第4話:世界が認めた価値と終焉の通知書
季節は移ろい、街路樹が黄金色に染まる秋。フランス・パリで開催された一条蓮さんのブランドのファッションショーは、世界中のメディアから熱い視線を浴びていた。私は、蓮さんの計らいで用意された最前列の席から、固唾をのんでその瞬間を待っていた。智也さんには「数日間、実家に帰省する」とだけ伝えて、この地に来ている。もはや彼の許可を得る必要も、嘘を重ねる必要もなかった。これが、最後の嘘だ。
荘厳な音楽と共に、ショーが始まる。テーマは『再生』。蓮さんが生み出した革新的なデザインの服を纏ったモデルたちが、次々とランウェイを歩く。そして、コレクションの中盤。私が手掛けた友禅の生地を使ったドレスが登場した瞬間、会場の空気が変わったのが分かった。
最初に現れたのは、あの絶望の夜から生まれた『散り椿』の柄をあしらった黒いドレス。月光に照らされた夜の闇に、鮮やかな赤と金が妖艶に浮かび上がる。どよめきと共に、無数のフラッシュが焚かれた。私の魂の叫びが、アートとして世界に認められた瞬間だった。
次々と、私がアトリエで描き上げた作品たちが、蓮さんの手によって命を吹き込まれ、ランウェイを彩っていく。どれもこれも、私がこれまで押し殺してきた感情、表現したかった美しさのすべてを注ぎ込んだものばかりだ。
そして、ショーはフィナーレを迎える。会場が静まり返る中、最後に登場したのは、純白のシルクドレスを纏ったトップモデルだった。その背中には、私が最後の最後に描き上げた、一羽の鳳凰が大きく羽を広げている。夜明けの光を浴び、黄金色と深紅のグラデーションで彩られた翼は、まるで本物のように躍動して見えた。灰の中から蘇り、大空へと羽ばたく伝説の鳥。それは、他ならぬ私自身の姿だった。
鳴り止まない拍手と喝采。ショーが終わると、デザイナーである蓮さんがランウェイに姿を現した。彼は満場の拍手に応えると、マイクを手に取り、静かに語り始めた。
「皆様、本日はご来場いただき、誠にありがとうございます。そして、今回のコレクションに欠かせない、もう一人のアーティストを紹介させてください」
蓮さんは、まっすぐに私の席へと視線を向けた。
「今回のコレクションの友禅を手掛けた、日本の伝統工芸アーティスト、Irohaです」
スポットライトが、私を照らす。突然のことに戸惑いながらも立ち上がると、会場中から、先ほどよりも大きな拍手が送られた。世界の頂点に立つファッション業界の人々が、私という無名のアーティストに、惜しみない賞賛を贈ってくれている。夢を見ているようだった。いや、これは夢じゃない。私が自らの手で掴み取った、現実なのだ。隣に立つ蓮さんが、そっと私の耳元で囁いた。
「おめでとう、彩葉さん。あなたの翼は、見事に世界へ羽ばたいた」
涙が、頬を伝った。それはもう、絶望や悲しみの涙ではなかった。自分の人生を取り戻した、歓喜の涙だった。
そのニュースは、瞬く間に世界中を駆け巡り、日本のメディアでも大々的に報じられた。
『パリを驚かせた謎の日本人アーティスト、Iroha! 一条蓮とのコラボで世界デビュー!』
そんなセンセーショナルな見出しが、テレビの情報番組やネットニュースを飾った。
その頃、日本の自宅では、智也さんがリビングのソファでくつろぎながら、何気なくテレビを見ていた。
「へえ、日本人デザイナーねえ。俺には縁のない世界だな」
他人事のように呟きながら、ポテトチップスを口に放り込む。画面に、パリのショーの映像が流れる。そして、アナウンサーが興奮した口調で語り始めた。
『こちらが、今回最も注目されたドレスです。手掛けたのは、これまで一切メディアに登場してこなかった謎のアーティスト、Iroha。伝統工芸である加賀友禅の技法を用い、この鳳凰を描いたと言われています』
画面に、鳳凰のドレスが大写しになる。その時、智也さんの動きが止まった。その画風に、見覚えがあったからだ。いつも妻が和室にこもって描いていた、あの「地味な内職」の絵と、どこか似ている気がした。
『そして、ショーの最後には、Irohaさんご本人も登場しました! こちらがその映像です!』
画面に、スポットライトを浴びて立ち上がる私の姿が映し出された。いつも見ている、地味で所帯じみた妻とはまるで違う、自信に満ちた表情で輝く、美しい女性。
「……は? いろ……は……?」
智也さんは、持っていたポテトチップスの袋を床に落とした。信じられない、という表情で画面に釘付けになる。その隣で、彼のスマートフォンが鳴った。慌てて電話に出ると、それは彼の母親、紀子さんからだった。
『智也! テレビ見た!? 今やってるニュース! あれ、彩葉さんじゃないの!?』
「母さん……? やっぱり、あれ、彩葉なのか……?」
『どういうことなの! あの人、あんなすごい人だったの!? あなた、何も聞いてなかったの!?』
母親の甲高い声が、彼の混乱をさらに加速させる。何も知らなかった。いや、知ろうともしなかった。妻が没頭していた世界を、「金にもならない」と見下し、その価値を認めようとしなかったのは、自分自身だ。
呆然とする智也さんのもとに、数日後、一通の封筒が内容証明郵便で届いた。差出人は、私が依頼した弁護士事務所。送り先は、彼の自宅ではなく、彼が勤める中堅商社だった。
昼休み、同僚たちの前で郵便物を受け取った智也さんは、訝しげに封を開けた。中から出てきたのは、一枚の離婚届。そして、分厚い書類の束だった。
書類の表紙には、『慰謝料請求書』と記されている。彼は震える手でページをめくった。そこには、これまでの彼と義母によるモラハラ発言が、日付と共に詳細に記録されていた。ボイスメモから書き起こされた生々しい罵詈雑言の数々。
『そんな地味な内職して、一円でも稼げるわけじゃないだろうに』
『俺が稼いだ金で生活させてもらってるんだから、嫁としての役目をちゃんと果たせ』
『夫の機嫌一つ取れないあなたが悪いのよ!』
同僚たちの視線が、痛いほど突き刺さる。智也さんの顔は、みるみるうちに青ざめていった。
そして、彼は最後のページを見て、息をのんだ。そこには、一枚の写真が添付されていた。あの夜、彼がワインをこぼして汚した、あの訪問着の写真だ。そして、その下にはこう記されていた。
『損壊された加賀友禅訪問着『黎明』について。
本作品は、新進気鋭のアーティスト・Iroha(水野彩葉)氏による初期の傑作であり、その芸術的価値は計り知れない。以下、専門家による鑑定書の写しを添付する。
鑑定評価額:金一千万円也』
一千万。その数字が、智也さんの脳天をハンマーで殴りつけたかのような衝撃を与えた。自分が「たかが布きれ」と吐き捨てたものが、自分の年収の倍以上の価値を持っていた。
慰謝料請求額の合計は、精神的苦痛に対する慰謝料と、訪問着の損害賠償額を合わせて、彼の退職金でも到底払い切れないほどの、天文学的な金額になっていた。
「おい、水野……。これ、お前の奥さんからか? 奥さん、あのIrohaさんだったんだってな……。すごい人だったんだな……。お前、何も知らなかったのか?」
憐れみと、軽蔑が入り混じった同僚の声が、ぐさりと突き刺さる。彼はもう、何も答えられなかった。社会的成功を収めた妻の才能を見抜けず、家で蔑ろにしていた愚かな夫。会社での彼の信用は、この瞬間、完全に失墜した。
その夜、智也さんは私の携帯に何度も電話をかけたが、私がそれに出ることはなかった。ただ一度だけ、弁護士を通して、彼に短いメッセージを伝えてもらった。
「あなたが見下した『地味な内職』が、私の翼になりました。さようなら」
後日、私は蓮さんと共に、海外を拠点に活動する自身のブランドを立ち上げた。世界中からオファーが舞い込み、アーティストとしての私の人生は、まさに黎明期を迎えていた。
一方、智也さんは、莫大な慰謝料を支払うために、必死で金策に走っていると風の便りに聞いた。両親が老後のためにと貯めていた貯金を切り崩し、結婚の際に購入したマンションも売りに出しているらしい。義母は、毎日やつれた顔で息子に謝り続けているという。彼らが失ったものの大きさを、今頃になってようやく理解したのだろうが、もう何もかもが手遅れだった。
私は、パリの街並みを見下ろすアトリエの窓辺で、新しい作品の構想を練っていた。過去への執着は、もうどこにもない。心にあるのは、未来への希望と、創作への尽きない情熱だけだ。
あの絶望の夜に流れた赤ワインは、私の灰色の人生に終わりを告げ、新しい世界への扉を開くための聖杯だったのかもしれない。私は自らの手で、最も華麗で、最も品のある形で、過去に別れを告げたのだ。そして、私の本当の人生は、今、始まったばかりだった。
「地味な内職」と笑った夫へ。私の友禅が世界に認められたので、慰謝料請求書をお届けします @jnkjnk
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。