第40話

 砂漠の熱風を背に、一行は死に物狂いで聖王国ルーン・ヴィークを目指しました。

 一ヶ月半の強行軍の末、ようやく辿り着いた定期飛空艇の発着地には、すでに女王エレオノーラが差し向けた王宮の迎えが待機していました。

 王宮の謁見の間に足を踏み入れたディオンたちの前に、女王は沈痛な面持ちで立っていました。 女王の背後には、蒼海連邦マリノ・ガルドと砂漠の魔導大国サハラ・シュタールの使節も顔を揃えています。

「……遅かったなどとは言いません。よくぞ戻ってくれました」

 女王の声には、焦燥と安堵が混じっていました。

「状況を説明します。現在、世界各地で魔物が出現し始めています。数は以前より少ない……ですが、個々の個体が強すぎるのです。各国の騎士団はすでに疲弊し、消耗は激しいです。」

 その言葉を聞くやいなや、アルベローゼが同席していた大司教の前に踏み出しました。

「あの古文書と、関係ありそうなヤツぜーーんぶ! ここに持ってきて。それから、少し時間をちょうだい。……あと、私の手足になれる優秀なお手伝いさんを100人、今すぐに!」

 女王は迷うことなく頷きました。

「承知しました。アルベローゼ様、すべてをあなたに託します」

 女王はディオンたちへ向き直り、凛とした声で命じました。

「アルベローゼ様にはこのまま解読に当たっていただきます。ディオン、あなた方は海の国マリノ・ガルドへ向かってください。無茶を承知で、飛空艇の定期便はあなたたちのために運行スケジュールを変更させました。出発は七日後です」

 女王は伏目がちに、しかし誠実に言葉を継ぎました。

「実は……三大大国にはそれぞれ二つの戦略級魔導武器が伝承されています。前回、マリノ・ガルドはあなた方にそれを渡しきれませんでした。……いえ、正確に申し上げましょう。**あえて渡しませんでした。**あなた方が失敗した時のための、最後の備えとして。このご無礼、どうか許してください」

 ディオンは静かに首を振りました。

「……謝らないでください、陛下。それが王として正しい判断だ」

 女王は深く感謝し、続けました。 「マリノ・ガルドに伝わる、すべてを貫く槍――スールン・ハガラズ、そしてすべてを照らす神聖杖――リヒト・ウルアンサズ。これらがあなた方に下賜されます。本当は持ってこれれば良いのだけど、戦略級魔導武器は相応しい者でしか運ぶ事すらままならないのです。続けましょう。また、砂漠の国からはミスリル装備一式、我が国からは最新の魔導装備が用意されます。ディオン、あなたの折れた剣も、今の技術の粋を集めて修復しました。ミスリルを海竜の鱗で補強した特製です」

 差し出されたのは、かつての愛剣。

 眩い光を取り戻した刀身が、七日後の出発を静かに待っていました。


 七日後。

 必要燃料と言えるギリギリの充填で、魔導エネルギーに余裕のない決死のフライトが始まりました。

 一行はマリノ・ガルドへと飛び、下賜された二つの戦略級魔導武具を手にすると、すぐさま聖都へと舞い戻りました。

 王宮の会議室の扉を開けたディオンたちを待っていたのは、凄まじい光景でした。

 目の下を真っ黒に腫らし、充血した目で叫び合う100人の優秀な女性補佐官たち。

 そして、その中央には、同じく目の下が真っ黒の顔で仁王立ちするアルベローゼの姿がありました。

 会議室にはマリノ・ガルドの王族やサハラ・シュタールの三兄妹までもが同席し、あまりの緊迫感にガヤガヤと不安と怒号が入り混じっています。

「うるさーい! 全員だまって聞きなさいッ!!」

 アルベローゼの絶叫が広間を震わせ、一瞬で静寂が訪れました。

 彼女は机の上に、巨大な地図を叩きつけました。

「この地図を見なさい! 全部古代魔導エルフ文字で書いてあるから、翻訳が死ぬほど大変だったんだからね……はぁー、もう寝たい!」

 彼女は乱暴に髪を掻き揚げながら、地図の五箇所を指差しました。

「ここ、ここ、ここ、ここ、ここー!! この五箇所が『補助魔導エネルギー供給センター』よ。そして、その隣に必ず隣接しているのが……これね全部の施設だよ、『戦術人工魔導生物陸軍基地』。あ、一箇所だけ空軍基地って書いてあるけどね。たぶんモンスターがぎっしりいるところだよ」

 仲間たちが息を呑む中、彼女は一冊の古文書を突きつけました。

「メインの供給センター……つまり私たちが壊した地下都市の核が停止すると、その二ヶ月後にこれらの補助施設が『同時始動』する仕組みになっていたのよ! しかも出力を見て。メインは一基で1日16,000ルルークだった。でもこの補助センターは五基合わせて25,000ルルークよ!」

 アルベローゼの瞳に、かつてないほどの危機感が宿ります。

「わかる? モンスターは前よりずっと強くなる。そして、それらを稼働させるための材料……つまり人間を集めるペースも、今までよりずっと多く、早くなるわ。さらに……あの魔王を生産していた施設。あそこも、たぶん再始動すると思う」

 静まり返る会議室。

 マリノ・ガルドから共に飛空艇に乗ってきた王族たちも、その数字の衝撃に言葉を失いました。

 平和だと思っていた二ヶ月間は、ただの「起動猶予期間」に過ぎなかったのです。

 ディオンは修復された剣の柄を強く握りしめ、新たな地獄の幕開けを見据えました。


 静まり返った会議室に、アルベローゼの乾いた声が響きました。

「……もちろん、地下に行くしかないよ。行けるのは私が使う次元を渡る魔法矢だけだしね。三人の女の子の命を使う話なんてしたら、私、怒るからね」

 彼女は隈の浮いた顔を上げ、仲間の顔を一人ずつ見つめました。

 その瞳には、世界の運命を背負う者の覚悟と、逃れられぬ宿命への冷徹な理解が滲んでいました。

「まずは五箇所の補助魔導エネルギー供給センターをすべて壊す。その後、『ヴォル・ヴィア・ラボラトール』(魔導生物兵器開発研究所)にまた行って、魔王が生産されそうなら止める。……もし、もう生産が終わってたら? ははは、頑張るしかないよね」

 彼女は自嘲気味に笑った後、ふっと表情を崩し、震える声でディオンたちに問いかけました。 「ごめんね、お願い。私は地下都市に行くけど、ディオン、ライナス、エリカ、バハル、リニ、お願い。また、私と一緒に来てくれる? ……死んじゃうかもしれないけど?ううん、たぶん絶対にみんな死んじゃうと思う。」

 涙が一筋溢れます。

「バカだなぁ、一緒に行くなんて当たり前のことなんて聞くんじゃねーよ」

 重苦しい沈黙を、バハルのぶっきらぼうな声が切り裂きました。

 彼は頭を乱暴に掻き、いつものように傲岸不遜な笑みを浮かべます。

「俺たちが、お前を一人でそんな掃き溜めに行かせると思ってんのか?」

 仲間たちの揺るぎない眼差しを受け、アルベローゼの瞳の涙が溢れました。

 彼女はディオンの手をぎゅっと握りしめ、居並ぶ世界中の王族や重鎮たちの前で、魂を振り絞るように告げました。

「もう一つのお願い。出発の日まででいいから、少しだけ夫婦をしたいの。ディオンの隣で、少しでいいから、普通の妻として過ごさせてほしいの」

 その場にいた参加者の何割かは、声を押し殺して涙しました。

 世界の命運を握る「英雄」としてではなく、明日をも知れぬ戦いへ向かう一人の少女としての切実な懇願。

 それは、どんな作戦会議よりも重く、人々の心に突き刺さりました。


 女王エレオノーラは、深く頷き、凛とした声で宣言しました。 「……聞き入れましょう。出発の日は、今から二週間後と定めます。」

 この二週間という期間は、三大大国の威信をかけた物資の準備に要する時間であると同時に、女王が「地上の騎士団がなんとか持ちこたえつつ、英雄たちに最後の平和を与えることができる」と判断した、軍事的にも感情的にもギリギリの期日でした。

「文官たち、直ちに出発の準備を! 最高のミスリル装備、魔導装甲、そして我が国の秘薬を揃えなさい。地下都市では一切食料が手に入らない。アルベローゼ様の異空間収納が満杯になるまで、最高級の食料と資材を多めに見繕って詰め込むのです」


 会議室に広げられた地図の上で、議論は紛糾しました。

 予定される全施設を巡る進路は、総距離にして一千二百ライン(km)。

 広大な地下空間には道などなく、当然ながら馬車などの輸送手段は一切用意できません。

 頼れるのは己の足と、収納された物資のみ。

 補給の利かない閉ざされた世界での、極限の強行軍となります。

「……陛下、せめて騎士団や魔導士団の派遣を」

 一人の将軍が食い下がりましたが、バハルがそれを一蹴しました。

「無駄だ。地下の魔物に、普通の騎士が太刀打ちできるか? 補給も増援も望めねえ戦場に送り込めば、役に立たず全滅するだけだ。足手まといを抱えて歩けるほど、今度の地下は甘くねえんだよ」

 ライナスも静かに、しかし断固とした口調で続けます。

「仮に三人の乙女を捧げて封印を解けば、騎士団は地下に進軍できるでしょう。しかし、強大化した魔物たちがこの王城地下から聖都へ『逆侵攻』してくるリスクすらある。……僕たち六人だけで、すべてを終わらせる。それしか道はないんです」

 会議はその後も踊りましたが、結局のところ、英雄たちに頼る以外に世界を救う術はないのだと、誰もが痛いほどに思い知らされるのでした。一千二百ライン(1200km)の死行。二週間の猶予を終えた先に待つのは、あまりにも重く、孤独な宿命でした。

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