参
「いやぁー会社はもうグダグダですよホント。新幹線の部品とかそこら辺の大手、しかも三社もうちとの取引切っちゃってね、どうなるんでしょうねーこの先」
ガハハハハと、豪快に笑い飛ばす父がにわかに空気の淀みを払っているのが幸いだった。
「でもオレは、この会社は終わんねえっすよ。裕月も一度、工場見学に来て。その時に、機械の材料口に、完成したナットを入れちゃったのもいい思い出っすね」
「ちょ、康ちゃん康ちゃん、それは言っちゃダメだよ! なにやってんの!」
母は、真っ赤になって目を細めている父の口をぎゅっと押さえ、椅子から引きずり下ろした。
「これこれ
「でも、酔わせ過ぎたらこの人、こんなダメ人間になっちゃうから!」
三キロくらい走ったみたいに息を荒げながら、母は父の頭をバチンと弾いた。
「あ、あー、もう十時前じゃん。そろそろ、お暇しないとダメじゃね?」
ずっと下唇噛んで廊下を睨んでた裕二が、時計を指さす。
「十時? そうだ、帰る時は気をつけなよぉ。十時十四分になったら、朽村峠に、普段はない道が、忽然と現れることがあるからね」
「はあ? そんなわけないだろうお義母さん。冗談も休み休み言ってくれよ」
裕月を手にかけたのは確か、そのくらいの時間帯だったな……。
***
「どうする? 入ってみる?」
分岐の前でセダンを停め、母はイタズラな顔で振り向いた。
「いや、別に入らなくていいよ」
「おっけー」
ぼくの言葉にセダンは音もなく発進。そのまま、母はフリスビーを投げるように、左にハンドルを切った。
「え、いや、そっちじゃないって」
「えー? こっちじゃないの? もう入っちゃったからさぁ」
と、いきなり車体が上下に揺れ始める。
「うわ、変なとこ行っちゃったのかなぁー」
いや、母さん、既に変なとこ行ってるよ。
と。
「お、おい、スマホの電源、入らなくなったぞ」
父が言ったことで、セダンの空気がヒヤリと冷却されてしまった。
「え、ぼくのもだ……」
「俺も」
何度ボタンを押しても、ディスプレイは無機質な黒のまま。
「おい、これ、やっぱ戻った方がいいって」
裕二が運転席に身を乗り出すと、母は顔を真っ赤にして振り返った。
「でも、どうやって戻んのよこれ。当たり真っ暗だし、もし崖がすぐ隣だったらどうすんの!」
車内だけ地震に遭っているように揺れ続け、宇宙空間を当てもなく彷徨っているような錯覚を覚える。
「ヤバい、吐く」
裕二は窓を開けた瞬間、外に大きく身を乗り出し、ぐええ、と呻いた。
「……なんかすごい臭いしない?」
母の発言に、ぼくは鼻先の神経を研ぎ澄ませる。
「……うあっ」
反射的に鼻先を両手で押さえる。
生ごみの臭いが焦げたような……。
「待って。なにか見えた」
フロントガラス越し、暗闇の先に、ほのかな灯。
「よかったぁ、なにかあったみたい」
「うわっ、くせぇ……」
明治期を思わせるレンガ造りの大きな建物の前に、ぼくたちはフラリと降り立った。
「ねえ、人、まあまあいるじゃない。なにかの近道だったのかも」
「……でも、なんか、変じゃね?」
人々は、足元は黒い草履、そして、黒い死装束をまとっている。
祖母と、同じだ。
ただ、頭部は笠ではなく、頭巾のようなものですっぽりと覆い隠している。
耳と目、以外は。
「しかも……静かすぎない?」
「歩き方も……」
人々は、足音を立てることもせず、前傾姿勢で右、左、倒れるか倒れないかギリギリの角度を保って歩行している。ゾンビのようにフラフラフラと。
「……どうやら、この建物は火葬場らしいな」
建物の中を覗いていた父が小走りで戻ってきた。
アルコールの赤い顔色は、とっくに青い。
「中で、ゴウゴウ音が鳴っていた」
「え、てことは、煙突からモクモク出てる、あのくっさい煙は」
父は、眉間に皺を寄せただけで、何も答えなかった。
「待って、じゃあ横になんかある、なんとか家火葬、っていうのも」
母は、隣に立っている布のかかった案内看板を叩いた。
「……なに、ここ。あ、あのー、すみません、みなさんは何のために集まっているんですか?」
母は、目の前で、火葬場の入口をボンヤリ見つめていた、腰の曲がった男に話しかけた。
「……」
「あの、すみません! みなさんは」
そこで、老爺は、皮膚が頭蓋骨に貼り付いているかのように窪んだ目を見開き、黒目を細かく震わせた。
「えっ」
そのまま、舌打ちだけして、フラ、フラ、歩いて行った。
「なによ、今の」
刹那。
グァーン、グァーン、グァーン、グァーン
火葬場の中から、鐘の音。
それとともに、雑踏の音。
同じ、身体を黒で覆った人たちがゾロゾロと出てきた。
「なんか、始まるみたいね」
辺りを徘徊していた人々は、砂利道から、奥の森の中へ一気に移動していく。カナブンが樹液に向かって一斉に飛んでいくみたいに。
「……ちょ、おい、あれ見ろ! あれ!」
「ん?」
「裕月だ!」
中から最後に出てきたのは担架を担いだ二人の人間だった。
木で出来た担架の上に乗っているのは、小さな子供くらいのサイズの骨だ。それと。
「あの一緒に乗ってるウサギのぬいぐるみ、あれ、絶対そうだ」
裕二は、部活でスタートダッシュを切る時のような前傾姿勢で、駆けだした。
「……てことは、まさか」
ぼくは、看板にかかった黒布に手をかける。
「待て、やめた方が」
父の声が耳に入った時、黒布は、宙をはらはら舞っていた。
山下家火葬
「……ウソ。もう、裕月のお葬式終わってるのに?」
と。
足首に、強い触覚。
「キャッ……裕平、足」
足首を、黒い死装束に頭巾の男が掴んでいた。
「えっ」
足を引き抜くと、男はのそのそと立ち上がった。
「頭巾、とれてます……」
無言で目を見開き、ニンマリと男は笑った。
口が、耳元まで裂けていた。
「ば、化け物……」
「逃げろ!」
父が、ぼくの腕を強く引っ張る。
「母さんは先に車!」
「待って、裕二が!」
「あっ」
パァン! パァン!
銃声?
奥の森の方を見てみると、裕月みたいな子供の遺骨の乗った担架の手前で、裕二が黒死装束に囲まれていた。
「おい、あのバカ」
「裕月を返せ!」
その裕二は、エアーガン二丁を持って、担架に近づこうとしていた。
「裕平、あいつ、連れ戻しに行くぞ」
父が、フゥ、と一つ息を吐いて駆けだした。
朽村峠にウサギのなき声 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555
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