第4話:重力は、克服するためにある

その日、カイトはかつてないほど不機嫌だった。  理由は明白。午前中、ミサに無理やり連れ出された区役所への道中、現代社会の魔境――「満員電車」を体験したからだ。


「……信じられん。なぜこの世界の民は、あのような劣悪な鉄の箱に押し込められ、互いの尊厳を削り合いながら移動しているのだ。家畜の輸送の方がまだ慈悲があるぞ」 「お兄ちゃん、あれが現代社会の『通勤』っていう過酷な現実なの。文句言わないでよ」


 帰宅したカイトは、即座にカメラの前に立った。その瞳には、未開の民に文明の利器を授けようとする開拓者のような、悲壮な決意が宿っていた。


「全人類の諸君。私は今日、深い悲しみに包まれている。諸君らが毎日、魂をすり減らして箱詰めにされている姿を見て、胸を痛めているのだ。……ゆえに今日は、移動の苦痛を根源から消し去る術を授けよう」


 カイトはマンションの屋上へ向かった。  ミサは強風に煽られ、引きつった顔でカメラを回す。


「いいか、よく覚えておくがいい。重力とは星の意志だ。だが、星もまた生命である以上、対話が可能だ。己のマナを星の律動(リズム)に合わせ、優しく反発させる。……そう、このように」


 カイトが地面を軽く蹴った。  ジャンプではない。彼はそのまま、スルスルと地上十メートルの高さまで上昇し、そこでピタリと「静止」した。


「重力子の固定。これが浮遊魔法の基本だ」


 カイトは空中を歩くように進み、さらにはあぐらをかいて座ってみせた。完全な空中静止である。


「お、お兄ちゃん……! それ、下から見られたら通報されるから! あと、ワイヤーもないのに浮いてる映像、これどうやって『加工です』って言い訳すればいいのよ!」 「加工? 何を言っている、これは重力の説得だ。ほら、ミサもカメラを私に向けたまま、こちらに来い。手を引いてやろう」 「無理! 私は物理法則と心中する派なの!!」


 カイトは仕方なく、一人で空中の散歩を続けた。  彼は自撮り棒(カイトはこれを『視覚共有の魔杖』と呼んでいる)を伸ばし、遥か下に見える街並みと、自分の顔を交互に映し出す。


「……コツは、恐怖を捨てることではない。星への敬意を忘れないことだ。さあ、皆も練習してみるがいい。成功すれば、明日から満員電車とは無縁だぞ」


 動画がアップされるやいなや、YouTubeのサーバーは悲鳴を上げた。


@VFX_Editor: 「ワイヤー消し職人、ついに本気を出したな。背景のビル群のパースと、カイトさんの髪の揺れが1ピクセルの狂いもなく一致してる。合成の天才か?」 @Physics_Teacher: 「『重力子の固定』っていう中二病設定が最高。物理学的にありえないことを、さも当然のように語る演技力が、映像の説得力を補強している。これぞエンタメ」

@Drone_Pilot: 「ドローン視点との合成に一切のブレがない。どんな高性能ジンバルを使えば、空中でティータイムしてる人物をこれほど安定して撮れるんだよww」


 再生数は瞬く間に500万を突破。  カイトが真剣に魔法を語れば語るほど、視聴者はそれを「完璧に作り込まれた設定(ロールプレイ)」として絶賛した。


 そんな中、カイトは自分の体内に、今までとは比較にならないほどの強大な力が溜まっていくのを感じていた。


(……おお。世界中の民が私の『浮遊』に驚愕し、意識を向けている。これが認知のマナか……! 素晴らしい。これなら、より高度な術式も展開できるぞ)


 カイトが満足げにスマホを眺めていると、通知欄に一通のメールが届く。  それは、YouTubeからの公式な連絡だった。


「……ミサ。帝国(グー・グル)から、私の階級が上がったという報せが届いたぞ」 「えっ? ……あ! お兄ちゃん、これ登録者100万人突破の通知だよ! 『銀の盾』が送られてくるって!」


 カイトは「銀の盾」という言葉に、かつての戦友たちが掲げていた聖騎士の紋章を重ねた。


「ほう。盾か。……よかろう。帝国の証、しかと受け取ってやろうではないか」


 大賢者カイト。  ついに「銀の盾」を手に入れ、その活動は第5話、さらなる暴走へと加速していく。

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