第2話 人間給湯器な皇女様

「ねえ受付ちゃん、お風呂! お風呂入ろうよ!」


 大量の金貨という(物理的な)重みによって、アンジェとの同居を承諾して数十分後。

 荷解き――といっても、彼女の荷物は腰の小さな袋一つだけだったが――を終えたアンジェが、私の周りをパタパタと飛び回りながら急かしてきた。


「はいはい、わかったから。そんなに翼をバサバサしないで、書類が飛ぶでしょ」

「だって汗かいたんだもん。飛んでくるとき結構全力出したからさー」


 アンジェは服(といっても布切れ同然だが)の襟元をパタパタと仰ぐ。

 そのたびに、ふわりと甘い匂いと共に、蜃気楼のような熱気が漂ってくる。彼女の白い肌はほんのりと桜色に染まっていて、見ているだけでこちらの体感温度が上がりそうだ。


「お風呂は地下にあるけど、すぐには無理よ」

「え、なんで?」

「広いっていったでしょ……準備に時間がかかるのよ」


 私はため息交じりに説明する。

 このギルドは元軍事砦だ。地下の大浴場は、かつて数十人の兵士が一斉に汗を流せるように作られている。

 つまり、浴槽が馬鹿みたいにデカイのだ。


「水を入れるだけでかなりの重労働よ。それに、この極寒の中でその水を沸かすのに、薪が山ほど必要なの。今から準備するのは勘弁してほしいわね」


 父も腰痛で寝ているし一人で準備するにはとてもじゃないが厳しい大きさだ。

 私は「だから今日は諦めて」と言おうとした。

 けれど、アンジェはキョトンとした顔で首を傾げる。


「水を張って沸かすだけ?」

「……それが大変なのよ」

「なーんだ。そんなのボクがいれば一瞬じゃん」


 アンジェはニッと笑うと、私の手を取って歩き出した。


「案内してよ、受付ちゃん! 速攻で一番風呂に入ろう!」


 ◇


 地下への階段を降りると、そこにはひんやりとした石造りの空間が広がっていた。

 脱衣所はがらんとしていて、冷え切った空気が肌を刺す。

 その奥にある浴室の扉を開けると、そこには巨大なプールのような浴槽が、空っぽのまま鎮座していた。


「おー! 広い! 広いね!」


 アンジェは目を輝かせ、脱衣所でくるりと回る。

 そして、躊躇なく着ていた服に手をかけた。


「じゃ、さっそく準備しよっか」


 彼女は迷いなく服を脱ぎ捨てていく。

 胸元のリボンが解け、極小のインナーが床に落ちる。

 現れたのは、女の私でも思わず息を呑むような、圧倒的な肢体だった。


 白磁のように滑らかな肌。

 引き締まっているのに柔らかそうなウエスト。

 そこから伸びる、肉付きの良い太もものライン。

 そして何より、重力に逆らうように自己主張する二つの果実と、ぷりんと上向きのヒップ。


 子供のような顔立ちと身長からは想像もつかない、暴力的なまでのメリハリボディだ。

 背中には蝙蝠のような翼が折りたたまれ、お尻の上からは銀色の太い尻尾が伸びている。人外特有の神秘さと、肉感的なエロスが同居していた。


「……すご」


 私は自分のスレンダー(と信じたい)な体を見下ろし、敗北感と共に呟いた。

 神様、ステータスの振り分けが極端すぎませんか。


「ん? 受付ちゃんも脱ぎなよ。寒いよ?」

「あ、ああ、そうね……」


 私は気を取り直して服を脱ぐ。

 ノースエンドの寒さに慣れた私の肌は、彼女に比べれば随分と白く、そして起伏に乏しい。まあ、機動力重視の実戦的な体型だと思えば悪くはないはずだ。


 全裸になったアンジェは、尻尾をゆらゆらさせながら浴室へと入っていく。

 そして、空っぽの巨大な浴槽の縁に立つと、右手をかざした。


「えい」


 彼女が短く唱えた瞬間。

 ドバババババババッ!!

 虚空から、滝のような水流が出現した。


「ええっ!?」

「水魔法『アクア・フォール』。これくらいあれば足りるかな?」


 轟音と共に、巨大な浴槽があっという間に水で満たされていく。

 魔法使いが数人がかりでやるような芸当を、彼女はあくび交じりでやってのけた。


「す、すご……でもアンジェ、それ水よ? 氷水に近いわよ?」

「大丈夫大丈夫。見てて」


 水が溢れそうになったところで魔法を止めると、アンジェはそのまま「ひゃっほー!」と冷水の中に飛び込んだ。


 バシャーン!!

 盛大な水飛沫が上がる。


「ちょ、死ぬわよ!?」

「ん〜〜〜っ! 冷たくて気持ちいー!」


 アンジェは水面から顔を出し、気持ちよさそうに髪をかき上げた。

 そして、彼女が水に浸かっている部分から、じゅわあああ……という音が響き始める。


「……え?」


 見る見るうちに、水面から湯気が立ち上り始めた。

 彼女を中心にして、冷水が急速に熱を持っていくのがわかる。


「ボク、お湯沸かせるからさ。魔力炉フル稼働!」


 アンジェの肌が赤く輝き、浴槽全体がボコボコと泡立つ。

 ものの数十秒で、氷水だった浴槽は、もうもうと湯気の立ち込める大浴場へと変貌していた。


「人間給湯器……」

「はい、どうぞ! いいお湯加減だよ!」


 アンジェが手招きをする。

 私はおっかなびっくり、浴槽に足を入れた。


「――っ、熱ッ!?」


 熱い。結構熱い。

 体感45度くらいある。江戸っ子か。


「えー? ぬるくない?」

「アンジェの平熱基準で考えないでよ……! もう少し下げて!」

「ちぇー。わかったよぉ」


 彼女が少し出力を落とすと、お湯は適温くらいに落ち着いた。

 私は肩までお湯に浸かり、大きく息を吐き出す。


「はぁぁ……極楽……」


 冷え切った体に、熱いお湯が染み渡る。

 準備の手間もゼロ。

 最高だ。同居人が人間離れしていると、こんな恩恵があるなんて。


「でしょ? 一緒に入ると楽しいね、受付ちゃん」


 アンジェがバタ足で近づいてくる。

 お湯の中で揺れる彼女の豊満な胸や、滑らかな太ももが、波紋越しに見え隠れする。同性でもドキッとする光景だ。

 彼女は私の隣に来ると、くるりと背中を向けた。


「ねえねえ、背中流してくれない? 翼の付け根、自分じゃ届かないんだよね」

「……はいはい。しょうがないわね」


 私はタオルを手に取り、彼女の背中に回った。

 翼の根元は、鱗と肌が混じり合う複雑な構造をしている。

 スポンジで優しく擦ると、アンジェが「ひゃうっ」と可愛らしい声を漏らした。


「そこ、くすぐったい……けど気持ちいい……」

「敏感なのね。ちゃんと洗わないと垢がたまるわよ」

「うう……受付ちゃんの手、柔らかくて好き……」


 無防備に身を委ねてくる最強の皇女様。

 その背中を流しながら、私は湯気で火照った顔をさらに赤くした。

 静寂は失われたけれど――この温かさは、悪くないかもしれない。

 まあ、お湯がちょっと熱すぎて、茹でダコになりそうだけれど。

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