【音楽室の怪異】
冬の気配が訪れる十二月下旬に差し掛かる頃の朝、小雨の降る寒い日だった。
木更津たちの勤務する福岡県桜城警察署の一室では一人の女子児童が泣きながら保護されていた。朝イチで迎えにきた母親は驚いており、すすり泣く我が子と目の前にいる女性刑事二人を前に困惑の表情を浮かべることしかできなかった。
無理もない、ここが生活安全課であったならまだ、うちの子が迷子になっていたところを保護してもらった可能性などで百歩譲ってわかるのだが、現在いる課は怪奇刑事課である。そんな課名など聞いたこともない。だが娘は目の前にいる黒髪に黄色のインナーカラーが入った女刑事にベッタリと泣きついている。
「本当にすみません、うちの娘が何か……」
「違うんです、娘さんは怖い思いをしたんですよ。ね、もう大丈夫だよ」
「うん……っ」
一体わが子に何があったというのか、気が気ではないがひとまず目の前の刑事に促され革張りの、事務的そうなソファーに腰掛ける。
「私、怪奇刑事課の上津役と申します。こちらは私の上司にあたる遠野です。先に申し上げますと娘さんは特に怪我をしたわけでも誰かに誘拐されかけたわけでも事件に巻き込まれたわけでもありません。お母さん、娘さんを起こしてから学校に見送るまでの一連の行動を覚えている限り教えていただけませんか?」
「えっ?……あ、はい」
時はほんの数時間前に遡る。
娘の香奈は初めての委員会活動ということで前日から浮足立っていた。なんでも音楽委員会に所属したらしく、終業式の今日、はじめて校歌を演奏するのだとはりきっていた。だからか、普段であれば七時半に家を出ているというのに一時間も早い六時半に家を出ると言い出した。中学生や高校生の部活動でもないのにいくらなんでも早すぎると言って聞かせたが頑固な娘は話も聞かず、「先生も五年生も六年生もいるもん」と言ってまだ薄暗い早朝の中元気に登校したのだ。確かに、本当にそういった楽器の準備などをするなら教師の一人二人ぐらい来ているのだろう、と仕方なくそのまま見送ったのだが。
「……そういうわけでして、今朝はいつもより一時間早く家を出ているんです」
結局もうとっくに学校は始まっているし、今日は休むように刑事側が学校に連絡し手配をしてくれているらしいのだが。
「そうだったんですね……。朝早くからお母さんもご苦労様です」
「ありがとうございます。それで娘はどうしてその、泣いて……?」
「そうですね、なんと言えばいいのかわからないんですが、娘さんはおそらく学校の七不思議、のような怪談話に遭遇したようで」
「は、はぁ」
言われた言葉に思わず素っ頓狂な返事をしてしまい、娘を見れば「ほんとだよ!」と怯えたように言い出した。
「おかあさんがいったとおり、誰もいなかったの、学校真っ暗で……。香奈、外で先生くるのまってて、さむいなっておもってたら、誰もいないのにずーっと鉄琴で音楽してるの聞えて……誰かいるのかなって思ったけど、音楽室から香奈のいるところとおいの、きこえないもんいつも……」
「雨の降る中、学校の前で泣きじゃくってしゃがみこんでたんです。たまたま通りがかってお話を聞いたらそういうことでしたので保護させていただいたんですが……」
「す、すみません……!香奈、気のせいじゃなかったの?」
「ちがうもん、聞いたよ、ほんとに誰もいなかったよ」
そんなことをいわれてもねぇ。と困ったように考える母親を見て、上津役は苦笑する。
最もな反応である。幽霊や怪談、七不思議に都市伝説などの類なんてものは実在しないと思われているからこそ、その噂にあることないことが増やされ、盛り上がるようにできているしその余白部分が楽しいものである。
だがここはそういった怪奇が引き起こす事件を専門に取り扱う特殊な課だ。ここでは起きた不可解な現象すべてが、事実として扱われる。
「お母さん、きっと香奈ちゃんは本当のことを言っています。ものすごく怖い思いをしたと思うので、私たちがその音の正体を探してもう怖いことがおきないようにしてきます。なので今日明日は香奈ちゃんと一緒に過ごして安心させてあげていただけますか?」
「そう、でしょうか……いつもよりずっと早起きしていますから寝ぼけていただけかもしれませんし刑事さんにそんなことにお付き合いいただくわけには……。もちろん、娘とは過ごしますけど……」
「大丈夫です。私たちはそういったこと専門の刑事ですので。事件が起きてからじゃ遅いですし今回は香奈ちゃんのおかげで未然に防げるかもしれませんから」
「お手柄だな」
そういって遠野と紹介された女性が香奈を撫でれば少しだけ嬉しそうに香奈が笑い、母親に本当なんだよ。と再度力説をしはじめる。
七つをとうに超えているとしてもやはり子供というのはそういった怪異との波長を合わせやすい。特にこの少女のように真面目で優しい気質の子にはよりつきやすいといわれている。だからこそ、何かことが起きる前に収集がつけられれば御の字である。
それもまた自分たちの仕事なのだ。
親子が無事に帰っていくのを見送り一息つく準備を上津役がし始めれば、仮眠室から木更津と賭場瀬が出てきた。本来であれば同席して話を聞いておくべきなのだが、現在二人は事情により生霊状態であり、ここの課の職員、もしくは霊感のある人間、そういった霊障のおきやすい空間にいる時など特定の条件下にいなければ一般人には見ることができない。必要以上に怯えさせないためにも二人は別室で待機していた。
「音楽室の怪談なんて、あの飾ってある名だたる音楽家おじさんの写真の目が動くとかそんなんしか聞いたことねぇよオレ。」
「そうなんですよねぇ」
休憩の準備をしていた上津役に木更津が話しかけながら、さりげなく手伝いを買って出る。これも後輩の仕事の一つなのだが、上津役よりは先輩とはいえ遠野と賭場瀬という大先輩の手前、自分が手伝わないわけにもいかない。
彼女が電気ポッドに水を淹れスイッチを押した。その間に上津役がお菓子を用意している傍らで職員用の棚からドリップコーヒーを四つ取り出し、カップに注ぎ入れる。小腹満たしにこっそり落雁をつまみながら。
生霊だというのに、この課にいるときは物理的に物に触れられるという異常状況にも随分と慣れてきた。きっと世間一般的にいえばこれこそまさしくポルターガイストというやつになることだろう。
(まさか自分が怪異側になるとはねぇ)
「お菓子、先に出してます」
「おう、ありがとう」
テキパキと準備をしてくれる上津役に礼を言って、コーヒーを出せば先輩達は茶請けに手を伸ばしながら悠長に喋っている。
「シケてるな、いつもの安コーヒーか」
「そう言ってやるな、別に飲めりゃかまわないだろ」
雑談もそこそこにそそくさと休憩を終え立ち上がる。
今回の件は前回の口裂け女よりも随分と楽そうに見えると脳内で思いながら、賭場瀬は未だに文句を言ってる木更津の首根っこを掴み立ち上がった。
喚き散らかす木更津のことなど眼中にいれていないらしい賭場瀬が遠野と上津役に微笑んだまま告げる。
「今回は二人で事足りそうだ。もしものことがあったら連絡する」
「はいよ」
「わかりました!気を付けてくださいね!」
簡潔に返事をした遠野は早速だらけた姿勢をとり、もらいうけた暇を有効活用しようと睡眠のためか目を閉じる。その横では上津役が困り笑いをしながらも元気に返事をしていた。
時刻は、逢魔が時。いくら比較的暖かい西の方の県とは言えど空はすっかり暗くなっており、それなりに冷え込んでくる。目の前の小学校の電気もほぼ消灯している。ついているところといえば、職員室とその前の廊下ぐらいのものだ。まだ教師は残っているようで仲がいいのか談笑しながら翌日の準備をせっせとしているようだった。
最も、その様子を間近で見ている毘沙門天の二人に気づく教師などここにはいない。勝手に音楽室に入っていくことも考えたが万が一にも見える人物からいたらバレたときに説明が面倒になる、と一度職員室に入り込み自分たちを認知できる人間がいるかどうかを確かめにきたのだ。
「大丈夫そう、スね」
「あぁ。とっとと片付けるか」
誰も自分たちを認識していないことを確認した二人は廊下へと移動する。職員室から出て、すぐ左手には給食配膳室があり、その正面には上がる階段がある。
「音楽室、二階っぽいスね。反対側は保健室と二年生の教室って書いてあるし」
「そうらしいな。それにしてもイイ雰囲気じゃないか?」
「あー。まぁ、そう、スね」
すっかり電気の消えた廊下には非常灯だけが灯っており、無人の給食室や放送室、図工室に理科室を照らしている。その手に慣れている二人が「雰囲気ならバッチリ」と思っているぐらいには出そうな演出だ。
児童用に作られている小さな階段を二段飛ばしで登ればそのすぐ横には図書室があり、向かいは家庭科室のようだった。相変わらず二階も雰囲気があまりよろしくない中、その扉はあった。
図書室と家庭科室の奥、どんつきにある両開きの扉。プレートには「音楽室」の文字。もちろんしっかりと施錠されている。
「今のところ何も聞こえねぇスね」
「まぁ待て、そう急いでやるな」
「腹減ったんスよ、さっき小腹満たしのラングドシャ食い損なって」
「落雁食ってた奴が何言ってんだかな」
「落雁なんかカロリーゼロでしょ」
「それはお前だけだよ、馬鹿者」
呆れたように賭場瀬が笑い、時間を確認しようと腕時計を見ようとした時だった。不意に中から綺麗な鉄琴の音が響いてくる。それは聞いたこともない曲調を奏でていてなんだか綺麗な音色に反して耳障りの悪いものだと思った。何かがいることだけは間違いない。だがこれは怪談や都市伝説のような類ではなさそうだと木更津は首を傾げた。ならば霊の仕業だろうかと思案するが別にこの小学校で誰かが死んだ、だとかそういった話は聞いたことがない。まだ現物を確認していないのでなんとも言えないのだが、現段階では本当に謎の音になる。
「入るぞ」
「うす」
謎を謎のまま帰るわけにはいかない。彼らは事件を未然に防ぎに来たのだから。
空ける必要もない扉を通り抜ければ、音楽室に簡単に足を踏み入れることができた。壁にはいわゆる昔の作曲家の有名どころの写真が並び、黒板には譜面がついていて、目の前にはグランドピアノがひとつだけ置かれている。目につく範囲には鉄琴など置かれていない。
音がするのはそのさらに奥、音楽準備室の方からだった。
「こっちか……」
木更津が迷いなく準備室へ入ればすぐに異変に気が付いた。
棚の中に綺麗に陳列されたアコーディオン、端の方に小さく置かれたシンバルやタンバリンにカスタネットにピアニカ。それから準備室の大半を埋めていた木琴と鉄琴がいくつか。
その中の一つ、一等綺麗な鉄琴が独りでに音を奏で続けている。
一体何故、そう思い木更津が見ればそこには原型も見えないほどぐしゃぐしゃになった何かが立っている。それが人だったということはかろうじてわかった。まるで何かを恨んでいるかのような形相でただひたすらに鍵盤を叩いて音を発している。
「っ……」
思わず叫びそうになったのをグッと堪え、絶えず鳴りやまない動悸を聴きながら、木更津は自身が恐怖を覚えていることを自覚する。とはいえ、自分自身も現状、目の前のナニカと同じ状況だというおかしな点もあるのだが。
「ほぅ、これはまた」
賭場瀬の意味深な声に、ハッとしてもう一度よく視界にそいつを入れる。ぐしゃぐしゃになった鉄琴を奏でる人のはずのものの、右手首から先がない。
「え、右手……」
そういえば、とふと木更津は寺の住職をする父から聞いた知識を思いだす。確かあれは心霊写真の話の時だった気がするが、なんでもこの界隈、左は悪霊、右は仏様からのお告げ、といったようなものがあるのだと言っていた気がする。彼女にないのは、右手だった。
「アンタ、右手なくしたのか?」
木更津の問いかけに、一つ、鉄琴が鳴った。どうやら正解らしい。と直感する。
「まだ生きてる?」
今度は二つ返事が返ってくる。
「……、殺されたのか?」
返事の音は、一つだった。
「あった、こいつだ」
二人がやり取りをしていた間に、賭場瀬はアコーディオンが納められた棚の上部を開け、そこにいくつも放置されていた紙束を見つける。その中から一枚の新聞記事を引きずり出した。
それは福岡県で起きた事故、ではなく東京都で起きたとある轢き逃げ事件の記事だった。被害者はとある鉄琴奏者の女性。早朝、六時半に何者かが運転していた自動車に撥ねられ、執拗に敷かれた挙句、壁と車に叩き潰されむごいことになったのだという。犯人は車を捨て、逃走し現在も捜査を続けている。との文字がある。とはいえこの新聞記事じたいが二年前のものであるためこの犯人が現在捕まったかどうかまでは書かれていない。
「なぁ、もしかしてコレ……アンタ、仕返しがしたいのか?」
いくら幽霊といえど元はちゃんとした人間だ。こんな死に方をしたんじゃ確かに無念や憎悪が残っても仕方がない。
目の前の彼女は木更津の問いかけに二つの音を鳴らした。
「は?仕返しじゃ、ない……?じゃあなんで……」
それを探すべく、賭場瀬は即座に電話を手に取った。こんな体になっていても連絡手段が使えるというのも摩訶不思議ではあるが非常に助かることだ。
ツーコール目で電話がつながった。かけた先は怪奇刑事課直通の番号だ。
「はいよ」
受話器の向こうから聞こえたのは遠野の声で、若干機嫌が悪そうなトーンを聞くにおそらく寝起きなのだろう。
「仕事だ。照につないでくれ」
「チッ、わかったよ。テル。バセさんから」
「はい!かわりました、上津役です!」
「元気で何よりだお嬢さん。ところで一つ頼まれて欲しいんだが、二年前の東京で起きた鉄琴奏者轢き逃げ事件を覚えてるか?」
「えーっと、ごめんなさいちょっと私は覚えてないんですが……」
「まぁ無理もない。こっちの地方の話じゃないからな。その件の犯人が捕まってるかどうか大急ぎ確認を取ってくれ。一課の大宰府にでも繋いで聞けばすぐに教えてくれるはずだ」
「わかりました。……まさか鉄琴の音って……」
「あぁ、そうらしい」
すぐに確認してきます。と言って本当に慌てたように電話を切られた。即行動してくれる新人は本当に役に立つな、と携帯電話を懐にしまいながら木更津を見れば、顔を青くさせ痛みに耐えるような表情をし、脂汗が浮いている。どうやら出来事を追体験しているのか、それでも発狂しないのは彼の精神がそれだけ強くなっている証拠である。きっと少し前の木更津ならもっと暴れだしていたに違いない。
「しっかりしろ。飲まれるな。何か理由があって出てきて見せてるはずだ」
(まぁ、この場で強制的に祓ってしまっても問題ないんだが)
賭場瀬の内心など知らない木更津は困惑していた。
「……バ、バセさん」
「どうした坊や」
「この、鉄琴この人のだ。寄贈されたらしい……」
木更津が見たものによれば、目の前の女性の母校はこの小学校だという。
彼女が死んで、両親は今も憤りを覚えているらしいが、最愛の娘が小さな時から大事に使っていた鉄琴をその母校に良かれと思って寄贈したのだと。
どうりでこの学校自体には何も情報がなかったのだ。事件はそもそも都内で起きていて、たまたま彼女の出身がこの場所で、両親の善意で自分の宝物を小学校に寄贈した。霊体になった今、その自身の鉄琴を使っていつか誰かに見つけてほしかったのだろうか。
一方その頃、上津役は言われた通りに大急ぎで一課の大宰府という刑事へ連絡をとっていた。彼は賭場瀬の先輩にあたるらしく何度かこちらへ遊びに来たこともあり顔を知っている。霊感などはないはずだが、こちらに差別的な意思を持たない貴重な人物だ。
「大宰府さん、お疲れ様です。怪奇刑事課の上津役です」
「あぁ。久しぶりだな。元気か?」
「はい、おかげさまで皆元気です。」
「……、そうか、ところで急に連絡してきてどうした?何か俺にしてほしいことでも?」
「そうなんです。教えて欲しいことがあって。二年前の鉄琴奏者轢き逃げ事件の犯人が捕まったのかどうかを聞いてくれって賭場瀬さんから言われまして」
「ー……、急にどうした」
「それが、今向かった現場に関係するらしくて」
電話の向こうの空気が、少しばかり重たくなったのを上津役は感じとり、次に説得に用いる言葉を脳内の辞書から探していく。あれも違う、これも違うとオタクとして養ったはずの語彙力の中をひっかきまわしてみるがどれもしっくりこない。しばしの沈黙のあと、大宰府は重い溜息を吐き出して言った。
「その事件の犯人は捕まってない。俺が二年前担当したやつだ」
「えっ?」
「捕まってない。まだ逃げ続けているはずだ。福岡に逃げてきていることまでは調べがついてる。そこから先は知らん」
「福岡に……」
「賭場瀬と木更津はどこにいる?俺も行くから教えてくれ」
これは刑事の直感だ。彼に霊感などついてはいないが、きっとその場に行けば話題にあがってきた轢き逃げ犯に会える。急ぎ太宰府は相棒に声をかけ、覆面パトカーに乗り込んだ。
二年前、例の事件があった時、大宰府幸利は相棒と共に交通捜査課にいた。目も当てられないほどにむごい事件に二人して絶望に似た感覚を覚えたのを今でも鮮明に思い出せる。あの惨劇を同じ人間がしたなど到底思えない。最早人間の皮を被った悪魔の所業だ。理解に苦しむほど立派な殺人事件の現場だった。
その犯人を逃がし続けている現状を打破できるなら胡散くさい課の起こす奇跡とやらに懸けてやる、と車を走らせる。
指定された場所は、近所の小学校で何故こんなところに木更津と賭場瀬が来ているのか、例の件とどう繋がるのかさえ皆目見当もつかない。だがそれも仕方がないことだ。現在太宰府が所属している刑事の花形、捜査一課と彼らの所属している怪奇刑事課ではそもそも請け負う事件の質が違いすぎる。彼らは一般的には目に見えないものを追っているのだ。きっと見えている世界が双方で違うのだろう。
「お久しぶりです。太宰府先輩」
駐車場に車を止め、降りればそこには怪奇刑事課の特徴の一つでもある、黒の羽織を着たアッシュ色の髪に黄色の目を持つ大男が立っている。とはいえ、太宰府も高身長な部類なので二人の目線は同じぐらいなのだが。その横で木更津と太宰府の相棒である梅田が大きな相棒達を白けた表情で見上げている。
「なんで俺にもお前らが見えるんだ。意識不明の重体で入院したって聞いてるんだがな」
「あぁ、そうなんですがね。実は揃って幽体離脱してまして。普段なら見えなかったでしょうな、いわゆる生霊ってやつです」
「……頭が痛くなってきた」
「はは、正常な証拠ですよ」
信じられないモノでも見るような目で見れば彼はそんなこと慣れているといったようにいつも通りにケラケラと笑っている。
「そういえばうちの若いのから聞かれたでしょうが、例の轢き逃げ事件の犯人はまだ捕まってないとのことでしたね。被害者である彼女が法の裁きをお望みのようなので太宰府先輩がたに来ていただけたのは幸運でした」
「言ってろ、俺なら来ると踏んでいたんだろうに」
「これは手厳しい。まぁそうですが」
彼ほど真面目な先輩はいない。そう賭場瀬は内心で思っていた。今でこそ驚きはしているものの、これといって自分たちを邪険にはしない、使えるならば怪異であろうとも使うであろうこの男に尊敬の念さえ抱く。だからこそ一方的な信頼の元、上津役伝手に太宰府にコンタクトを取ったのだ。
新聞記事を通してあの鉄琴奏者の女性の思念が見えた。自分を無残にも敷き殺した人間を裁いてほしい、と願っている。木更津が自分の手でケリをつけるか?と聞いたが、彼女は首を横に振った。なんでも事故直後に捜査にきてくれた刑事二人組が花を添えて、絶対に無念を晴らしてみせると言っていたらしい。それが非常に嬉しかったのだという。
であれば、そんな彼女が化けて出てきた理由は一体なんなのか、と賭場瀬が思案していれば彼女によって強制的に霊視させられ、理解させられた。
二人が視たものは、男の日常だった。
彼女を無残な姿にした奴が、こののどかな町で息をひそめ身なりを偽り生活している。決して警察に怯えたような挙動はせず、ただまるでそこに溶け込む様に存在している。自分の罪を知らぬ土地でやり直しを決めたのか真面目に働き、収入を得て、とある女性に懸想した。
彼女はどうやらシングルマザーで小学生低学年になる子供を抱えていた。そんな彼女に体よく言い寄り、結婚し、血のつながらない娘を表面上、かわいがっていた。誰が見ても幸せそうな家族を作り上げている。
だが優しい父親のようで目は笑っていないのだ。うまく隠しているつもりだろうが、その男が持つ狂気は木更津と賭場瀬には筒抜けになってしまった。
過去の罪をこのまま知らぬ素振りで流し、目の前にいる女性と二人、生きていきたい。そのためにはまず何をしなければならないか。考えた男は
手始めにそこで一生懸命に母に向かって音楽委員会に所属したことを告げる娘を始末する決意をした。だが、家庭内でするのは当然無理難題を極めている。そんな時に彼はふと思い出したのだ。
あの、自動車で人を敷き殺した瞬間を。
昨今世間でよく見る、親の不注意からくる事故を装ってしまおう。遠い福岡の地ではあの鉄琴奏者の件など管轄外のはずだ。
何より相手は子供、一轢きでくたばるだろう。
(そうだ、どうせなら塾の帰りを狙ってやろう)
時刻は十九時半、もう時間は残されていないことが霊視できる。これはこの鉄琴奏者の霊が見せる忠告と願いだ。自分と同じ目に合う子を減らしてほしい。と。
「そういうわけでして、早急にその容疑者のいる家に向かっていただきたく。自分たちはご存じの通り、死人も同然。もちろん生者に干渉することもできるでしょうが、彼女が何よりお二人に解決をお任せしたいと言いましたので」
「……。それはこちらとしても願ったり叶ったりだ。なんとしてでも捕まえてみせる。だけどな、一つ教えてくれ。なんで俺たちはお前らとその子が見えてるんだ。俺たちに霊感なんてものはないはずだぞ」
太宰府の疑問に木更津と賭場瀬は視線だけを合わせ、あっけらかんと笑って答えた。
「それは、このお姉さんがいることによってこの学校全体が心霊スポットみたいになっちまってるからッスね。まぁ一番の理由はお二人とこのお姉さんの縁ですかね。このお姉さんのおかげで一時的に見えてるんじゃないかと」
「彼女の……そうか、不思議なことが起きるもんだな」
「でなければ我々、怪奇刑事課は存在しませんな」
「それは、そうなんだが」
決して馬鹿にするようなことはないが、それはそれとして奇妙な体験に驚いてしまうのは仕方のないことだと伝わっているといいのだが。話にはいくらか聞いたことはある。自分たちが幼い時からある都市伝説しかり、死んだ人間が夢枕に立つなどの不可思議なものもよく耳にする。
そういったものはある、とは思っていても自身が経験することは今のいままでなかった。空想上の話でしかなかったものが現実に起きてしまっては信じざるを得ない。特に彼女の存在は。二年前に見たご遺体と同じ状況の彼女が太宰府と梅田にうすらと笑った。
どうかあの小さな命を助けてあげてほしい。それで私は救われますと言ったような気がした。
「……さて、こっから先は俺たちの領分だ」
「おうよ、国家権力はこうやって使うんだって見せてやろうじゃねぇの」
二人はとある一軒の家の前に覆面パトカーをベタづけして停め、スーツの襟を正すと持っている空気が変わる。そのまま迷いなく容疑者のいる自宅のインターホンを押す。十数秒待っていれば面倒くさそうな男性の声が応答した。
「はい」
「失礼します。桜城警察署、捜査一課の太宰府と申します。少々お話よろしいでしょうか」
決して逃がしはしないという圧のある声で告げれば、インターホン越しの男が動揺したのかすぐさま切ったのがわかる。二人は顔を見合わせ、しばしの間玄関の前で待ち構えていればゆっくりと扉が開き、中からは狼狽した男が顔を出した。年齢は三十代半ばぐらいだろうか。
黒い短髪にどことなく爽やかそうな顔立ちなのだろうが、現在は突然の出来事に対応しきれないような様子でしきりに汗を拭っている。おそらくそれは冷や汗なのだろう。
「一つ聞く。何故刑事がここに来たのか見当は?」
「い、いいえ、全く身に覚えは御座いません」
「へぇ、そうか」
焦り狂っているくせに随分と肝が据わっている。
「アンタには二年前、東京で起きた鉄琴奏者轢き逃げ事件の容疑がかかっている。署まで同行願おうか」
何か反論をしようとしたのか男が顔を上げるが、まるで悪役さながらの笑みを浮かべた太宰府に気圧されたのか浅い呼吸を繰り返し、情けなく頷いた。
「その前に、妻にだけ連絡をさせていただけませんか、塾に通っている娘を迎えにいく約束があります」
「ダメだ。俺たちは事前に防ぐためにここへ来た。アンタが次は娘を敷き殺そうとしてるっていうことは知っている。」
その言葉に、男は顔色を更に悪くしてどうしてそれを、と小さく声に出した。
「聞いたのさ。アンタが殺した女性にな」
大宰府と梅田の声にかぶるように、何処からか悍ましいような金属のような音が響き近づいてきている。二人にはそれが彼女の奏でている音だとすぐに理解できた。
「ほら、自首した方が身のためだぜ」
お前の蒔いた種だろ。と二人の刑事が見ている前で、男は一体何を視界に入れたのか、絶叫しながら助けを求めるように自ら両腕を差し出した。
「午後十九時三十三分、轢き逃げ事件の容疑者として逮捕する」
どこからか、鉄琴の音の代わりに「ありがとうございました」という柔らかな声が聞えた気がした。
それから一週間後、世間様は例の轢き逃げ事件の犯人が捕まったというニュースで何やら騒がしい。そんな情勢になど興味がないように、桜城警察署、怪奇刑事課ではいつも通り職員たちが仕事に精を出していた。
窓際の事務机で頬杖をつきながら大きな欠伸を一つした木更津はそのまま手元にある書類に目を通す。どうせ大したことは書かれていない。別の班が処理した件で使ったはずの経費の承認印を押すだけの仕事だ。課長の名前の入ったシャチハタを決まった枠の中に押し付ける。本来なら課長本人がしなければならない仕事だが生憎忙しいらしい二人は今日も厄介な件を片付けに他県まで出張していて不在だった。そのため、勝手に印鑑を使って押してやってくれと木更津が頼まれてしまった。
「犬鳴とか幽霊坂とか物騒な苗字だよなぁ」
「はは、本人たちも物騒だがね」
「それは、、まぁ。この仕事にさえついてなけりゃ関わり合いになりたくなかった人らですよ」
それには同意する。と賭場瀬も向かいの机から返事を返す。とは言っても彼は特に何か書類をさばいているでもなくいつも通り安っぽい紙煙草を吸っているだけだ。
「ちょっとぐらい代わってほしいんスけど」
「残念だが俺の手は今埋まっててな」
どうやら手伝う気はさらさらないらしい賭場瀬に溜息をついて仕方なく手を動かすのを再会しようとした時だった。
「お、ちゃんと見えたな」
賭場瀬の隣、本来であれば遠野の席に誰かが勝手に腰かける。木更津が顔をあげればそこには大宰府が座っており、差し入れだ。と言って某有名店のフラペチーノとやらを置いてくれた。
「流石捜査一課、羽振りがいいッスねぇ」
「まぁな。先日の礼にはちょっと少ないぐらいだろうが」
「気にしなくていーのに。アレもオレたちにとっちゃ仕事なんで」
「そう言うな、こっちは感謝してるって言ってんだから素直に受け取ってくれ」
「そりゃ美味いもんは素直にもらいますけど」
上にこれでもかとのせられた生クリームを器用に備え付けられたストローで掬って食べながら幸せそうな顔をする木更津を見て、賭場瀬はゲッソリしたような呆れ笑いを見せる。
「前から思ってたが、お前のその底知れない甘党さは誰譲りだ?」
「死んだばーちゃん」
「そうか……そら、俺が知らないわけだ」
相変わらず仲の良い毘沙門天を見て、大宰府はケラケラと笑う。
「賭場瀬にはコーヒーな。こんなんで礼になったとは思わねえが本当に助かった。例の犯人はよほど恐ろしいもんでも見たのか全部白状してくれたんでな。豚箱にぶちこめそうだ」
「それは何より。あーいう輩は一生出てこなくていいと思いますがね」
「それには同意するな」
どこからか、澄んだ鉄琴の音が聞こえた。もう不快な響きではない。
木更津は印鑑を押しながら、ふと思った。
——ちゃんと、救われたならよかったな。
御憑かれ様怪奇刑事課キサラヅくん! 屍屋葛 @skbnkz
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