第35話

 戦場は、もはや地獄の底ですら生ぬるい惨状と化していた。

 ライナスは、断たれたリニの右足とアルベローゼの左腕を必死にかき集め、二人を後退させる。 「……死なせない、絶対に……!」

 魔力は底を突き、今は自らの命を魔力へ変換して神聖魔法を紡いでいた。

 アルベローゼとエリカは意識を失い、リニは欠損した右足の付け根を抑え、苦痛に喘いでいる。

 その前方、バハルは戦略級大楯『イージス・カノプス』を掲げ、ライナスの盾となっていた。

 だが、アニマ=ゼロの無慈悲な斬撃が、鋼をも凌駕するその盾を紙のように切り刻んでいく。

「――父上、僕に力を。命ならいくらでもくれてやる!」

 ディオンが立ち上がった。

 その脳裏に、父ガリアスから授かった禁忌の剣技が蘇る。

「『ゼノ・レギス・ギル・グラヴィア』!!」

 命の輝きをすべて剣身に宿し、ディオンが跳んだ。

 一閃。

 空を切り裂く衝撃と共に、アニマ=ゼロの上半身が魔法無効障壁ごと切り飛んだ。

「ガハッ……!」

 代償としてディオンは全内臓が焼かれながら搾られるような激痛に襲われ、多量の血を吐いて膝を折る。

 だが、アニマ=ゼロの切り離された上下半身が、触手によって再び繋がろうとする。

「まだだ……終わらせない!!」

 ディオンは意識が遠のく中、二撃目を叩き込んだ。

 二閃。

 爆発的な閃光が炸裂し、亡霊の武装が全て爆砕。

 触手の九割と両腕が切り飛ばされ、断面が白く焼けて炎上した。

 魔法無効障壁が消失する。

「今だぁぁぁッ!!」

 バハルが、砕け散る寸前の盾で突進した。

 ドォォォォォン!!

 渾身の体当たりが亡霊を吹き飛ばす。

 あと0.5秒遅ければ、ライナスの首を亡霊の刃が刎ねていた。

 刃は虚しく空を切る。

「……焼かれなさい、化け物!!」

 意識を取り戻したエリカが極大火炎を放った。 「あ、あああ……」

 アニマ=ゼロの咆哮が響く。

 ディオンはそれを見届け、意識を失い倒れた。 エリカの火炎が亡霊を包み、リニの槍がその身を金属床に縫い付ける。

「――みんな、離れて!!」

 アルベローゼの声が響く。

 全員が意識のない仲間を抱え、決死の跳躍で飛び退く。

 彼女は弓を引き、二本の矢を同時に番えた。 「これで、お別れよ! 『ディメン・グラース・ピル』(空間崩壊矢)! そして、『ディメン・レクト・ピル』(空間修復矢)!!」

 一本目の矢が空間を砕き、暗黒の亀裂がのたうつ亡霊を空間ごと砕き、虚無の空間に飲み込んだ。

 間髪入れず二本目の矢が空間を編み直し、修復する。

 アニマ=ゼロは黒い液体だけを残して消滅した。

 その直後だった。

「……あ、……」

 全員を治療し終えたライナスが、力なく膝をついた。

 鉄柱の貫通傷は、熱で焼かれ塞がっていたはずだった。

 だが、命を削るほどの魔力行使により、焼かれた傷口が開き、脇腹から大量の鮮血が噴き出した。

「エリカ……好きだ……」

 それだけを絞り出すように告げると、ライナスはそのまま意識を失い、冷たい石畳に倒れ伏した。


 止まった時間、十日間の野営

 それから十時間が経過した。

 一人、また一人と重い瞼を持ち上げる。

 地下都市は依然として昼夜の区別なく、澱んだ空気と紫の燐光に包まれている。

 しかし、目を覚ました六人は、なぜか目の前に広がる冷酷な古代の廃墟が、この上なく「美しい」と感じていた。

 死の淵を共に乗り越えた者だけが見ることのできる、生への輝きだった。

「……ん、……」

 ライナスが意識を取り戻した。

 真っ先に胸に去来したのは、死ぬ間際に口にしたあの言葉だ。

 「あれは、夢か」

 小さく呟く。

(……言った、のか? いや、あれは朦朧とした意識の中で見た夢か……?)

 彼は自分の告白が現実か夢か区別がつかず、隣に座るエリカの横顔を見ては、心臓が爆発しそうなほどドキドキしていた。

 一方のエリカは、真っ赤な顔をして俯いていた。

(……夢なわけないじゃない。しっかり聞こえたわよ、バカ……)

 彼女もまた、あの切実な告白をはっきりと覚えており、ライナスと目が合うたびに視線を泳がせていた。

「おい、ライナス。顔が赤いぞ、まだ熱があるんじゃねえか?」

 おそらくは、全身の骨折箇所が三桁に達しているはずのバハルが、平気な顔をして笑いかける。 「……へっ、俺は元気だ。これくらい、リニの飯を食えばすぐ治る。あと酒だな」

「無理しないで、体、ボロボロなんだから」

 リニは回復魔法で繋ぎ合わされた右足をさすりながら、呆れたように、しかし愛おしそうに夫に寄り添う。

 アルベローゼも、接合された左腕を動かし、傍らで眠るディオンの手を握りしめた。

「……生きてる。私たち、みんな生きてるんだね」

 武器も鎧も見る影もなく損傷し、満身創痍。

 それでも彼らは、ここから動けるようになるまでの十日間、寄り添い合って過ごすことに決めた。


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