第6話 本来の姿
では、改変される前の桃太郎は、いったいどのような物語だったのか。
日本大百科全書には、こう記されている。
「『桃太郎』の基本形式は『猿蟹合戦』にみえる『旅する動物』である。」
「旅する動物」。これは民俗学の用語で、複数の存在が旅の途中で出会い、協力して敵を倒す話型を指す。
この話型は、アーネ・トンプソンの国際話型索引では「AT-130」に分類される。世界中に分布する、普遍的なパターンである。
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有名な例が、グリム童話の『ブレーメンの音楽隊』である。
老いたロバが、主人に見捨てられそうになり、ブレーメンへ向かう旅に出る。途中で同じ境遇の犬、猫、鶏と出会い、仲間になる。四匹は力を合わせて盗賊を追い払い、その家で幸せに暮らす。
旅の途中で仲間と出会い、協力して困難を乗り越える。これが「旅する動物」の基本形だ。
同様の話型は、ドイツ、ノルウェー、フィンランド、スコットランド、アイルランド、スペイン、アメリカ、南アフリカなど、世界中に分布している。
日本にも類例がある。猿蟹合戦の後半、蟹の仇討ちに栗・蜂・臼・牛糞が協力する場面は、まさに「旅する動物」の変型である。
さらに興味深いことに、ミャンマーには桃太郎に酷似した昔話がある。
「親指小僧が、太陽と戦うために大きな菓子を持って出かける。途中、干上がった川の船に会う。船は菓子ひとかけらをもらって食べて仲間になる。以下、竹いばら、苔、腐った卵が同様にして仲間になる。」
菓子を分け与えて仲間を得る。これは桃太郎のきびだんごと同じ構造だ。
つまり、本来の桃太郎は「旅する動物」という普遍的な話型の一変型だったのだ。
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「旅する動物」において、食べ物を分かち合うことは、仲間になる儀礼である。
これは「雇用契約」ではない。「共同体への参入」である。食を共にすることで、他者が仲間になる。世界中の文化に見られる普遍的な観念だ。
江戸時代の桃太郎において、きびだんご(あるいはとう団子)は「報酬」ではなかった。旅の途中で出会った者たちと食を分かち合い、仲間として共に歩む。そういう物語だったのだ。
それを明治政府は、「報酬を払って動物を雇う」という物語に書き換えた。仲間を「家来」に変え、協力を「服従」に変えた。
普遍的な冒険譚を、帝国主義のプロパガンダに作り替えたのである。
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