第4話 The Carpet Crawlers

「さぁ、ハンス、着いたぞ」

「地下鉄って、初めて乗ったなぁ」

 桜木町駅の改札を抜けて上水流利国かみづるとしくに五神範洲ごかみはんすは「中華街」と呼ばれる方向に急ぎ向かう。

  まだ昼下がりだというのに、範洲の足取りには倦怠が滲んでいた。だが、新開通の地下トンネルを駆ける英国式圧縮蒸気車――いわば“地の底を走る砲弾”のような乗り物に揺られた興奮が、かろうじて彼の疲れを支えていた。

倫敦ロンドンではな、地下鉄網がまるで蜘蛛の巣の様に広がっちょってな、便利な乗り物なんじゃ」

 大英帝国では都市部の移動手段として普遍的だと車中で利国から説明を受け、感心するばかりの範洲であった。


「上水流さんって、色々と大英帝国の事に詳しいんすね」

「……ん。ちゃな、警視庁に入庁する前に、留学しちょった事があってな……」


 少し言い淀むような声音。範洲はそれ以上問わず、ただ心に引っかかったものだけをそっと沈めた。


 煉瓦造りの豪壮な洋風建築群を横目に見て、微かに潮風を感じつつ範洲達は南京町と呼ばれる「中華街」にたどり着いた。そこは異国情緒に溢れ西洋人、日本人、中国人が行き交い、中華料理店からは様々な料理の匂いや湯気が通りまで立ち込めていた。洋菓子店、ソーセージ店や籐椅子店など色々な店の看板が通りの両側に英語表記で掛かっているのが見える。

「よしッ!ハンス。先ず腹拵えしよう!」

利国は辺りを見回している範洲の背中をぐいっと押し、歩くよう促した。

「はいっ!美味そうな匂いがして、もう堪らねぇなぁってなってたとこですよっ!」

「それじゃ、こん屋台ん『肉包ロオパオ』ってヤツにしようか」

「何です、これ?」

「肉入り饅頭っていうもんじゃ。中華街では普通に屋台で売っちょるぞ」

 美味いぞ、と言いながら利国は蒸籠からもうもうと蒸気が立ち昇る質素な作りの屋台に近付き、指を四本売り子に示し、硬貨を渡した。

 店から屋台へ蒸気を配管するのが容易なため、中華料理店の店先にはどこもずらりと屋台が立ち並び、蒸籠の中には様々な点心が供されており、まるで縁日の様である。

「ほれっ、もってみぃ」

 利国は紙袋に入った肉包を無造作に範洲に渡すと先に取り出していた肉包を二つに割った。

 もわっ、と湯気が舞い上がり、思わず顔を逸らした。

「慌ててかぶりついてぇ、火傷をせんごつな」

 範洲も利国と同じように肉包を二つに割って齧りついた。頬張った瞬間に皮のふわふわとした食感に驚いた。餡の豚肉の旨み、ネギの風味、素材本来の味を活かすための単純な味付けが皮のほのかな甘さによく合う。そして口の中は次第に溢れ出す肉汁で満たされていく。

「うんめぇ!!」

 あっという間に空っぽの胃袋は肉包で満たされた。

「そいだけ食えれば、一安心じゃな」

「こんな美味いもん、初めて食いましたよっ!」

「坊ちゃん、ワシも初めて食したぞよ」

 いつの間にかクンネも器用に前足を使って肉包を押さえ込んでいた。

「あ!何、勝手に食ってんだよっ!」

「ワシのお八つを他所の子にあげたじゃろ? その分を頂いておる」

 当然の権利と言わんばかりにクンネは食べ進めていた。

 範洲はぐうの音も出ない。

「仕方ねぇな」

「あと……」

「何だ?クンネ」

「誰かが、こちらを探っておる様じゃ。油断召されるな」

「ここに寄る前に形代を用意したから、とりあえず目眩しにはなると思うけどな。まぁ注意するに越した事はねぇか」

 クンネの言葉を聞いてすぐに範洲は形代に三度息を吹きかけ、空に放った。

「こん辺りをまとめ上げとる組織から、話を聞くんが手っ取り早か。情報を持っちょっかもしれん」

 利国もすでに警戒体制に入ったようで、声を顰めた。


 手早く食事を済ませると範洲と利国は元町方面に歩き出し、その先の山手を目指した。大通りから横道に入り人気の少なくなった小路を進むと男たちが突然前後を塞ぐ様に現れた。

「オ前タチハ、何シニキタ?」

「肉包をもいに来ただけじゃが?」

 利国が恍けたように、目の前の男に首を傾げた。どうやら中国人の様だ。

 男たちの身なりから察するに、どう見たって商売人の格好ではない。そして普通の人間たちではないと利国は咄嗟に判断した。

「黙って帰してくれん様じゃな」

「イイカラ、コッチニ来イッ!」

 男は懐からナイフを抜き利国の胸板に突きつけるその瞬間、がしゃっという金属音と共にぎゃっと男が声を上げた。

 見ると男の右手の指はあらぬ方向に捻じ曲り、ナイフは足元に転がっていた。

「公務執行妨害じゃ、今日は刀をいちょらんで良かったな」

 利国の右手には先程まで手にしていなかった二尺(約七十六センチ)ほどの黒光りした伸縮する金属棒が握られている。

 男たちが一瞬怯んだ隙に、前後の敵を一人、二人と舞うように金属棒で容赦なく叩き伏せていく。その度に身体から鈍い音がした。

 余程硬い金属なのであろう、ナイフを手にした男の斬撃にも曲がる事もなく弾き返してしまった。

「オイッ! コッチヲ見ロッ!」

 利国が振り返ると、範洲が禿頭の男に羽交締めにされ、首筋にナイフが当てられている。どうやらコイツが残る最後の一人だ。

「ハンスっ!」

「大人シク武器ヲ捨テロッ!」

 範洲と言えば、意外にも刃物を突きつけられているのに、平気な素振りだった。それだけではなく利国に目配せする余裕を見せていた。

「早クシロッ!!」

 男は焦り、苛立ちを隠せない様子だ。その勢いが余って範洲の首にナイフの刃が当たる。しゅっと範洲の身体は小さな形代に変わり、何が起こったのか当惑している男の鳩尾みぞおちに利国の持つ金属棒がねじ込まれ、どうっと後ろに倒れ込んだ。

「よしっ、身代わりが上手くいったな」

「さすがは坊ちゃん。あれでは並の人間では見抜けぬわい」

 物陰に潜んでいた範洲とクンネが現れ、利国に手酷くやられすっかり戦意喪失している男たちに近寄った。

 最初にナイフを叩き落とした男の髪の毛をぐいっと引っ掴んで利国は尋ねた。

「誰に頼まれた?」

「言エナイ……」

「特殊警棒ちてな、まだ実用化されちょらん試作品なんじゃが、こいでびんたを割ってん良かどぜ。」

 と先程の金属棒を男の目の前にちらつかせ、額を小突いた。アルミ合金の冷たい質感と冷静な利国の声色が男を怖気させる。

 「……分カッタ。大人ダーレンノ所ヘ案内スル」


 中華街の大通りから外れた一角に位置する煉瓦造りのビルの一室に範洲と利国は案内された。ここは何の看板もなく、外観では何を営んでいるかは分からない。

 円卓には、背広に身を包んだ紳士然の男が静かに座していた。両脇には、鍛え抜かれた体つきの男たちが控えている。

「お二人には無礼を働きました。唐人街の者として深くお詫び申しあげます」

柔和な面差しだが、目の奥は湖底のように暗い。名乗った名はリャン。海運と両替商を生業とするという。

利国は慎重に言葉を返す。

「こちらもやり過ぎてしもうた。自分は東亰警視庁の上水流、こちらは陰陽庁の五神じゃ」

「……梁さん、ここ最近、山手のあたりに金髪の優男と軍人みたいなデカい男、来てませんか?」

 範洲は猫の記憶で見た二人組を思い出し、問うた。

「そのような者が出入りした話は聞いておりません。ただ……道士が申すには、この街に良からぬ“気”が差し込みはじめているとか。特に、何らかの力を持つ者に気をつけよと」

「俺は陰陽師ですし、上水流さんは警察官ですよ?」

「……ハンス、おいは言わんかったが、少しばかり魔力がある」

「!!」

 範洲は言葉を失った。梁は意味深に頷く。

「なるほど。では、警戒すべき相手は別の者でしょう」

 範洲は、熊を操り笑う金髪の男の残響を思い出し、胸の奥底が曇った。



「ねぇ、ウアル。僕のテディベアに、そろそろ餌をあげたいんだけど?」

「は? 熊は雑食だろうが。適当に何か食わせとけ」


 隠れ家の居間に漂う紅茶の香。ウアルは三本目の煙草に火を点し、吐息と共に煙をくゆらせた。


「たまには肉とか食べさせたいんだよねぇ」


 バラムはプラチナブロンドの髪を掻き上げながら、爛れた遊戯心を隠そうともしない。


「中華街なら肉屋もあるだろ。買い出しついでに――」

「――ああ、あるねぇ。肉。……活きの良いのが」


 その一言の底に潜む妖火を、ウアルだけが察しなかった。


 

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