第39話
アニマ=ゼロとの死闘から二ヶ月。
英雄と呼ばれた六人は、約束通り、名誉も地位も王宮の柔らかな寝床もすべて後にし、世界の「今」を確かめる旅を続けていました。
特別な装備は持たず、高度な魔法や剣術も封印し、ただの旅人として土を踏み、風を聴く。
それは死闘の連続により命を削った彼らにとって、何よりの贅沢な時間でした。
旅の始まりは、みんなの故郷でもある「聖王国ルーン・ヴィーク」。
ディオンの両親の墓前で、アルベローゼが「お義父様、2人のお義母様、ディオンを私にください」とはにかみながら報告した光景は、仲間の心に温かな灯をともしました。
その後、村の隣にあるエルフの里を訪れました。
彼女は、かつて父を急に亡くし、失意の中で独り寂しく逝った母の墓の隣に、父のための新しい墓を設えました。
中には遺骨はありません。
木のネックレスだけが埋められました。
彼の魂が迷わず帰ってこられるようにと、深い祈りの込められた墓石が置かれました。
「大丈夫かい? アル」
ディオンがそっと肩に手を置くと、彼女は振り返り、仲間の姿を見て微笑みました。
「ええ。お父さんも、空の上でお母さんとゆっくりお酒でも飲んでいるわよ、きっと」
不器用に墓石を磨いたバハル、祈るエリカとライナス、供え物を用意したリニ。
空っぽの墓標を囲みながらも、そこには確かな絆がありました。
ディオンも、墓石に向かい心の中で結婚の報告をするのでした。
次に訪れたのは、白亜の港町が眩しい蒼海連邦「マリノ・ガルド」。
リニはかつての同僚や地元の漁師たちと共に、魔物のいなくなった海で獲れる新鮮な魚を使い、見事な料理を仲間に振る舞いました。
「やっぱりリニの飯が世界一だ。これに勝てる高級店なんて、この世にありゃしねえよ」
バハルが豪快に笑い、平和な食卓を囲んだ時間は、何物にも代えがたい休息でした。
そして現在は、三大大国最後の地、広大な砂漠を抱く魔導大国「サハラ・シュタール」。
一行は砂漠を超えた最果てにある海沿いの半島、辺境の街に滞在していました。
活気に満ちた街ですが、交通はまだ不便な辺境の地です。
「……平和ね、ディオン。あんなに騒がしかった世界が、嘘みたい」
潮風に髪をなびかせ、アルベローゼが微笑みかけます。
「ああ。盗賊に何度か絡まれた時は、平和な証拠だと笑ってしまったがね」
次の街に移動しようと、街道を進む一行の前に、地平線を揺らす異質な影が現れました。
砂を巻き上げ、銀色の閃光が群れをなして疾走してきます。
それは魚のような姿でありながら、全身が鋭利な刃の鱗で覆われた不気味な生物――『ザル・ハ・ギル』でした。
「ディオン、来るぞ!!」
バハルの警告と共に、数千の刃が巨大な濁流となって襲いかかります。
『―アイザルン・スルド!!』
ディオンが短く鋭く、古代の響きを持つ言葉を紡ぎました。
彼の前に展開されたのは、物理的な衝撃をすべて撥ね退ける、魔力の盾。
襲いくる『ザル・ハ・ギル』を次々と叩き落とし、バハルの拳とアルベローゼの矢が群れを粉砕します。
戦いは一瞬で終わりました。
しかし、死骸を検分したエリカの絶叫が、砂漠の静寂を切り裂きました。
「これ……魔力を含んでいるわ……魔物よ! しかも以前の奴らよりずっと強い……あの地下都市の魔物と同じくらいに強いわッ!!」
エリカは目を見開き、震える声で叫びました。彼女は理解していました。
平和の象徴であったはずの「魔物の消失」が、今、最悪の形で裏切られたことを。
「……あの地下都市で終わったはずのものが、終わっていない!」
ディオンの声が、乾いた砂風に震えました。
魔王を倒し、すべてを清算したはずの世界。
しかし、地下に封じられたはずの悪意は、より兇悪な形へと変貌し、再び地上へと染み出し始めていたのです。
「聖都へ戻るぞ!! エレオノーラ女王陛下に会わなければならない。一刻を争う!」
六人は、手にしたばかりの穏やかな日常を投げ打ち、聖都ルーン・ヴィークを目指し、砂塵の中を疾走し始めました。
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