神器も世界樹も神獣卵も買った。あとはゲームが現実になるのを待つだけ
@hbai
第1話
死は、私が思っていたよりもずっと静かに訪れた。
爆発はない。
世界が崩れ落ちるような轟音もなかった。
異変コアに残っている血は、あと一滴。
どんな些細なダメージでもいい。それを与えさえすれば攻略は完了し、地球は本来の安寧を取り戻す。
この目標のために、無数の攻略者が道中で命を落とした。
死体と骨が階層を埋め尽くしている。
ここまで辿り着いたのは、私が率いたパーティだけだった。
勝利は、すぐそこにあった。
――なのに。
私は視線を落とした。
血に濡れた剣先が、胸元から突き出ている。
温かい血が、刃の稜線を伝って静かに滴り落ちていく。
その剣身に刻まれた銘文を、私は誰よりもよく知っていた。
魔竜の刃。
私自身が鍛え、私自身の手で託した武器。
――私が、最も信頼していた副ギルドマスターに。
この世に二振りとない剣。
全身から力が急速に抜けていき、世界が回転し始める。
手足の感覚が、次第に遠のいていった。
私は無意識に首を巡らせ、
十年間、肩を並べて戦ってきた僧侶を見る。
最低位でもいい。
回復魔法を――。
せめて、形だけでも手を上げてほしかった。
だが彼は、私の視線を避けるように俯き、
スキルのクールタイムを確認しているふりをしていた。
「……どうして……」
信じられない思いで、私は彼らを見る。
かつて私の背後に立ち、
何度も死の淵から引き戻してきた――
そう呼んでいたはずの、仲間たち。
「千階層まで導いてくれて感謝してるよ。でも――」
副ギルドマスターは剣の柄から手を離した。
私はそのまま、床に崩れ落ちた。
「君は強すぎた。
この戦いでの貢献度が高すぎる。
貢献度で分配される仕様だと、報酬の半分以上を君が持っていくことになる」
……私が、強すぎたから?
笑いたかった。
だが、喉から溢れたのは血混じりの咳だけだった。
あの日、ゲームが現実に降臨した。
突然現れた凶悪な魔物の前で、人類は屠られるだけの存在だった。
キャラクターと融合したのは私だ。
最前線に立ち続けたのも私だ。
即死判定から、何度も何度も――あなたたちを引き戻したのも!
炎に照らされながら誓ったじゃない。
この世界を、最後まで一緒に攻略するって!
報酬のためじゃない!
ランキングのためでもない!
それなのに――
命を救った恩も、十年分の戦友の情も、
口にした時はあんなにも熱かった誓いも……
リザルト画面に表示された、たった一行の数字に負けるの?!
もう、声が出なかった。
胸の痛みなんて、どうでもよくなるほど。
本当に私を締め付けていたのは、
すべてを否定されたという感覚だった。
彼らの目に、私は――
隊長でも、恩人でも、十年の仲間でもない。
ただの、
報酬配分が高すぎる“邪魔者”。
意識が沈んでいく。
――滑稽だ。
振り返らなかった自分が、愚かだった。
当然の報いだ。
どうして、
こんな連中のために命を懸けたんだろう。
「さて、それじゃあ――」
私がもう助からないと確認して、副ギルドマスターは異変コアに視線を向けた。
「――ぷしゅっ」
次の瞬間。
異変コアが、わずかに震えた。
攻撃を受けた時の反応だ。
そして――死ぬ瞬間の、最後の痙攣でもある。
だが、その一撃は――
副ギルドマスターでも、どの隊員でもなかった。
「誰だッ!?」
怒号が、広間に炸裂する。
私は必死に視線を持ち上げた。
影の中から、背の高い人影が姿を現す。
彼女の手に握られた短剣は、
すでに異変コアの中心に深々と突き刺さっていた。
そして、最終ボスの最後の体力を、確かに奪い取っていた。
――なのに。
副ギルドマスターの元に、報酬通知は届かない。
最終撃破者は、パーティメンバーではない。
コアは――奪われた。
輪郭しか見えないはずなのに。
思考すらまともにできないはずなのに。
私は、一瞬で理解してしまった。
……はは。
十年もの間、何度も眠れなくなるほど腹が立ち、
夢の中でさえ何度もぶち殺したくなった――
あの嫌な女。
灰になっても、見間違えるはずがない。
暗殺者ギルド最強の会長。
人喰 燈里。
「狐塚凪緒」
彼女は口を開いた。
いつもと変わらぬ、軽薄で見下した声音。
ギルド戦で優位に立った時と同じ、あの調子で。
「まさか、あんたがこんな無様な姿になる日が来るなんてね」
「……は……は……」
言い返そうとした。
だが喉は、もう言葉を紡げない。
情けない呻き声が漏れるだけだった。
影の輪郭が、はっきりと震えた。
それでも、彼女の口調は相変わらず最悪で。
「バカ狐。
だから言ったでしょ。
あんた、いつかあのクズどもに殺されるって」
副ギルドマスターと、その取り巻きは完全に逆上した。
ボスの横取りなんて、私たち二つのギルドでは日常茶飯事だ。
互いに奪い合ってきたし、今さら道徳も何もない。
私は弓で彼女のボスを奪い、
彼女は潜行で私のボスを奪う。
成功するたび、相手を怒りで爆発させてきた。
……でも、今回だけは。
言わせてほしい。
奪い方、カッコよすぎ。
最高。
よくやった。
だが――。
攻略前に、周囲のエリアは完全に掃討していた。
侵入防止の結界も張ってある。
彼女の部下には、
彼女ほどの潜入能力はない。
この結界を突破できるはずがない。
つまり――
ここにいるのは、彼女一人だけ。
援軍は、ない。
もし彼女がここで死ねば――
私と同じように。
本当に、死ぬ。
逃げて。
バカ……!
一度姿を現した暗殺者は、
僧侶にマーキングされたら、二度と潜行できない。
奪ったら、逃げればいいじゃない……!
「……バカ狐」
彼女の嘲笑が、冷たくなる。
「まだ、あたしとの決闘が残ってるでしょ」
視界が、白く染まっていく。
記憶の最後。
赤い光の縁に、黒い影が立っていた。
マント。長い髪。
地獄から這い戻った悪魔のように。
彼女の紅い瞳には、
私が今まで一度も見たことのない殺意が宿っていた。
短剣が、
裏切り者たちの喉を、次々と裂いていく。
自分の体が刃に貫かれようと、決して止まらない。
最後に、彼女は私のすぐ背後に立った。
息遣いが聞こえるほど、近くで。
「来世で」
背中越しに、低く囁く。
命令のような声だった。
「ちゃんと、返しなさいよ」
――
「……どうして……仇を取ったの……
バカ……あんた、逃げられたのに……」
私は跳ね起きるように目を開いた。
溺死から生還したみたいに、空気を大きく吸い込む。
心臓が、暴れるように鼓動している。
……何が起きた?
私は、死んだはずじゃ――。
スマホの時刻表示は……
十年前?
戻ってる……?
胸の奥が、まだ鈍く痛む。
さっきまでの出来事は、あまりにも鮮明だった。
十年間の記憶、そのすべてを覚えている。
夢なんかじゃない。
私は、本当に十年前に戻ってきた。
十年前。
『追尋:SEEKER』という名のゲームは、まだ現実に降臨していなかった。
ただのオンラインゲームで、
誰も知らなかった。
この先、世界をどう変えることになるのかを。
今は、ただのサービス終了間近のクソゲー扱い。
好き勝手にキャラを消し、アカウントを捨てている。
誰も気づいていない。
ゴミだと思われているアイテムも、キャラも、
未来では――
世界中が奪い合う戦略資源になることを。
まだ、間に合う。
全部、やり直せる。
「凪緒、もうすぐ授業始まるけど、どこ行くの?」
「ごめん、千夏。
ちょっと体調悪くて、早退する」
千夏は、私が一番長く付き合ってきた人。
理由を聞くこともなく、彼女は言った。
「じゃあ、戻ってきたらノート貸すね」
少し考えてから、付け加える。
「夜、ログインするの忘れないで」
「うん、ありがとう」
久しぶりに見る千夏の顔に、
私はそっと目元を拭い、背を向けて校門へ駆け出した。
前の人生では、
千夏はゲーム降臨直後の犠牲者だった。
生活職のプレイヤーだった彼女は、
戦う力を持たず、
魔物の大群に飲み込まれた。
助けられなかった。
ごめん、千夏。
今回は――
絶対に、同じ結末にはさせない。
降臨まで、残り六時間。
一分一秒が、致命的に重要だ。
学校にいる時間なんて、ない。
「――どん!」
「――っ……痛……!」
「痛っ……!」
考え事に夢中で、前を見ていなかった。
まるで壁にぶつかったみたいに、体が跳ね返る。
……いや。
相手は、微動だにしていない。
なによ……同じ女子なのに、
なんでこんなに体幹強いの。
しかも、背まで高いし……。
顔を上げた瞬間。
心臓を、鷲掴みにされたみたいに感じた。
反射的に、背中の矢筒へ手を伸ばす。
――空振り。
そうだ。
今の私は、まだ弓を持っていない。
私たちは、まだ宿敵じゃない。
燈里。
燈里が、目の前に立っていた。
制服の上着を適当に羽織り、
片手をポケットに突っ込み、
もう一方の手には、買ったばかりの缶飲料。
私を見下ろし、
そのまま背後の何もない廊下に視線を流す。
眉を、わずかに吊り上げた。
「そんなに急いで、どこ行くの?」
怠そうな声。
私の体当たりなんて、
蚊が鉄板にぶつかった程度だったらしい。
私は反射的に、半歩後退する。
弓兵と暗殺者が戦うには、安全とは言えない距離だ。
「……すみません」
初対面のふりをして、視線を逸らす。
胸の奥が、ざわついた。
前の人生。
私たちは十年間、殺し合ってきた。
資源のため、思想の違いのため。
……でも。
私を殺したのは、彼女じゃなかった。
命を懸けて、仇を取ったのは――彼女だった。
どう向き合えばいいのか、分からない。
どうして彼女が、私のためにそこまでするのか……。
少なくとも、今は。
彼女は、私の復讐対象じゃない。
燈里は小さく笑い、
缶を口元に運ぶ――が、飲まない。
そのまま、私を見ていた。
一瞬の沈黙のあと、彼女は思い出したように口を開く。
「次はちゃんと前、見て歩きなよ」
そう言われて、思わず眉が動いた。
正直に言うと――ゲームが降臨する前のこいつは、まだわりと“普通”だった。
あの含みのある、からかうような口調は少しムカつくけど……少なくとも、影みたいに背後へぬるりと現れて人をビクッとさせるような真似は、まだしない。
私のゲームキャラは狐族の弓使いだ。融合してからは、驚くと尻尾が綿あめみたいにぶわっと逆立つ。
この最悪な女はそれを面白がって、わざと私を驚かせては恥をかかせ、私の判断を鈍らせるのを楽しんでいた。
ほんと、ろくでもない!
思い出すだけで腹が立つ!
私は燈里を避けて、さっさと欠席の手続きをして家に帰った。
ゲームを起動する。
起動した瞬間、画面の中央に浮かび上がったのは――「サービス終了までのカウントダウン」と「アイテム回収ボタン」。
そう。全部は、この忌々しい「アイテム回収ボタン」のせいだ!
多くの人間は、あまりにも無邪気に信じた。
運営がサービス終了前に良心を見せて、「ゲーム内アイテムを現実の通貨に換金できる」選択肢を開放したのだと。
だから彼らは素直に「アイテム回収」機能を使い、自分のアカウントにある神装備やペット、果てはレベルや才能(天賦)まで、すべて日本円へと回収してしまった。
でも、誰が想像した?
たった六時間後――富士山が魔竜の巣になり、大阪には屍鬼が溢れ、太平洋には魔物の森が“生えた”だなんて。
そして、ゲームアカウント内の一部の才能やアイテムが、現実へ融合できるだなんて!
「残り六時間……時間がない。全サーバーのアイテムを全部買い集めるなんて無理。私が狙うべきは、いちばん価値のあるものだけ……」
前の人生では――ここで私は、全部を自分の手で売り払った。
あの時の私は、千夏に笑って言ったんだ。
このゲーム、最後にちょっとだけ補償してくれたね、って。
千夏は頷いて、「お金入ったらご飯おごるよ」と言った。
そのあと、彼女は――遺体すら残らなかった。
私は深く息を吸い込み、記憶を頭の奥へ押し戻す。
キャラクターパネルを開く――
狐族の弓使い。レベルはカンスト。生活スキルは全開。
でも、本当に値打ちがあるのは、レベルなんかじゃない。
降臨後、全員が強制的にレベル1から始まる。引き継げるのは、アカウント内の低級アイテム、未孵化のペットの卵、そして初期才能だけ。
低レベルのアイテムしか引き継げない、とはいえ――
『SEEKER』というゲームでは、化け物みたいに強い神器ほど、レベル1から育つものが多いんだから!
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