第36話
地下都市での過酷な十日間。
最初に「身体的」な完全回復を見せたのは、アルベローゼでした。
ライナスの命懸けの魔法によって接合された左腕は、見た目こそ元通りでしたが、神経を焼き繋ぐような激痛が絶えず彼女を襲います。
「……いたたた。ライナスの魔法は凄腕だけど、この『痛み』だけは、どうにもならないね」
彼女は顔をしかめ、脂汗を流しながらも、空いた時間で研究所から持ち帰った、あのファイルを必死に翻訳し続けていました。
その横で、ライナスとエリカは、あえてあの一件には触れず、ぎこちない空気の中で回復に努めていました。
「魔法は万能じゃない。傷は塞げても、痛みまでは消せないんだ。みんな、あと少しの辛抱だ」
ライナスは蒼白な顔で仲間を鼓舞し続けました。
そして十日目の昇天の輝き(午前十時 )。
全員の重傷が「見た目だけ」は完治したその時、アルベローゼがまだうまく動かせない震える手で最後の次元通行矢を放ちました。
眩い光が収まった瞬間、一行の鼻を突いたのは、聖都ルーン・ヴィークの澄んだ冬の空気でした。
出口を固めていた近衛兵一個小隊、十名の精鋭たちが一斉に色めき立ちます。
ここから現れるのは「生還した英雄」か、あるいは「全てを食らい尽くした魔王」のどちらかだと覚悟し、交代で見張りを続けていたのです。
現れた六人の、ボロボロに砕け散った鎧、刃の欠けた武器、そして何よりその凄絶な瞳を見た瞬間、小隊長は喉を震わせて叫びました。
「――英雄殿だッ! 英雄殿がご帰還されたぞォ!!」
「おいおい、そんなに叫ぶなよ……頭に響くぜ」
バハルが耳を塞ぎながら苦笑いを見せましたが、小隊長は構わず続けます。
「救護班を呼べ! 早馬を出せ! 陛下に、陛下にお伝えしろッ!!」
そこからは怒涛の展開でした。
早馬が風を切って走り、数刻と経たぬうちに、聖都の医療院には世界の指導者たちが集結しました。
聖王国の女王エレオノーラ、海の国王、そして砂の国の女王アリステアと、フェリス、セシリアが文字通り「飛んで」駆けつけました。
「ディオン! エリカ! よくぞ……よくぞ生きて戻ってくれました!」
アリステア女王が、王冠すら乱れるほどの速さで駆け寄り、涙を浮かべながら彼らの手を取ります。
まさに世界サミットさながらの入院劇でした。
医療院の一室。
厳重な警備が敷かれる中、アルベローゼが翻訳し終えたファイルをエレオノーラ女王に差し出しました。
「女王陛下……これを見てください。地下都市で見つけた、古代魔導エルフ文明の『恥部』です」
女王がそのページをめくるたび、部屋の温度が下がっていくようでした。
かつての指導者たちが、下級国民を「燃料」にして不老不死を夢見ていた記録。
そして、今なお自動的に作動し続けていた精神転送のリスト。
「これは……なんという、おぞましい……。第1204代大統領、軍事司令官……彼らは、民の命を糧に永遠を貪ろうとしていたというのか」
「陛下、そのリストの連中をダウンロードするための器が『アニマ=ゼロ』……私たちが魔王と呼んだものの正体です」
エリカが静かに、しかし怒りを込めて告げました。
「でも、もう終わりました。供給センターを叩き潰したし、アニマ=ゼロもこの私が、空間の隙間に放り込んでやったんだから」
アルベローゼが、痛む左腕をかばいながらも、誇らしげに胸を張りました。
エレオノーラ女王は深く、深く息を吐き出すと、ファイルを手にしたまま六人の前に膝をつきました。
「あなたたちは、魔王を倒しただけではない。この世界の『呪われた歴史』そのものを断ち切ってくれたのだ。……心から感謝する、英雄たちよ」
「……なあ、ライナス」
隣のベッドで、全身三桁の骨折を無理やり固められたバハルが、小声で囁きました。
「陛下たちの前でカッコつけるのはいいが、お前、死に際にあれだけ盛大にエリカにぶちかました『アレ』、どうすんだよ?」
「うっ……! バハル、声が大きいよ……!」
ライナスは真っ赤になり、隣のカーテンをちらりと見ました。
エリカもまた、聞こえないふりをしながら、耳まで真っ赤にして布団を被っています。
「あーあ、こっちは腕も足も痛くて死にそうなのに、あっちの二人は熱くて死にそうね」
アルベローゼが、ディオンの胸に頭を預けながら、茶目っ気たっぷりに笑いました。
「アル、君も少しは休まないと。……痛み、代わってあげられたらいいんだけど」
ディオンが優しくその手を包み込むと、アルベローゼは幸せそうに目を細めました。
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