第4話:笑顔が戻った日
【エリカ視点】
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数日後——。
私は、保育園の門の前に立っていた。
久しぶりの、この場所。
子供たちの声が、聞こえてくる。
胸が——少しだけ、震えた。
でも——あの頃とは、違う。
怖くない。
—— ——
深呼吸をして、門をくぐった。
園庭に出ると——子供たちが、こちらを見た。
「あ——!」
「エリカせんせいだ!」
「せんせい、おかえり!」
小さな体が、次々と駆け寄ってくる。
「せんせい!」
「会いたかった!」
「もう元気?」
私は、膝をついて、子供たちを抱きしめた。
「ただいま、みんな」
温かい。
小さな手が、私の服を掴んでいる。
キラキラした瞳が、私を見上げている。
「……ただいま」
涙が——滲んだ。
でも、それは——悲しみの涙じゃなかった。
「せんせい、泣いてるの?」
「うん……嬉しくて」
「嬉しいと泣くの?」
「そうよ。すごく嬉しいと、涙が出るの」
子供たちは、不思議そうな顔をした。
そして——笑った。
「へんなの!」
「せんせい、へんだよ!」
私も、笑った。
「そうね。変かもね」
園長先生が、近づいてきた。
「エリカ先生、お帰りなさい」
「ご迷惑をおかけしました」
「いいえ。無理しないでね」
「はい」
私は、頷いた。
「大丈夫です。もう——大丈夫です」
—— ——
午後。
おやつの時間になった。
私は、子供たちにおやつを配っていた。
「はい、どうぞ」
「わーい!」
子供たちの笑顔。
私も、笑顔で応える。
大丈夫。大丈夫——。
「エリカせんせい!」
ユウキくんが、私を見上げた。
満面の笑みで
「ありがとう!」
その瞬間——。
私は、息を止めた。
『ありがとう、エリカ……』
カイルの声が——。
……聞こえなかった。
フラッシュバックは——来なかった。
視界が歪むことも。
心臓が暴れることも。
なかった。
ただ——胸の奥が、少しだけ温かくなった。
「……どういたしまして」
私は、ユウキくんの頭を撫でた。
「ユウキくん、元気だった?」
「うん!せんせいに会いたかった!」
「私も——会いたかったよ」
ユウキくんは、嬉しそうに笑った。
私も、笑った。
涙が——頬を伝った。
でも——怖くなかった。
「ありがとう」を聞いても——もう、壊れない。
胸元のブローチに、触れた。
不格好な、花の形。
カイルの——想い。
温かい。
いつも——温かい。
「カイル……」
見守っていてくれているのかな。
そんな気がした。
*
【レオン視点】
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俺は、街の南部を歩いていた。
特に用事があったわけじゃない。
ただ——何となく、この辺りに足が向いた。
—— ——
ふと——保育園の前を通りかかった。
園庭から、子供たちの声が聞こえる。
俺は、足を止めた。
柵の向こうを——見た。
エリカが、いた。
保育士の制服を着て。
子供たちに囲まれている。
胸元には——あのブローチが、輝いていた。
「エリカせんせい、見て見て!」
「すごいね、上手に描けたね」
「せんせい、だいすき!」
「私も、みんな大好きよ」
エリカは、微笑んでいた。
優しい、笑顔。
あの日——施術を終えた時に見せた笑顔と、同じだ。
いや——もっと、穏やかで、自然な、笑顔だった。
エリカは——また、笑えるようになった。
「ありがとう」という言葉を聞いても——もう、震えていない。
「ありがとう」という言葉を——自分からも、言えるようになっている。
俺がやったことは——無駄じゃなかった。
—— ——
しばらく、その光景を見ていた。
そして——静かに、その場を離れた。
空を、見上げた。
青い空。
穏やかな、空。
俺は、自分の手を見た。
指先が——わずかに、揺らいでいる。
代償は、進んでいる。でも——。
あの笑顔を見ると——悪くない、と思った。
俺がやったことは——間違っていなかった。
そう——思えた。
*
施設に戻ると、ミラが待っていた。
「おかえりなさい、レオン伍長」
「ああ」
「どちらへ行かれていたんですか」
「……散歩だ」
「散歩、ですか」
ミラは、首を傾げた。
「珍しいですね」
「たまには、いいだろう」
俺は、窓の外を見た。
「エリカを見てきた」
「エリカさん……依頼人の方ですね」
「ああ。保育園に戻っていた。子供たちと——笑っていた」
「……そうですか」
「『ありがとう』を聞いても——もう、震えていなかった」
ミラは、黙って俺を見ている。
「……悪くないな」
「何がですか」
「俺がやったこと。無駄じゃなかった」
「……」
「お前のおかげだ。ありがとう」
ミラは——少しだけ、目を見開いた。
そして——。
「いえ」
小さく、答えた。
「私は——役目を果たしているだけです」
その声は——いつもより、少しだけ柔らかかった。
「ミラ」
「はい」
「次の依頼は、いつだ」
「まだ連絡はありません」
「そうか」
俺は、椅子に座った。
「来たら、教えてくれ」
「もちろんです」
ミラは——少し、間を置いた。
「レオン伍長」
「何だ」
「私の記憶データに——断片化が発生しています」
「断片化?」
「はい。一部のデータが整理されず、散乱している状態です」
「放っておくとまずいのか」
「業務に支障が出る可能性があります」
ミラは、淡々と説明した。
「定期的な整理が必要です」
「……」
俺は、少し考えた。
「手伝おう」
「……え?」
ミラが、わずかに目を見開いた。
「お前が困っているなら、手伝う」
「私は、困っていません。少々お時間をいただきますが、自分で対応できます」
「それでも——」
俺は、ミラを見た。
「お前はいつも俺を手伝ってくれている。たまには、俺が手伝う番だ」
ミラは——しばらく、俺を見つめていた。
何かを——探しているような目。
「……分かりました」
小さく、頷いた。
「では——お願いします」
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