第2話
残り六時間。
この時点で、ほとんどの神器や天賦、スキル書は、すでにプレイヤー自身の手でシステムに回収されていた。
――けれど、私は知っている。
まだ回収されずに残っている神器が、確かに存在することを。
まず前提として、狐族の弓使いという職業において、
視力と弓は、何よりも重要だ。
そして私は思い出した。
成長可能な神級パッシブスキルが、ひとつだけ存在していたことを。
あまりにも値段が高すぎて、
長いあいだ取引所に出品されたまま、
結局、誰にも買われなかった代物。
――《天秤の瞳》。
そのレアリティは、ゲーム内最高位の「レインボー」。
神級品質であり、なおかつ最も希少な瞳術スキル書だ。
説明によれば、
レベル1の時点で、アイテム鑑定、超遠距離視認、弾道計算の能力を備えている。
さらに、レベルが上がるごとに、未知の新能力が解放される。
問題は、ただ一つ。
価格が――99,999,999ゲーム通貨。
〈SEEKER〉は、もともとプレイヤー人口の少ないマイナーなオンラインゲームだ。
そこまでの金額を注ぎ込むような、いわゆる超重課金者は存在しなかった。
……でも、私は知っている。
ゲームが現実に降臨した瞬間、
この世界の秩序は、根こそぎ書き換えられる。
ゲームルールの前では、
現実の通貨など、何の価値も持たなくなる。
「……はぁ。
私、正気よね……?」
小さく息を吐きながら、
私は課金ボタンを押し、迷いなく取引所を開いた。
そして――
《天秤の瞳》を購入する。
次の瞬間、ワールドチャットに派手なアナウンスが流れた。
『おめでとうございます!
謎の冒険者が、全サーバー唯一の成長型神級瞳術――
《天秤の瞳》を獲得しました!』
オンライン中のプレイヤーたちは、一斉に騒ぎ出す。
『Assassin03:マジかよ!? 一体誰だ、こんなことしたの!?』
『白:あと六時間で永久サービス終了だぞ? このタイミングで……金、余ってるのか?』
『Sora01:全ゲーム最高額アイテムが売れた!? しかも削除直前!? 成金すぎるだろ……』
私は小さく笑った。
――今この程度で驚いているようじゃ、まだ早い。
やがて富士山は魔竜の巣となり、
毎日通っていたオフィスビルはダンジョンへと変わる。
その時こそが、本当の意味での「崩壊」だ。
私は、準備を整えなければならない。
前世の悲劇を、二度と繰り返さないために。
……さて。
瞳術は手に入った。
狐族の弓使いとして、次に必要なのは――一本の弓。
『ははっ、このタイミングでそんな高額アイテム買うとか、どこのバカだよ。
サービス終了のお知らせ、見てないのか?』
ギルドチャットに、嘲笑混じりの書き込みが流れる。
でも、不思議と腹は立たなかった。
むしろ、自然と笑みが浮かぶ。
――ちょうどいい。
親愛なる副会長。
前世では、あなたは私が贈った剣で、私の心臓を貫いた。
……今世では、
そろそろ、代償を払ってもらいましょう。
私は狐族の天賦――《千貌写し》を発動し、
通りすがりの一般プレイヤーへと姿を変えた。
そして匿名IDのまま、副会長へメッセージを送る。
『私:Ledger。
あなたが“天堂”ギルドのマスターと知り合いだと聞きました。
彼が所持している“世界樹の果実”を、
システム回収価格の十倍で買いたい。
仲介してくれるなら、一割の報酬をお支払いします』
本来なら、
私が直接“天堂”のギルドマスターに連絡することもできた。
けれど、あえてそうはしない。
この男を、間に挟むためだ。
そうすれば、ゲームが現実に降臨した後、
あのギルドマスターは必ず気づく。
――世界最強クラスの神器素材を、
ただのゲームアイテムとして売り払ってしまったことに。
そして、その判断を後押ししたのが、
Ledgerという男だったという事実にも。
怒りの矛先は、すべて彼に向かう。
『Ledger(副会長):……お前は誰だ? なぜそんな物を欲しがる?』
『私:私が誰かは重要じゃありません。
重要なのは、その果実が回収されず、
彼がコレクションとして残しているという点です。
あなたたちは現実でも友人でしょう?
説得してください。取引が成立したら、一割お渡しします』
Ledgerの生活事情は、私が一番よく知っている。
今ごろ、きっと笑いが止まらないはずだ。
『Ledger:簡単だ! だが、約束は守れよ!』
私はすぐに、匿名のまま半額の前金を送金した。
『私:残りは、取引完了後に』
Ledgerの仲介によって、ほどなく取引申請が届く。
――《世界樹の果実》
説明:???
説明欄は、すべてクエスチョンマーク。
今は誰も、その真の価値を知らない。
たとえ、
手に入れたばかりのレベル1《天秤の瞳》を使っても、
詳細を鑑定することはできなかった。
「何に使うんだ?
名前は“果実”なのに、
どこを見ても“食べる”って項目がないぞ?」
天堂ギルドマスターの声は、どこか上機嫌だった。
どうやら、
私のことを“金づる”だと思っているらしい。
……でも、本当に知っているのは私だけ。
ゲーム内には、
“食べる”ための操作など存在しない。
だが、現実に降臨してしまえば――話は別だ。
この果実を口にすれば、
意志に応じて、自身の職業武器を具現化できる。
魂と結びつき、成長可能な最上位の神器。
前世の天堂ギルドは、ただの烏合の衆にすぎなかった。
だが、果実を得たギルドマスターの圧倒的な力によって、
略奪と暴力を繰り返す、最大級の強盗勢力へと変貌した。
――今回は、その芽を摘んだだけ。
「ありがとう」
笑顔で二人を見送りながら、
彼らがプライベートチャットで私を嘲笑している光景すら想像できた。
……ふふ。
実に、愉快な買い物だった。
これで、最重要の弓と瞳術は揃った。
次は、購入可能な限りのスキル書と、
各種機能系アイテムの回収。
もっとも、
私が一つ一つ取引する必要はない。
外部取引サイトに買い取りリストを設定し、
重要度に応じて、
システム回収価格の三倍から十倍で募集をかける。
告知は、伝音ギルドに依頼し、
ワールド全体に循環アナウンス。
取引が成立した品は、
自動的に私のキャラクターメールへ届く。
そして――
私には、もっと重要な仕事がある。
サービス終了前の世界状態。
それこそが、現実降臨時の起点だ。
ゲーム内のエリアが、どんな姿であれば、
現実でも――そのまま複製される。
……つまり。
残り六時間。
このゲームが、
どんな姿で世界に降臨するのか。
それを決めるのは――私だ。
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