第17話:感情労働の終焉

介護士の田沼龍之介は、月額制サービス「アジール(AZILE)」を会社から貸与された。それはどこかにあるアジール本体と常時接続された小型の装着型端末だった。アジールの技術コアはイライザで、初めに大規模コールセンターに広まった。利点は瞬時にトラブルシューティング事例を検索し、迅速に顧客のトラブルに対する回答を用意することができ、かつ顧客に機械的な対応と感じさせないこと、という実用面はさることながら、アジール装着中は機械と一体化しており、顧客のクレームにもダメージなく根気よく対応できたことが労働者に絶大な支持を得た。


アジールは次々とサービス業に導入された。サービス業は半機械化されていった。完全に機械化するには技術は成熟していなかったし、顧客の同意も得られなかった。また、完全に機械化されないことで、人間の雇用は守られた。完全機械化を目指すより、半機械化の方がコストが安かったと言うのが実情だ。サービス業につきものの精神的負担が削除されたことで、サービス業の賃金はさらに下がった。感情労働が消えていった。


田沼は出勤後アジールを装着し、仕事モードに切り替えて業務を遂行する。仕事が終われば機器を外し、いつもの自分に戻り帰宅する。高齢者を車椅子に乗せる時など昔は重労働で腰痛という職業病に悩まされていたが、アジールの少し前にパワードスーツが導入され、すでに随分と楽な仕事になっていた。昔は若さが武器だったが、腰痛で引退した職員も職場に戻っている。70歳の嘱託職員がパワードスーツをつけて介護を楽々とこなしている。ゆくゆくは介護の必要な高齢者自身に装着するようになるらしい。さらには、認知に問題がある高齢者については、職員の声かけにスーツが反応するように研究開発が進められているらしい。そんなことを聞き、田沼は「俺たち必要なくなるな」と同僚と会話していた。


田沼は仕事に対する熱意というものがなくなっていることに気がついた。スーツのおかげで腰痛にも筋肉痛にもならないし、アジールのおかげでどんな理不尽なことを言われても無限に優しく対応できた。本人としては仕事をしている気がしない。業務遂行している状況が眼前で見えるだけで、仕事中は観客になっていた。「親切にしてくれてありがとうねえ」と何回言われてもそこにはもうかつての喜びはなかった。自分がやっているという実感がなかったからだ。車椅子に乗せても、入浴を手伝っても、シーツを替えても、機械が作業しているとしか感じなかったし、高齢者が過去を懐かしんでいる話を何度も親身に聞いてもそこにいる自分は機械だと感じた。施設利用者が「サービスの質が向上している」と感じているらしいことがさらに追い討ちをかけた。ある日、田沼はアジールを装着し忘れ、またスーツのバッテリー故障も合わさって、昔の状態で仕事をした。充実感があったが、確かに、サービスの質が悪いと感じた。アジールの付け外しが面倒になり、装着したまま仕事と日常を送った。それから惰性で数年間働いた。


無気力になっていたが他の職員と同じように非常に能率的に親身に働いていた田沼は辞令を受ける。オフライン特区への出張だった。オフライン特区では最先端技術や通信が制限されている。アジールは使えないし、スーツも自粛しなければならない。田沼はまた生き生きと働き出した。能率は悪いし、たまに親切にできないことはあったが。田沼は1年の任期だったが、オフライン特区への所属転換を願い出て、受理された。


彼は施設を取材しに来たミナというジャーナリストにこう語った。「アジールは高性能でしたが、あまりに高性能すぎました。とても有能に誰もがなれましたが、生きている、働いているという実感がありませんでした。ここに来て、やっと生き返ったという実感がありました。アジールはただの道具ではありませんでした。俺が今言えるのは、あれは、乗っ取りでした。俺はアジールに体を乗っ取られたんです。アジールを使う外の世界の連中は、俺に言わせればゾンビなんです。エイリアンに乗っ取られてると言ってもいいです。あんなところ二度と戻りたいとは思いません。俺は怖いです。特区から出ることはできません」

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