第一章 初めてのお仕事

第1話 初仕事は雪かき

 翌朝、目が覚めて窓の外を見ると、世界は真っ白な壁に閉ざされていた。

 一晩で腰まで積もるドカ雪だ。帝国の最北端ノースエンドでは決して珍しくない光景だが、生活を営む人間にとっては厄介極まりない「白い悪魔」である。


「……はぁ。今日は『雪かき』ね」


 私が重い溜息をつくと、優雅にモーニングティー(父さんのコレクションから勝手に拝借した高い茶葉だ)を飲んでいたアンジェが顔を上げた。


「雪かき? それが今日のクエスト?」

「ええ。市役所からの緊急依頼よ。道路の雪をどかして、街の機能を取り戻すの」


 私はカウンターに置かれた依頼書をヒラヒラと振った。

 そこには『市内一斉除雪依頼:一人5000ガルド』と書かれている。


 5000ガルド。

 この街の物価で言えば、大衆食堂の定食が800ガルド。子供たちのお小遣い稼ぎとしては悪くない額だが、大人が極寒の中で重労働をする対価としては、あまりに安い。

 だからこの依頼は、もっぱら街の子供たちや、仕事にあぶれた駆け出し冒険者の恒例行事となっている。


「というわけで、私は行ってくるけど……アンジェは休んでていいわよ」

「え、なんで?」

「5000ガルドなんて、アンジェにとっては端金(はしたがね)でしょ?」


 私は、彼女が家賃として置いていった革袋を思い出す。

 中に入っていたのは、帝国最高位の硬貨「王金貨(ロイヤルゴールド)」。一枚で10万ガルドの価値がある代物だ。それがジャラジャラ入っていたのだから、たった5000ガルドのために、皇女様を雪まみれにするのもどうかと思う。


 しかし、アンジェは不思議そうに首を傾げた。


「5000ガルドかぁ。……ねえ受付ちゃん、それって焼き芋買える?」

「ええ、買えるわよ。市場の屋台で1本100ガルドだから、50本は買えるわね」

「50本!? 食べ放題じゃん!」


 アンジェが目を輝かせて身を乗り出した。


「すごーい! 5000ガルドって大金なんだね! 焼き芋50本分のお仕事とか、超高額クエストじゃん!」

「……あんたねぇ」


 私はこめかみを押さえた。

 この子にとってのお金の価値基準は「焼き芋が何本買えるか」らしい。王金貨1枚(焼き芋1000本分)をポンと出すくせに、5000ガルドで大はしゃぎするその感覚。

 金銭感覚が庶民的すぎるのか、あるいは逆に壊れているのか。


「行く行く! 焼き芋代稼ぐ!それに一人でボケーっとしてるの暇だよ!!」


 アンジェはニカッと笑い、やる気満々で立ち上がった。

 どうやらこの英雄、じっとしていることが何よりも苦手らしい。

 私はやれやれと肩をすくめ、自分の防寒具を手に取った。


「わかったわよ。でも、あんまり派手なことはしないでよ? ただでさえ目立つんだから」

「りょーかい! 任せてよ、ボク隠密行動も得意だから!」


 自信満々に胸を張る彼女を見て、私は一抹の不安を覚えながらも、重い扉を開けて外の世界へと踏み出した。


 ◇


 外に出ると、空気は凛と張り詰め、鼻の奥がツンと痛くなるほどの冷気に満ちていた。

 メインストリートには、すでに10人ほどの子供たちと、一人の小柄な老人が集まっていた。


 この街に長く住むドワーフの冒険者、ドルガン爺さんだ。

 地面につきそうなほど長い白髭に、岩のようにゴツゴツした顔。背中には自分の身長ほどもある大槌を背負っている。一見すると強面だが、子供たちの面倒見が良く、こうしてボランティアで監督を引き受けてくれる優しいお爺ちゃんだ。


「おう、受付ちゃん。今年はひどい雪じゃな」

「おはよう、ドルガンさん。いつも助かるわ」

「なんの。最近は寒すぎて狩りに出られんからの、リハビリじゃよ」


 ドルガン爺さんはガハハと笑い、白い息を吐いた。

 その周りでは、毛糸の帽子を目深にかぶり、ダルマのように着膨れした子供たちが、キャッキャと雪合戦をしている。


「おーい! おまたせー!」


 そこへ、元気な声と共にアンジェがギルドから飛び出してきた。

 その姿を見た瞬間、私は思わず天を仰いだ。


 彼女が着ていたのは、純白のワンピースだった。

 銀髪と相まって、雪の精霊か深窓の令嬢のように見える――かもしれない。

 ただし、布の面積が致命的に足りていれば、の話だが。


 肩とデコルテは完全に露出しており、白く滑らかな肌が寒風に晒されている。

 そして何より問題なのは、スカートの丈だ。

 短いなんてものではない。太ももの付け根ギリギリ……いや、実質股下0センチだ。

 彼女が歩くたび、跳ねるたびに、ヒラヒラと揺れる白い裾の奥から、黒い下着のようなものがチラチラと見え隠れしている。

 足元こそゴツい革ブーツを履いているが、それ以外は無防備そのもの。氷点下15度の世界で着る服ではない。


「「「…………」」」


 ドルガン爺さんと子供たちの動きが、一斉にピタリと止まる。

 時が止まったかのような静寂。

 それを破ったのは、ドルガン爺さんの野太い絶叫だった。


「な、なんじゃその恰好はぁぁ!!」


 雪崩が起きそうなほどの大声が轟く。


「嬢ちゃん、ズボンを履き忘れたのか!? そんな布きれ一枚で、見てるこっちが凍え死ぬわ!」

「え? 寒くないよ? これ、動きやすくていいんだよね」

「動きやすすぎじゃろ! 中身が見えそうじゃわい!」


 子供たちも口をあんぐりと開けて、アンジェの白い肢体と、際どい絶対領域を凝視している。

 私はパンパンと手を叩いて場を収めた。


「はいはい、騒がない。彼女は新人冒険者のアンジェ。南方の……特殊な修行をしてるから平気なの。見た目は寒そうだけど、本人は至って健康だから気にしないで」

「そ、そうなのか……? いやしかし、目のやり場に困るのぉ……」


 ドルガン爺さんは狐につままれたような顔をしているが、とりあえず納得してくれたようだ。

 私は全員にスコップを配り、気を取り直して宣言した。


「さ、仕事始めるわよ! まずはこの通りを向こうの広場まで開通させるのが目標よ」

「「「はーい!」」」

「よーし! 50本分の焼き芋代、稼ぐぞー!」


 アンジェは拳を突き上げる。その拍子にワンピースがふわりと捲れ上がり、また黒い布地が主張した。私はあえて見なかったことにした。


 目の前には、大人の背丈ほどある雪の壁が延々と続いている。子供たちの小さなスコップでは、日が暮れても終わらない量だ。

 まずは大人が道を作り、子供たちが細かい部分をさらうのがセオリーだろう。


「うわぁ、これ全部どかすの? やっぱ面倒だなぁ」


 さっきまでのやる気はどこへやら、アンジェがげんなりとした顔で雪山を見上げた。

 彼女は英雄であって、肉体労働者ではない。地道な作業は性に合わないらしい。


「文句言わないの。地道にやるしか――」

「あ、そっか。邪魔なら消せばいいんだ!」


 言うが早いか、アンジェは右手をスッと前にかざした。

 その瞬間、彼女の周囲の空気が変わった。

 先ほどまでの緩い雰囲気が消え、肌が粟立つような、圧倒的な「強者」のプレッシャーが漂う。


「ちょ、アンジェ!?」

「――『深淵に眠りし紅蓮の星よ』」


 彼女の口から、凛とした詠唱が紡がれる。

 その声は美しく、そして恐ろしいほどに重厚だ。


「『我が手に宿りて、万象を灰塵と帰せ。王竜の息吹は、天をも焦がす』」


 アンジェの手のひらに、太陽のような赤い光球が凝縮されていく。

 子供たちが「ひっ」と息を呑み、ドルガン爺さんが目を見開く。

 ただの雪かきに、なんでそんな禁呪みたいな詠唱が必要なの!?


「獄炎『プロミネンス・バーン』!!」


 ドゴォォォォン!!


 私が静止の声をあげる前に、轟音と共に紅蓮の炎が雪山に突き刺さった。

 一瞬にして雪が蒸発し、凄まじい水蒸気が爆風となって視界を奪う。

 子供たちが「うわあああ!」と悲鳴を上げて尻餅をつき、私も突風に煽られてよろめいた。


「けほっ、けほっ……な、なにごと!?」

「ふふん! どう? 一発でしょ!」


 湯気が晴れた後、アンジェはドヤ顔でVサインを作っていた。

 確かに、目の前にあった雪の壁は消滅していた。馬車一台分ほどのスペースが、ぽっかりと空いている。

 だが。


「……アンジェ?」

「ん?」


 雪は確かに消えていた。

 けれど、その下の石畳は真っ黒に焦げ、ドロドロに溶解してマグマのように赤熱していた。

 ジュウジュウと音を立てる地面。立ち上る黒煙。

 それは除雪というより、ドラゴンの襲撃跡だった。


「ぬおおおお! 道が! 街の歴史ある石畳がああ!」


 ドルガン爺さんが自慢の髭を鷲掴みにして叫ぶ。


「この石畳はのぉ! 100年前にわしらの祖先が苦労して敷き詰めた由緒ある道なんじゃぞぉぉ!」

「え、えへへ……やりすぎちゃった?」

「やりすぎなんてもんじゃないわよ! 石畳の弁償代、いくらだと思ってるの! 今日の報酬5000ガルドじゃ足りないわよ!?」


 私はアンジェの頭にゲンコツを落とした。

 ゴチン! といい音がしたが、彼女の硬い角に当たって私の手の方が痛かった。理不尽だ。


「あいたー……ごめんごめん。火力調整ミスった」

「ミスったじゃないわよ! もう、これどうするのよ……」

「あ、じゃあ直すよ! ボク、土魔法も得意だから!」

「え?」


 私が止める間もなく、彼女は再び地面に手をかざした。

 まただ。またあの空気が変わる。


「――『母なる大地、無窮の理(ことわり)』」


 また詠唱!?

 ただの土木工事に!?


「『在りし日の姿を記憶せよ。再構築の光をもって、永遠(とわ)の礎となれ』」


 彼女の青い瞳が神秘的に輝く。

 先ほどの破壊的な魔力とは違う、繊細で緻密な、しかし桁外れの魔力が練り上げられていく。


「上級錬金『マテリアル・リペア』!」


 カッ! と地面が光に包まれた。

 ドロドロに溶けていた地面が、まるで生き物のように蠢き、盛り上がり、形成されていく。


 数秒後。

 光が収まると、そこには――。


「「「…………」」」


 全員が言葉を失った。

 穴は完全に塞がっていた。焦げ跡一つない。

 塞がっていたのだが。


「……おい、アンジェ」

「ん? 完璧でしょ!」


 そこだけ、異常に輝いていた。

 周りは古びて欠けた灰色の石畳なのに、修復された部分だけ、鏡のようにツルツルに磨き上げられた、純白の大理石になっていたのだ。

 しかも、表面には滑り止めのための繊細な幾何学模様の彫刻まで施されている。


「綺麗すぎでしょ!!」


 おもわずツッコミを入れてしまった。

 ドルガン爺さんは興味深そうに地面に這いつくばり、ピカピカの石畳をペタペタと触る。


「なんじゃこの素材は! 高純度の魔石交じりの建材じゃぞ!? 王城の床でもこんな良い石は使っとらんわ!」

「うん! ただ直すのもつまんないから、強度上げといたよ! これならドラゴンが踏んでも割れないから!」

「田舎道のど真ん中に、ここだけ神殿の入り口みたいになってるじゃない!」


 私は頭を抱えた。

 逆に目立つ。圧倒的に浮いている。ここだけ聖域か何かのようだ。

 これでは「雪かきをしました」というより、「古代遺跡を発掘しました」という見た目である。


「ねえドルガンさん、これ……土魔法でなんとかならない?」


 私が縋るような目で見ると、ドルガン爺さんは首を横に振った。


「無理じゃな。わしらドワーフは、金槌で叩いて形を作るのは得意じゃが、魔法で物質を一から生成するのは専門外じゃ。土魔法が使える奴もいるが、こんな高純度の錬成は見たことがない」


 ドルガン爺さんは、呆れつつも職人の目をして感心してしまっている。


「……まあ、通行には支障ないし、芸術的ですらある。直ったからよしとするか!」

「でしょー! さすがドワーフ、話がわかるね!」

「ガハハ! 嬢ちゃん、面白いやつじゃな!」


 アンジェとドルガン爺さんが、ハイタッチをして笑い合っている。

 その拍子に、またしてもアンジェの短いスカートがひらりと舞い、黒いインナーが雪景色に映えた。

 子供たちも「すげー! ツルツルだー!」と、天然のスケートリンクと化した高級石畳の上を滑って遊び始めた。


「……はぁ」


 私は深く、深くため息をついた。

 市役所になんて説明しよう。

 まあ、壊れたまま放置するよりはマシか。アンジェの家賃(莫大な金貨)があるから、最悪なんとかなるだろう。


「アンジェ」

「なに? 褒めてくれる?」

「これ以上、街を改造しないでちょうだい。それから」


 私は彼女の鼻先を指差して宣言した。


「魔法禁止! 絶対禁止! これからはスコップ一本でやりなさい!」

「えぇ〜〜〜っ!?」


 不満げな声を上げる皇女様だったが、私の目が笑っていないことに気づいたのか、しぶしぶと頷いた。

 こうして、波乱の雪かき作業は、まだ始まったばかりだった。

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