第9話 赤ん坊王子、便利な移動手段を手に入れる
「またルシウス殿下がいらっしゃいません!!」
朝の王宮に、兵士の慌てた声が響いた。
「何っ!? 今日は誰が責任者だ!?」
「くそっ! 目を離すなとあれほど――」
「ほんの少し、背中を向けた隙をつかれてしまいました……!」
一瞬だけ、場の空気が凍りつく。
その緊張を破るように、別の兵士が重々しく溜め息をついた。
「お探ししましょう。ルシウス様に振り回されることに、我々は慣れなければいけない」
「慣れたくありませんよ……! あのお方、前回は屋根の上にいらっしゃったんですよ!?」
「その前は厨房の天井裏で発見しました……。なぜあんなところに赤ん坊王子様が一人で……」
半泣きになりながら兵士たちが走り出す。
廊下の向こうでは、王妃の心配そうな声が響いていた。
「ルシウスちゃん~!? どこに行ってしまったの~!?」
「落ち着け、妻よ。ルシウスは、最強の赤子だ。……とはいえ、捜索班を増やせ!」
こうして今日もまた、王宮は末っ子王子を探すところから一日を始めるのだった。
◇◇◇
「くそっ……末っ子王子め……化け物みたいなガキだ……」
「泣いただけで仲間が何人か吹っ飛んだって噂……本当だったのか……」
王宮の外れ、人目のない鍛錬場の裏。
氷で作った枷に手足を縛られた暗殺者たちが、忌々しそうに唸っていた。
こいつらは王宮に侵入し、コソコソうろついているところを、俺に発見された哀れな暗殺者どもだ。
気配消しの技術は上級者のそれだった。
王宮の兵士相手なら、数人は始末できただろう。
だが、相手が悪すぎた。
「ばぶばぶ(化け物だとわかっていながら挑んでくるとは、身の程知らずにもほどだな)」
そう呟いた俺は今、ミニバットの爪にぶら下がった状態で、宙に浮いている。
このミニバットこそガルグイユだ。
上を見上げると、丸っこい体に薄紫の羽を生やしたミニバットが視界に入る。
あの巨竜が、ここまで小さな姿になった理由は単純だ。
俺の命に応えるため、死ぬほど努力した結果である。
「意思と想いの力で進化したのなら、退化だってできるはずだ。ガーゴイルの祖先は、ミニバットだという。ミニバットの姿であれば、人間を脅かすこともないし、赤子の俺を運ぶ翼替わりにちょうどいいサイズ感だ。というわけで、ミニバットに退化するよう、死に物狂いで努力してみろ」
そう命じたとき、ガルグイユは震えながらも、必死に頷いてみせた。
結果が、この姿だ。
努力の甲斐あって、ガルグイユはミニバットの体に変化できるようになった。
おかげで俺は、ガルグイユを翼代わりにして、自由に飛び回れるようになったわけである。
さて、侵入者だ。
こいつらをどうするか。
俺は、短い両手足をぷらんと垂らしたまま、首だけをわずかに傾けた。
この程度の仕草でも、赤ん坊には精一杯だ。
「……赤ん坊のうちに仕留めとけばよかったものを。今までの暗殺者どもはなにをしていた……」
端に座った男が舌打ちをする。
『ふん! バカ者共め!』
ガルグイユが堪えきれないという態度で口を挟んできた。
ガルグイユは、主である俺を愚弄されると、すぐ激怒する。
今回もまた黙っていられなくなったのだろう。
大した迫力はないが。
水竜のときは、やけに響くテノールだったのに、体のサイズ感に合わせて声質も変わるのか、ミニバット時のガルグイユは幼女のような声をしているのだ。
『ルシウス様に太刀打ちできる者などいるかっ! 我が主は赤子であってしても、すでに最強! おまえたちも身をもって思い知ったはず。でなければ、拘束され、地面に転がっているわけがないのだからな』
ガルグイユが誇らしげに、ふふんと鼻を鳴らす。
痛いところをつかれたらしく、暗殺者たちは悔しそうに唇を噛んだ。
しかし、後悔しても後の祭り。
こいつらは俺の庭に許可なく入ってきたのだ。
それ相応の罰は、きっちり受けてもらわねばならない。
俺は相変わらず小さくてムチムチしている掌を男たちに向けて掲げた。
指先が思うように揃わず、魔力が一瞬だけ揺らぐ。
赤ん坊の体は、なかなか思い通りに動かないのだ。
俺の指先に強烈な魔法の光が灯ると、男たちの顔から血の気が引いた。
「なっ……ま、待て……なにをするつもり――」
「おぎゃー(消えろ)」
次の瞬間、俺の掌から勢いよく魔法が爆ぜた。
風が渦を巻き、暗殺者の身体を包み込む。
「……っ!?」
暗殺者たちの声が上がったのは、ほんの一瞬だけだった。
本来なら、王宮の外に追い払えば十分だった。
……少なくとも、そうなるはずだった。
だが――。
圧縮された暴風が、暗殺者たちの身体をぽーんと宙へ放り投げた。
「――――っ!?」
抵抗も、悲鳴も、途中で掻き消える。
暗殺者たちはそのまま、空へ、空へと打ち上げられ、勢いを殺すこともなく、敵国の方角へ一直線に吹き飛ばされていった。
よく晴れた青空の中で、黒い影はみるみる小さくなり……。
きらりと光って、見えなくなった。
「……ばぶ?(……む?)」
俺は、ぱっと手を下ろした。
「……ばぶう(……想定したより、威力が出たな)」
『さ、さすがですルシウス様!! ……い、いえ、その……!
空の星にまでなさるとは、想定外でしたがっ!!』
ガルグイユが、感動と戦慄の入り混じった声で叫ぶ。
……いや。
俺の想定でも、なかったんだが。
まあ、でも追い払うという目的は一応達成できたのでよしとしよう。
しかし、こうして手間暇かけて暗殺者に『引退コース』を用意してやってるのに、なぜ次々、命知らずの馬鹿が現れるのか。
「ばぶばぶ(そろそろ俺に敵いはしないことを、学んでほしいものだな)」
「おっしゃるとおりです! ……って、ああっ! 大変ですよぉ、ルシウスさま~~!! そろそろ護衛候補面接に参加するお時間です!!」
「ばぶー(……またか)」
やれやれ。
ここ数日、同じことを何度繰り返しているのか。
護衛候補を集めては面接。
だが、集まるのは、可もなく不可もない連中ばかりだ。
力量は平均的。
忠誠心も建前どまり。
悪くはないが、良くもない。
「ばぶ……(正直、もう飽きたんだが)」
五回目、六回目ともなれば、さすがに期待もしなくなる。
今日もどうせ、似たような顔ぶれだろう。
『とはいえ、面接に参加しなかった結果、ゴミみたいな護衛を押し付けられることになったら最悪ですよぉ』
たしかにガルグイユの言うことは一理ある。
「ばぶ(よし、ガルグイユ。会場へ向かえ)」
『はっ! お任せを!!』
面接の結果にはまったく期待していないが……。
しかし、その入口に辿り着いた瞬間、俺は思わず目を見開いた。
「ばぶ?(……ん?)」
胸の奥に、微かな引っかかりが走る。
今までの面接では、一度も感じなかった違和感。
「ばぶう……(……これは)」
ようやく、少しは退屈しなくて済みそうだ。
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