第3話:ブローチに宿る想い
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記憶の世界に、入った。
無数の糸が見える。
エリカの記憶。
まず、金色の糸——特別に大切な記憶に、触れた。
映像が、流れ込んでくる。
広場で泣いている、小さな男の子。
幼い女の子が——その子の手を握った。
「大丈夫だよ」
「一緒にいるからね」
男の子の涙が、止まった。
安心したような、顔。
「おねえちゃん……」
これが——二人の、始まりだった。
—— ——
場面が、変わる。
男の子が——女の子に、何かを差し出している。
不格好な、花の形のブローチ。
「俺が作った。あの時のお礼」
「下手くそだけど……いらなかったら、捨てていい」
「いらなくなんかない!すごく嬉しい。大切にする」
男の子の顔が——真っ赤になった。
照れくさそうに、笑っている。
—— ——
場面が、変わる。
夕日の下。
並んで歩く、二人の姿。
笑い合う、二人。
幸せな、光景。
胸元には——あのブローチが、輝いている。
—— ——
また、場面が変わる。
朝の街角。
「今日の夜、話したいことがあるんだ」
カイルの顔は、真剣だった。
耳が、真っ赤だった。
「……分かった。待ってる」
「夜、待ってるから」
エリカの胸は、高鳴っていた。
幸せな記憶。
金色の糸。
これは——絶対に、傷つけてはいけない。
俺は、さらに記憶を辿った。
すると——赤い糸の、塊を見つけた。
激しく脈動している。
これが——トラウマだ。
俺は、その糸に触れた。
—— ——
視界が、一変した。
轟音。
爆発。
悲鳴。
「エリカ!!」
カイルの声。
走ってくる。
エリカを、突き飛ばす。
瓦礫が——降り注ぐ。
「カイル!!」
血だらけの顔。
でも——笑っている。
「エリカ……」
「ありがとう……」
「ありがとう、エリカ……」
「俺……お前のこと……」
声が——途切れる。
目が——閉じていく。
「カイル!!」
悲鳴。
涙。
絶望。
俺は——その記憶の中に、立っていた。
エリカの苦しみが、伝わってくる。
彼女が毎日、何を感じているのか。
「ありがとう」という言葉を聞くたびに——この瞬間が、蘇る。
何度も、何度も。
終わらない、地獄。
その時——俺は、気づいた。
エリカの胸元から——糸が伸びている。
ブローチから。
あの——不格好な、花の形のブローチから。
一つではない。
二つの、橙色の糸。
一つは——柔らかな橙色。
もう一つは——深い橙色。
俺は、まず柔らかな橙色の糸に触れた。
カイルの想いが、流れ込んでくる。
ブローチを作っていた時の——彼の心。
—— ——
(うまく作れない——)
(不格好だ——)
(でも——エリカに、渡したい——)
小さな手が、木を削っている。
何度も、何度も。
失敗して、やり直して。
(あの時——お前が、俺の手を握ってくれた——)
(あの時から——俺は——)
ブローチが、完成した。
不格好な、花の形。
でも——精一杯の、想いが込められている。
(エリカ——)
(俺は——お前のことが——)
(好きだ——)
(ずっと——好きだった——)
(だから——守りたい——)
(お前が誰かを助ける時——俺が、お前を守る——)
(ずっと——ずっと——)
—— ——
カイルの想いが——ブローチに、宿っている。
次に、俺は深い橙色の糸に触れた。
カイルの——最後の想いが、流れ込んできた。
—— ——
瓦礫の下。
血が、流れている。
痛みが、ある。
でも——それよりも。
(エリカ——)
(無事で、よかった——)
エリカの顔が、見える。
泣いている。
胸元に——ブローチが光っている。
俺が——作った、ブローチ。
エリカが——ずっと、大切にしてくれている。
(泣かないでくれ——)
カイルは、笑おうとした。
(エリカ——)
(俺は——お前のことが——)
「ありがとう……」
声が、出た。
「ありがとう、エリカ……」
(あの日——お前が、俺の手を握ってくれた——)
(あの時から——俺の世界は——お前だった——)
「俺……お前のこと……」
(愛してる——)
(ずっと——愛してた——)
でも——声が、出ない。
(言いたかった——)
目が——重い。
意識が——遠くなっていく。
(エリカ——)
(幸せに、なれ——)
(笑って——)
(子供たちと、笑ってくれ——)
(愛してる——)
その想いが——ブローチに、流れ込んでいく。
橙色の、光。
最後の——祈り。
愛。
感謝。
全てが——ブローチに。
俺は——その想いを、見ていた。
カイルの想いが——ブローチに、宿っていた。
作った時の想いと——死の瞬間の想いが——二つ、重なって。
このブローチには——カイルの全ての愛が、込められている。
俺は、決めた。
生々しい記憶——。
血の匂い。
恐怖。
瓦礫の感触。
死の瞬間の鮮明な映像。
カイルの最後の言葉の詳細。
「ありがとう」という言葉を聞いた時の、フラッシュバックを引き起こす連想回路。
それだけを——切り離す。
カイルとの思い出は、残す。
彼の笑顔も、声も、温もりも。
このブローチに宿った想いも。
彼が最後まで、エリカを愛していたという事実も。
全て、残す。
ただ——あの瞬間の、生々しい苦痛だけを。
俺は、赤い糸に手を伸ばした。
慎重に。
丁寧に。
俺は、糸を——切り離した。
視界が、白くなった。
そして——現実に、戻った。
*
エリカは、目を開けた。
深く——息を吸った。
しばらく——天井を見つめていた。
そして——ゆっくりと記憶を辿るように。
「カイルのことは……」
涙が、溢れた。
「覚えてます」
彼との思い出。
手を握った日。
ブローチをもらった日。
一緒に歩いた道。
全て——温かな記憶として、残っている。
「あの日のことも……」
エリカは、記憶を辿ろうとした。
建物が崩れて——。
カイルが私を守って——。
でも——。
靄がかかったように、ぼんやりしている。
詳細が——見えない。
「はっきり……思い出せない……」
エリカは、首を傾げた。
最後に——大切な何か——。
エリカの手が、震えた。
「私……お願いしましたよね」
「苦しみを……消してほしいって……」
俺は、静かに頷いた。
「はい」
「でも……」
エリカの声が、震える。
「忘れちゃいけない大切な何かも…忘れてしまったような…」
俺は、優しく言った。
「あの瞬間の——生々しい記憶を切り離しました」
「血の匂い」
「恐怖」
「鮮明な映像」
「そして——カイルが残した最後の言葉も。残しておくと、あなた自身が危なかった」
エリカは、俯いた。
長い、沈黙。
胸が——痛い。
カイルの最後の言葉を——もう、思い出せない。
永遠に——。
でも——。
エリカは——棚を見た。
子供たちの絵。
"エリカせんせい だいすき"
前は——この絵を見るだけで、苦しかった。
呼吸ができなくなった。
崩れ落ちた。
でも、今は——。
エリカは、立ち上がった。
ゆっくりと、絵に近づく。
手が、震えている。
絵に——触れた。
震えが——止まった。
フラッシュバックが、起きない。
呼吸が——できる。
心臓が——落ち着いている。
「苦しく……ない……」
エリカは、絵を抱きしめた。
涙が、溢れた。
「子供たちに……」
「また……会える……」
俺は、静かに言った。
「施術の中で——」
「カイルの想いを、見させていただきました」
エリカは、俺を見た。
「このブローチに——」
俺は、彼女の胸元を見た。
「想いが、宿っていました」
「想い……?」
エリカは、ブローチを見る。
「二つの、想いが」
俺は、優しく続けた。
「一つは——」
「カイルがこれを作った時」
「あなたを喜ばせたい」
「守りたい」
「愛している」
「そんな想いが、込められていました」
エリカの涙が、溢れた。
「そして——もう一つ」
俺は、静かに続けた。
「最後の瞬間」
「カイルがあなたと、このブローチを見つめながら」
「想ったこと」
「『幸せになってほしい』」
「『笑ってほしい』」
「『子供たちと、笑う姿を見たい』」
「『愛している』」
「その想いが——」
俺は、ブローチを見た。
「ここに、宿っています」
「この世界では——記憶が物質に宿るんです。カイルの想いも、ちゃんと宿っています」
エリカは、ブローチを握りしめた。
温かい。
確かに——温かい。
前から——このブローチを持っていると。
何となく、温かい気がしていた。
カイルが側にいてくれるような。
でも——それが何なのか、分からなかった。
今——分かった。
これは——カイルの、想い。
見えなくても。
聞こえなくても。
ここに——確かに、ある。
「カイル……」
涙が、止まらなかった。
「最後の言葉は……思い出せない……」
「でも……」
ブローチを、両手で包む。
「カイルの想いは……消えていないんですね……」
「ここに……ずっと……」
「はい」
俺は、静かに答えた。
「これからも——」
「その想いは」
「あなたと、一緒に」
エリカは、頷いた。
涙を拭った。
そして——絵を見た。
"エリカせんせい だいすき"
「……私」
エリカは、微笑んだ。
「保育園に……また行けます」
「子供たちに……会えます」
俺は、頷いた。
「はい」
—— ——
俺たちは、エリカの家を後にした。
「本当に……ありがとうございました」
エリカは、玄関で言った。
穏やかな、笑顔だった。
胸元のブローチが——陽の光に、輝いている。
「カイルのことは……これからも、大切にします」
「彼との思い出……覚えています」
「このブローチも……ずっと、大切にします」
「カイルの想いが……ここにあるから」
俺は、頷いた。
「カイルは——あなたの中で、生き続けています」
「そのブローチと一緒に——ずっと」
—— ——
帰り道。
俺は、自分の手を見た。
指先が——また少し、揺らいでいる。
ミラが、隣を歩いている。
「レオン伍長」
「ん?」
「エリカさんは……笑っていましたね」
「……ああ」
俺は、空を見上げた。
夕日が、街を染めている。
オレンジ色の光が、長い影を作っている。
マーク。
ガロウ。
お前たちのことも——俺は、忘れない。
最後の言葉を——俺は聞けなかった。
でも——お前たちの想いは、消えていない。
俺の中に——ずっと、ある。
そう——信じたい。
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