第5話

 オーク軍団による衝撃的な勝利から数日。王都は奇妙な熱気に包まれていた。


 魔王軍の不気味なほどの強さに対する恐怖心に対する空元気と、王都に帰還した「彼」の存在が、街を騒がしくさせていた。


「勇者レオン様、凱旋パレードだーっ!」


「聖剣の輝きを見ろ! 魔王なんて一撃だぞーっ!」


「レオン様ー! こっち向いてー!」


 大通りからは、割れんばかりの歓声と、ファンファーレの音が響いてくる。


 勇者レオン。金髪碧眼、長身痩躯のイケメンで、王国の希望の星。


 だが、俺にとっては、ただの「騒音源」でしかなかった。


(……うるさいなぁ。せっかくの休日なのに)


 俺は耳を塞ぎたくなるような喧騒から逃れるように、路地裏を早足で抜けた。俺が求めているのは、黄色い声援でも聖剣の輝きでもない。


 静かな木漏れ日と、鳩の鳴き声。そして、あのベンチで待つ彼女との穏やかな時間だけだ。


 公園の最奥。いつものベンチに、ベルはいた。だが、今日の彼女は明らかに不機嫌だった。腕組みをして、足を貧乏揺すりさせ、フードの下から殺気に近いオーラを放っている。


「……ベルさん。こんにちは」


 俺が恐る恐る声をかけると、彼女はギロリと歓声が聞こえる方向を睨みつけたまま、低く唸った。


「やぁ……今日は街がうるさいな」


「あー……やっぱり聞こえます? 勇者様のパレード」


「『金ピカ』め……。調子に乗って甲高い声を張り上げおって。余の鼓膜を汚す気か」


 ベルは耳障りそうに顔をしかめた。彼女のような激務の役人にとって、静寂は何よりの贅沢だ。それを邪魔する騒音は、いくら勇者とはいえ万死に値する罪なのだろう。


 俺は彼女の隣に座り、その張り詰めた空気を和らげるように微笑んだ。


「まあまあ、若い人の特権ですよ。元気があっていいじゃないですか」


「元気がありすぎる。……今すぐここから消し去ってやりたい」


「過激ですねぇ。……ほら、今日はピクニック気分で、これでも食べて気を紛らわせてください」


 俺は持ってきたバスケットを開いた。中に入っているのは、色とりどりの断面が美しい『ミックスサンドイッチ』だ。ふんわりとした食パンに、卵、ハム、レタス、トマト、そしてカツを挟んだボリューム満点の一品。


「……なんだ、これは。パンに具を挟んだのか?」


「『サンドイッチ』です。片手で食べられるので、本を読みながらとか、仕事の合間にもおすすめですよ」


「ほう……」


 ベルは興味深そうに一つ摘み上げた。ハムとレタスのサンドイッチだ。パクリと一口。シャキシャキとしたレタスの音と、パンの柔らかさが絶妙なハーモニーを奏でる。


「……ん。悪くない」


「でしょう?」


「さっぱりしていて、いくらでも入りそうだ。それに、彩りも綺麗だな」


 彼女の表情から、少しだけ険が取れた。俺はすかさず、水筒に入れてきた紅茶をカップに注いで渡す。


「これ、カツサンドもどうぞ。ガッツリ系です」


「む……肉か。いただくぞ」


 ベルはカツサンドを頬張り、モグモグと動かす。美味しいものを食べている時の彼女は、無防備で本当に可愛い。小鳥のさえずりと、風に揺れる木々の音。そして隣でサンドイッチを食べる美女。完璧な休日の午後だ。


 その時だった。


『親愛なる王都の諸君!! この勇者レオンがいる限り、魔王軍など恐るるに足らず!!』


 スピーカー魔法で増幅された勇者の演説が、公園の空気をビリビリと震わせた。あまりの大音量に、鳩たちが驚いて一斉に飛び立つ。


「…………」


 ベルの手が止まった。持っていたカツサンドが、握力でミシミシと悲鳴を上げている。彼女の全身から、黒い稲妻のようなバチバチとした気配が立ち昇る。


「……あやつ……。余の癒やしを……」


「べ、ベルさん? パンが潰れちゃいますよ」


「許さぬ。絶対に、許さぬ」


 ベルの瞳孔が開いている。これはマズい。仕事のストレスと騒音が合わさって、臨界点を超えそうだ。俺は咄嗟に、彼女の身体を引き寄せた。


「わっ!?」


 驚く彼女の背中に手を回し、そのまま俺の胸元に顔を埋めさせるように抱き寄せる。そして、空いている方の手で、彼女のフードの上から両耳を塞いだ。


「カ、カズヤ……!?」


「しーっ。……ほら、こうすれば少しは静かでしょう?」


 俺の心臓の音が聞こえるくらいの密着距離。ベルは俺の胸の中でカチコチに固まっていたが、やがてゆっくりと力を抜いた。


「……お主の鼓動が、うるさいぞ」


「……あはは、すみません。美人を抱きしめてるもんで、緊張してて」


「……ふん。口の上手い奴め」


 ベルは俺の服の裾をギュッと握りしめた。少しだけ震えているのは、怒りか、それとも照れか。だが、勇者の演説は止まらない。


『魔王よ! 首を洗って待っていろ! 俺の聖剣が――』


 さらにボリュームが上がった気がする。俺の腕の中でも、ベルのイライラが再燃するのが分かった。彼女が顔を上げ、俺の胸元からキッと公園の外を睨みつける。


「……カズヤ。耳を塞ぐだけでは足りぬ」


「え?」


「あの『騒音源』を、物理的に遮断する」


 ベルは俺に抱かれたまま、片手だけをローブから出し、何もない空間に向かって指を構えた。その指先に、とてつもない魔力が収束していくのが、魔力のない俺にもなんとなく分かった。


「ちょ、ベルさん?何を……」


「……静寂を返せ」


 パチッと彼女が指を鳴らした、その瞬間。公園の外、パレードの大通り方向から、ドォォォォォン!!という爆音が響き渡った。


 続いて、遥か上空をキラキラと光る何かが、「キエェェェェェッ!?」という情けない悲鳴と共に彼方へ飛んでいくのが見えた。


「……あれ、流れ星?」


「……さあな。ゴミかもしれぬ」


 ベルは涼しい顔で指を下ろすと、俺の胸に再び顔を埋めた。先ほどまでの騒音が嘘のように消え失せ、公園に静寂が戻ってくる。


「……ふぅ。やっと静かになった」


「ベルさん、今何をしたんですか?」


「『防音結界』を展開しただけだ。少々、弾力性を高めに設定したがな」


 弾力性。俺は空の彼方に消えていった「金ピカの何か」に合掌した。まあ、役所の人脈を使って、騒音規制の魔法でも発動させたんだろう。さすがはエリート官僚だ。


「カズヤ。もうしばらく、このままで良いか?」


「ええ、どうぞ。サンドイッチ、まだありますから」


「うむ。お主の匂いの方が、落ち着く。余はただ平和に暮らしたいだけなのだ」


「それは俺も同じです。勇者だとか魔族だとか魔王だとか。そんなのはどうでもいいのに……」


「……本当にな」


 ベルは俺の胸に頬を擦り寄せ、猫のように喉を鳴らした。俺たちはそのまま、静かな午後を堪能した。勇者が空の星になったことなど知る由もなく、ただ二人だけの穏やかな世界に浸っていたのだった。



「うわあああああっ!? なんだ今の衝撃波はあっ!?」


「勇者様ーっ!? 勇者様が空へーっ!?」


 パレード会場は大パニックに陥っていた。突如として発生した局地的な突風により、勇者レオンはパレード車ごと吹き飛ばされたのだ。


 遥か上空、キリキリ舞いしながら落下していく勇者レオンは、薄れゆく意識の中で戦慄していた。


 彼は知らなかった。それが、恋人未満の友人とピクニックを楽しみたい魔王の、ささやかな「騒音対策」であったことを。そして、その横には「元気な若者ですね」と笑って見過ごす、世界で唯一魔王の手綱を握れる男がいたことを。

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