第2話

 村の外れにある酒場『琥珀の蹄亭』。

 その隅で、ディオンは一人、安酒のグラスを見つめていた。

 彼は十八歳。

 村長への挨拶は済ませた。

 明日、この住み慣れた土地を捨てる。

 その重みが、酒の苦味と一緒に喉に張り付いていた。

「……一人で飲む酒は、毒より回るのが早いぜ、ディオン」

 不意に背後から、地響きのような声が降ってきた。 振り返る間もなく、隣の席にどっかと巨躯が腰を下ろす。

 首筋に鈍く光る龍の鱗――バハルだ。

彼はディオンと同い年だが、身長は2.45ガルイ(2メートル45センチ)

 彼は注文もしていないのに、店主に特大のジョッキを掲げて笑った。

「バハル……どうしてここに」

「水臭いこと言うなよ。お前が一人で抱え込んで旅に出るなんて、村中の奴が知ってるぜ。……俺も行く。酒と、盾を担いでな」

「でも、君には一族のこともあるだろう? 無理はさせられない」

「いいんだよ。鱗がある俺の親友になろうなんてバカはお前たち兄弟だけだ。龍の血が、恩人に盾を貸せって騒いでるんだ。がはは!」

 バハルが豪快に笑い飛ばしたその時、酒場の扉が静かに開き、落ち着いた声が響いた。


 宿への帰り道、二人の足取りは重かった。

  自宅に戻ると、明かりの点いた部屋で兄、ライナスが静かに本を閉じた。

 兄ライナスは三十歳。

 弟から見ても、影のある繊細な美形の顔が儚さを感じさせる。

 その傍らには、手入れの行き届いた杖と旅装が置かれている。

「お帰りなさい、ディオン。旅の仲間が増えたようですね」

「ライナス兄さん……。ごめんなさい、黙って行こうとしたわけじゃ……」

「謝る必要はありません。ですが、一つだけ忠告を。聖図書館は知識の聖域……一介の放浪者が入れる場所ではありません。そこには、上級司祭以上の紹介状、あるいは同行が必要不可欠です」

 ライナスは眼鏡の縁を押し上げ、落ち着いた声で淡々と、けれど有無を言わせぬ口調で続けた。

「つまり、村の司祭である私が行くしかないでしょう。私が行かなければ、あなた方は門前払いを食らうだけですよ」

「兄さん……。ありがとう。僕は、嬉しいよ。兄さんがいてくれるなら、本当に心強い」

ディオンの声が震えた。

 孤独な旅になるはずだった夜が、頼もしい絆で満たされていく。


 そして、旅立ちの朝。

村の入り口に、朝霧を切り裂くような鋭い声が響いた。

「ちょっと! 置いていくなんて、あんまりじゃない!?」

 大きな荷物の上に乗っかって、むくれた顔で座っていたのは、幼馴染のエルフ十七歳アルベローゼだった。

尖った耳をぴくぴくと動かし、手にした弓でディオンの鼻先を叩く。

「アルベローゼ!? 君までどうして……」 「『どうして』じゃないよ! 村中知ってるもん。絶対に誘われると思って待ってたのに。こんな面白そうな旅、私を外すなんてひどすぎる。ディオンは私がいないと、すぐ迷子になるでしょ?」

 アルベローゼはニシシと悪戯っぽく笑うと、ぴょんと荷物から飛び降りた。

「さあ、決まり! 私がついてるんだから、どこへだって行けるよ!」

 「私も……私も連れて行ってください、ディオンさん」

現れたのはエリカだった。

 普段、村の教室で子供たちに向ける柔和な笑顔を、今は凛とした決意に変えている。

「エリカさん……村の学校はどうするんですか? 危険な旅になります」

「代わりの先生なら、村長様にお願いしてきました。……ディオンさん、私も呪いの正体を知りたいのです。なぜ私が選ばれたのか、その根源を。私も、自分の足で真実に辿り着きたい」

彼女は、自身の内にある危うさを微塵も感じさせない、穏やかで丁寧な口調で続けた。しかし、その瞳の奥には揺るぎない覚悟が宿っている。

 

 彼女の静かな願いを拒む理由は、今の彼には見つけられなかった。

 ディオンは呆れたように肩をすくめ、それから仲間の顔を見回した。

 呪われた血、秘められた宿命、そして種族を超えた友。

  前途多難な旅を予感しながらも、ディオンの足取りは、昨日よりずっと力強いものになっていた。

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