第7話:仕掛けられた罠
第7話:仕掛けられた罠
二月の風は、刺すような冷たさの中に不吉な湿り気を帯びていた。
「佐々木さん、これを見てください」 「家族の会」の事務所で、石井靖子が苦渋に満ちた表情で一枚の書類を差し出した。それは、九条弁護士が家庭裁判所と市役所に提出した『報告書』の写しだった。
そこには、健二の耳を疑うような文言が並んでいた。 ――『長男・健二氏は、被後見人の居宅に不法に侵入しようとし、職員に対して威圧的な言動を繰り返している。過去には経済的虐待の疑いもあり、被後見人は長男の訪問を極度に恐れている』――
「経済的虐待……? 俺が親父の金を盗んだってのか!?」 健二の叫びが、狭い事務所に響き渡った。怒りで視界が白く霞み、指先がガタガタと震える。 「出鱈目だ……全部、出鱈目だ! 俺はただ、親父に会いたいだけなのに!」
「これが彼らのやり方よ、健二さん」 石井の声は低い。「正当な主張をする家族を『モンスター』に仕立て上げ、法的に遠ざける。こうなると、行政も施設も『虐待から高齢者を守る』という名目で、あなたの面会を完全に遮断できる。社会的な死よ」
健二は、自分が底なしの沼に引きずり込まれていくような感覚に陥った。 街を歩けば、道ゆく人々が自分を「親を虐待する冷酷な息子」として見ているような錯覚に襲われる。コンビニの店員の無機質な視線さえ、刃物のように胸を刺した。
数日後、健二は意を決して再び「清風の里」へ向かった。だが、受付にはすでに制服を着た警備員が立っていた。 「佐々木さんですね。九条先生から通報を受けています。これ以上接近されるなら、警察を呼びます」 「……親父に、一目だけでいいんだ」 「お帰りください」
警備員の革靴が床を鳴らす音が、健二の尊厳を踏みにじる音のように聞こえた。 絶望に暮れ、施設の外壁に沿ってトボトボと歩いていた時だ。二階の窓の隙間から、何かがひらりと落ちてきた。
それは、ボロボロに使い込まれた小さなビニール袋だった。 見上げると、二階の窓の陰に、痩せ細った父・嘉男の顔が見えた。父は声も出さず、必死な形相で健二を指さし、すぐに姿を消した。
「親父……!」
健二は地面に落ちた袋をひったくるように拾い上げた。中に入っていたのは、父が長年つけていた「能率手帳」の最新版だった。
震える手でページをめくる。 そこには、施設に入れられてからの父の、震える筆跡で刻まれた叫びが詰まっていた。
『一月十五日。九条という男が来た。ハンコを押せとしつこい。私の土地を売った金が、どこかへ消えているようだ。』 『一月二十日。九条が「健二はもうお前に会いたくないと言っている」と笑った。嘘だ。あいつはそんな奴じゃない。』
そして、最後のページ。そこには、殴り書きのような文字でこう記されていた。
『二月三日。九条が持ってきた書類の束に、聞き覚えのある名前を見た。「K不動産」。九条の弟が経営している会社だ。私の家は、相場の半分でそこへ売られた。九条は、私の金で自分の家族を太らせている。通帳の裏に、九条が落としたメモを挟んでおいた。奴が施設と裏で交わした「紹介料」の金額だ。』
健二の心臓が、早鐘のように打ち鳴らされた。 カサカサと乾いた手帳の感触。そこには、父が正気を保ち、必死に戦っていた証拠が刻まれていた。
「……仕立て上げられていたのは、俺だけじゃなかった」
九条は、父を「何もわからない老人」に仕立て上げ、健二を「虐待する息子」に仕立て上げた。その虚構の陰で、父の人生を、肉を削ぐようにして貪っていたのだ。
手帳の隙間から、一枚の小さなメモが滑り落ちた。 そこには、九条の直筆で、施設名と「バック20%」という卑劣な数字が記されていた。
健二は、そのメモを強く握りしめた。 涙は出なかった。代わりに、冷徹なまでの闘志が全身の血を駆け巡った。
「九条……お前が作った『罠』の出口は、俺が作ってやる」
健二はスマホを取り出し、石井靖子へ連絡を入れた。 「石井さん、見つけました。九条を地獄へ叩き落とす、唯一の鍵を」
夕暮れの施設を見上げる健二の瞳には、もはや迷いはなかった。 冬の冷たい風が、今度は健二の背中を力強く押しているように感じた。
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