異世界帰還ゲート、荷物検査はこちらです ~聖剣は銃刀法違反のため没収となります~

緋月カナデ

第1話 ようこそ、平和な日本へ

「お客様、申し上げにくいのですが」


 私はゴム手袋をはめた手で、そのネバネバした物体を指さした。


「こちらの『ポーション』ですが……成分表示ラベルがありませんね。医薬品医療機器等法に基づき、成分不明の液体の国内持ち込みは許可できません」


「はあ!? これがないと俺の古傷が痛むんだよ! エリクサーだぞ!?」


「成分が不明である以上、未知の薬物あるいは毒物として扱われます。その場で飲み干していただくか、放棄をお願いします」


「ふざけんな! 向こうじゃ金貨5枚はするんだぞ!」


「ここは日本国、千葉県成田市です。通貨は円です。放棄でよろしいですね?」


 私は相手の返答を待たず、巨大なゴミ箱──『異界物質特別廃棄ボックス』の蓋を足で踏んで開けた。


 男は未練がましく青く光る液体を見つめていたが、私の背後に控える警備員(元機動隊員で、オークの突進も止められる猛者だ)に睨まれると、舌打ちをして瓶を差し出した。


 ドボボボボ、という不気味な音と共に、伝説の秘薬が産業廃棄物として処理されていく。


 薄暗いゴミ箱の中で、液体の淡いサファイアブルーの輝きが、他の廃棄物と混ざり合って、ヘドロのようにどす黒く濁っていった。


 かすかに甘い、腐ったメロンのような匂いが鼻をついた。私は表情一つ変えずに、「廃棄証明書」に事務用スタンプを叩きつける。


 バシン。


 乾いた音が、コンクリートの壁に反響した。


 白い蛍光灯がジー……と低く唸るだけの無機質な空間。冷房が効きすぎた空気が、男の熱気を冷たく押し流していく。


「──はい、次の方」


 私の名前は相田健次。43歳。成田国際空港、第二ターミナル地下3階。「異世界帰還者特別税関」の統括検査官だ。


 10年前に突如として世界各地に出現した「ゲート」。それとともに始まった転移現象。ゲートは、行方不明者を出すだけの災害ではなく、彼らが帰還するための出口としても機能し始めた。


 異世界転移した日本人が、剣と魔法の世界で一旗揚げ、あるいは辛酸を嘗め、この日本へ帰ってくる。


 感動の帰国? 涙の再会? とんでもない。


 彼らは法的に言えば「長期行方不明者」であり、防疫上の観点から言えば「未知のウイルスキャリア予備軍」であり、治安維持の観点から言えば「武装した危険人物」だ。


 私の仕事は、彼らが持ち帰る「異世界の非常識」を、日本の法律というフィルターで濾過すること。


 つまり、夢と冒険の残骸を、事務的に没収し続ける嫌われ役である。


「次の方、どうぞ」


 列から進み出てきたのは、全身を毛皮で包んだ大男だった。足元がドスン、ドスンと鳴る。帰還者の多くは、こちらの重力に再適応するまで足音がうるさい。


「……申告するものは?」


「ない」


「では荷物を拝見します。……ふむ」


 私は彼の巨大な背嚢(どう見てもドラゴンの皮でできている)を開けた。むっとするような獣臭さと、鉄錆の匂い。中には、乾燥した植物の根、得体の知れない鉱石、そして大量の干し肉が詰め込まれていた。


「お客様」


「なんだ」


「この干し肉は、何の肉ですか?」


「コカトリスだ」


「家畜伝染病予防法により、偶蹄類・家禽類の肉および加工品は、輸出国政府機関発行の検査証明書がない限り持ち込めません」


「コカトリスは魔獣だ! 家禽じゃねえ!」


「ニワトリに似てますよね? ならダメです。鳥インフルエンザのリスクがあります。焼却処分です」


「貴様ッ!」


 男が腰のサーベルに手をかけた瞬間、天井の四隅にある自動照準タレットがウィイイイと駆動音を立てて男の頭をロックオンした。男は青ざめて手を離す。


「……わかったよ。捨てればいいんだろ」


「ご協力感謝します。なお、そのサーベルも銃刀法違反ですので、刀身を切断した上でなら持ち込み可能です」


「ふざけるな! これは王から賜った──」


「切断しますか? 放棄しますか?」


 男は泣きそうな顔で「……切断で」と呟いた。私は電動カッターのスイッチを入れる。


 ギャアアアアアン!!


 耳をつんざく金属音と共に、異世界の職人が鍛え上げた名剣が、真っ二つになった。切断面から漂う焦げた金属臭。男の目から光が消える。


 だが知ったことではない。ここは日本だ。魔物もいないし、ドラゴンも飛んでいない。剣なんて持っていても、職務質問で捕まるだけだ。むしろ感謝してほしいくらいである。


 こんな調子で、私の勤務時間は過ぎていく。


 魔法の杖(先端の宝石がワシントン条約に引っかかる)、喋る魔導書(公序良俗に反する内容が含まれるため没収)、生きたマンドラゴラ(植物防疫法違反)。


 それらを淡々と仕分け、ゴミ箱へ放り込む。


 帰還者たちは皆、最初は英雄のような顔をしている。だが、このゲートを通過する頃には、ただの疲れた日本人に戻っていく。


 魔法もスキルも、ここでは通用しない。彼らが命がけで手に入れた戦利品は、ここではただの「違法物品」なのだ。


 私は彼らの「特別」を剥ぎ取る。それが、彼らを日常へ軟着陸させるための儀式だと信じて。


「ふぅ……」


 時計を見ると、23時を回っていた。深夜便のラッシュも終わり、到着ロビーの喧騒も遠のいている。


 首を回すと、ポキポキと骨が鳴った。四十肩がうずく。私は一人、手元のモニターを確認した。


 次のデータを呼び出すラグの間、暗転した黒い画面に、ひどく疲れ切った自分の顔が亡霊のように映り込んだ。目の下のクマは、昨日よりまた濃くなっている気がする。


 本日の最終帰還者。1名。


「よし、終わらせて帰ろう。明日は娘の誕生日なんだ」


 そんな独り言を呟きながら、私は「次の方、どうぞ」とマイクに向かって言った。


 自動ドアが静かに開く。そこから漏れ出てきたのは、今まで嗅いだことのないような、濃厚な血と雨の匂いだった。


 ヒタ……ヒタ……。


 現れたのは、少女だった。年齢は17、8歳だろうか。


 かつて白かったであろう襟元は赤黒いシミで汚れ、スカートの裾は焼け焦げたように千切れている。その上から、継ぎ接ぎだらけの革鎧を身につけている。


 泥と煤で汚れた頬。髪は伸び放題で、目元まで隠れている。


 だが、何よりも異様だったのは、彼女の目だった。先ほどのコカトリスの男のような、虚勢を張った強さではない。


 もっと深く、冷たく、そしてどこか壊れてしまったような、静かな瞳。寒々しい空港のライトを反射することもなく、底のない闇だけを湛えた瞳だった。


 彼女は大きな荷物を持っていなかった。ただ一つ。背中に、布でぐるぐる巻きにした「長い棒状のもの」を背負っていた。


 私の長年の勘が警鐘を鳴らす。あれは、ただの剣じゃない。もっと厄介な、カテゴリー「S(特級危険指定スペシャル・ハザード)」クラスの代物だ。


 少女はカウンターの前で立ち止まった。私と目が合う。彼女はかすれた声で、しかしはっきりとこう言った。


「……これだけは、渡さない」


 私はため息を飲み込み、営業用の無表情を貼り付けた。最後の最後に、一番重たい「手荷物」が回ってきたらしい。

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