (ふむ、あの子から継承、いや、覚醒させられたということか……)


 クンネは何か言いかけたが、思い直して話題を変えた。


「そうじゃ!坊ちゃんの家に着いたら、嬢ちゃんの手料理を振る舞って貰わんとのう! 器量良しな上に、料理も上手!物は相談なんじゃが、嬢ちゃんさえよければワシの嫁になっても一向に構わぬぞ。なぁ一度聞いてみてはくれぬか?」


 クンネは浮かれた素振りで範洲の首筋に身体を擦り付けた。


「……クンネさん……あんた何人嫁取りする気です?」


 範洲が立ち止まって、若干殺気の籠った冷たい視線をクンネに向けた。


「ん?そうなれば五番目の嫁と言うことになるのう」

「五番目ぇぇぇッ??」


 範洲の勢いに、びっくりしたクンネは思わず体勢を崩してぽとりと範洲の足元に落下した。


 

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