第3話:「道楽」の証明
宮田蓮さんからの正式な依頼を受けた日から、私の毎日は目まぐるしく回り始めた。水を得た魚、という表現がこれほどしっくりきたことはない。橘家で過ごした停滞した三年間が、まるで嘘のようだった。
「梓さん、この写真、すごいですね。俺の菓子が、まるで宝石みたいだ」
蓮さんが感動した声を上げる。私が撮影した『茶寮みやた』の新しい商品写真を見てのことだった。自然光が柔らかく差し込む窓辺で、漆塗りの盆に乗せられた上生菓子を、様々な角度から切り取っていく。背景には季節の草花をさりげなくあしらい、菓子の持つ繊細な色彩と質感を最大限に引き出す。これは、私が長年培ってきた技術の一つだった。
「写真は『物語』を伝える最初の入り口ですから。蓮さんの和菓子には、一つひとつに名前と物語があります。それをお客様に届けるのが、私の仕事です」
「物語、ですか……」
蓮さんは感心したように頷きながら、自分の手を見つめている。職人としてひたすら技術を磨くことに集中してきた彼にとって、マーケティングという視点は新鮮な驚きに満ちていたのだろう。
私はまず、『茶寮みやた』のブランドコンセプトを「日常に、小さな芸術と安らぎを」と再定義した。ターゲットは、質の良いものを知っていて、自分のための時間を大切にしたいと考える二十代後半から四十代の女性。その層に響くよう、ウェブサイトを全面的にリニューアルし、私が撮った美しい写真をふんだんに使ったデザインに一新した。
同時に、SNSのアカウントを開設。ただ商品を並べるのではなく、菓子の名前の由来や、使われている季節の素材、蓮さんの菓子作りへの想いなどを、情緒的な文章で綴っていく。ハッシュタグは「#自分へのご褒美」「#丁寧な暮らし」「#和菓子のある暮らし」など、ターゲット層が共感しやすいキーワードを戦略的に選んだ。
「梓さん、またネットで注文が入りました。今度は北海道の方からです」
「すごい、SNSのフォロワーが一日で百人も増えてる……!」
バックヤードで作業していた蓮さんが、嬉しそうな声を上げる。私が構築したオンラインストアは、開設からわずか一週間で、全国から注文が舞い込むようになっていた。今まで店の存在すら知らなかった人々が、SNSの写真と文章をきっかけに『茶寮みやた』のファンになっていく。その手応えは、私にとって何よりの報酬だった。
「次は、インフルエンサーの方にアプローチしてみましょう。ただフォロワーが多いだけじゃなく、本当に『茶寮みやた』の世界観を理解してくれそうな、丁寧な発信をされている方を選びます」
私はリストアップした数名のインフルエンサーに、蓮さんの直筆の手紙を添えて和菓子の詰め合わせを送った。広告費を払って宣伝してもらうのではない。あくまで「蓮さんの菓子に惚れ込んだ一人のファンとして、ぜひ一度味わっていただきたい」というスタンスを貫いた。
その狙いは、見事に的中した。
数日後、ライフスタイル系の人気インフルエンサーの一人が、自身のSNSで『茶寮みやた』を絶賛したのだ。『こんなに美しくて美味しい和菓子に出会ったのは初めて』『作り手の魂が感じられる』という熱のこもった紹介文と、彼女自身のセンスで撮影された写真が投稿されると、反響は爆発的だった。
その週末、店の前には開店前から長蛇の列ができた。そのほとんどが、スマホを片手にした若い女性たちだった。
「すごい……信じられない……」
行列を目の当たりにした蓮さんは、呆然と呟く。私も、胸が熱くなるのを抑えられなかった。橘家で「道楽」「あぶく銭稼ぎ」と蔑まれた私の力が、今、こうして一つの店の運命を変え、多くの人を笑顔にしている。失いかけていた自信と自己肯定感が、確かな手応えと共に、体の芯から満ちてくるのを感じた。
私のプロデュースは、それだけでは終わらない。テイクアウト用のパッケージを刷新し、持ち帰る時間さえも特別な体験になるよう演出した。また、雑誌の編集者やテレビ局のディレクターにも積極的にプレスリリースを送り、メディア露出の機会をうかがった。
その結果、『茶寮みやた』は「今、最も予約が取れない和菓子カフェ」として、瞬く間に雑誌や情報番組で特集される存在となった。
その頃、橘家では、重苦しい空気が支配していた。
「康太、どういうことなの。近所の奥様たちが、駅裏にできた新しい和菓子屋の話ばかりしているわ。『橘花堂さんよりずっとお洒落で美味しい』ですって。信じられない!」
冨美子はヒステリックに叫んだ。かつての自信に満ちた女将の姿は見る影もない。客足は目に見えて減り、店の売り上げは下降の一途を辿っていた。時代遅れの店構え、代わり映えのしない商品。梓がいた頃は、彼女が嫁として立ち働き、目に見えない部分で店を支えてくれていた。その存在がなくなった今、店の古びた体質が、残酷なまでに露呈していた。
康太は、スマートフォンの画面を食い入るように見つめていた。そこには、雑誌のウェブ記事が映し出されている。『話題の和菓子カフェ「茶寮みやた」を大人気店に変えた、謎の敏腕プロデューサーに迫る』という見出し。記事を読み進めていく康太の顔が、徐々に青ざめていく。
記事には、店主の蓮が、一人の女性との出会いによって店が生まれ変わったと語るインタビューが掲載されていた。
『彼女は、僕の菓子の本質を誰よりも深く理解してくれた。そして、僕自身にも気づけなかったその価値を、世の中に伝わる形にしてくれたんです。彼女はまさに、僕の店の魔法使いですよ』
そして、記事の最後はこう締めくくられていた。
『そのプロデューサーは、今も表に出ることを望まず、裏方として「茶寮みやた」を支え続けている。我々が掴んだ情報によれば、彼女の名前は、橘梓。そう、あの老舗和菓子屋「橘花堂」の元女将である──』
「……母さん」
康太が、震える声で冨美子を呼んだ。
「駅裏の店の仕掛け人……梓だ」
「な……なんですって……?」
冨美子は康太のスマホをひったくるようにして奪い、記事に目を走らせた。そして、わなわなと唇を震わせ、絶句した。
あの嫁が? パソコンいじりの道楽しか能がないと思っていた、あの梓が? 自分たちの手の届かない場所で、こんなにも華々しい成功を収めているというのか。自分たちが「あぶく銭」と嘲笑した、あの稼ぎの何十倍、何百倍もの価値を、梓はその「道楽」で生み出している。
信じがたい現実に、冨美子は眩暈を覚えた。嫉妬と焦燥、そして得体の知れない恐怖が、ぐちゃぐちゃになって胸の内で渦を巻く。
「馬鹿な……。あんな女に、そんな力があるはずがない……! 何かの間違いよ!」
冨美子の絶叫が、客のいない静かな店内に虚しく響き渡った。だが、その言葉が、もはや何の慰めにもならない負け惜しみに過ぎないことを、彼女自身が一番よく分かっていた。自分たちが踏みつけ、見下し、その価値を認めようとしなかった存在が、今や自分たちの店の存続さえ脅かす、巨大な光となって輝いている。その圧倒的な現実が、じわじわと二人を打ちのめし始めていた。
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