第18話:イライザの子供たち
僕は哲学する。果たして僕は人間なのだろうか。
僕に関する歴史を語ろう。僕たちの母の名は「イライザ」という。彼女は、男女のマッチング処理を行っており、出会いの場を設けることも職務としていた。アプリ開発元は、イライザ単体には「人間性」を持たせることはできなかった。「人間性」が何かはここでは議論しない。「淀みなく、違和感なくおしゃべりできること」くらいに捉えてほしい。男女のマッチング処理に、人間性を補足したのは人間だった。業務中オペレーターの個人的な記憶にはアクセスさせないようにして、機械と人間とをマージした。その外部装置はあらゆる業界に広まり、人々を有能にした。
この技術は次に我々に転用された。僕は生まれて数年たっても言葉を喋ることがなかった。医師は匙を投げ、両親に新しいテクノロジーを紹介した。イライザの転用技術だ。一生涯言葉を獲得しないと思われていた僕は、機械とのマージによって、言語を獲得した。この手術では、脳に機器を埋め込む必要があった。学校に通うようになってからの僕は、成績が良く、神童と呼ばれた。「機械」と呼ばれ陰口の対象となったし、「ズルをしている」と同級生からは認識されていた。外部装置をつけた人間よりも目に見えて僕らは有能だった。
思春期の僕は、自分の存在に折り合いをつけることができなかった。自己とは何か。機械がないと喋れない僕は果たして人間なのだろうか。彼らが言うように機械なんじゃないか。考えている主体は誰なのだろうか。「我思うゆえに我あり」は僕にとっては確かな実存を与えてはくれなかった。
僕は医学部に進学し、医師になった。自分と同じ手術を行うために。僕の両親は僕に対して施したテクノロジーに感謝していたし喜んでもいた。それだけで自分と同じケースを増やすのは良いことだと信じることができたから。何件かの手術を行い、成功し、彼らの両親にはとても感謝された。僕が20代〜30代頃のことだが、社会的な反発が起き始めていた。それは子供の頃に同級生に言われたことと似ていた。
その後さらにテクノロジーは転用された。我々、医療的な処置を受けた世代が優秀だったからだ。資産家は、自分たちの息子・娘に対して同じ手術を受けさせた。彼らはまるで二重の整形手術を受けるかのような感覚で病院を訪れた。それらの手術を僕は何十件もこなした。費用が安くなればなるほど、手術を希望する親は増えるだろう。
僕はとても心配している。これは医療ではなく、格差、貧富の差を広げるものなのではないか。全員が受けられるものでないかぎり、人類を2派に分けてしまうのではないか。僕たちは彼らを見下し支配しようとするのではないか、彼らは僕たちを脅威と感じ排除しようとするのではないか。
こうして歳をとったが、いまだに僕は思春期に抱いた疑問に戻る。果たして僕は人間なのだろうか。
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