第22話:循環の系譜(Genealogy of Circulation)

### 第二十二話:循環の系譜(Genealogy of Circulation)


 

 

 深夜。

 

 慶太は社用車の狭い運転席で、膝の上に置かれたノートパソコンの青白い光に顔を照らされていた。

 

 画面に映し出されているのは、神代毅から密かに共有された、ある「隠しディレクトリ」のデータ群だ。そこには、ナミという名の絶対的なコレクターが、過去十数年にわたって積み上げてきた**「生け贄の履歴書」**が、無機質なエクセルシートとして保存されていた。

 

 山伏慶太。

 佐藤健司。

 神代毅。

 

 リストに並ぶ数多の男たちの名前。彼らには、ある共通のパターンがあった。

 

 適度な知性と、安定した収入。そして何より、社会的な「善意」や「正義感」を自らの生存戦略として重んじている、お人好しなエリートたち。

 

 ナミは、まず「光」の顔をして彼らに近づき、彼らが最も大切にしているものを把握する。そして、タイミングを見計らってサキという「闇」を放流し、彼らのプライドと平穏を一口ずつ、丁寧に食い破らせるのだ。

 

「……これを、十年も繰り返してきたのか」

 

 慶太の指先が、モニターをなぞる。

 

 リストの備考欄には、ナミの冷徹な評価が刻まれていた。

 『個体A(慶太):良質な絶望。依存性、極めて高い。心中シナリオに耐えうる素材』

 『個体B(佐藤):社会的地位への執着強。解体後の再構築に時間がかかるが、標本としての価値高』

 

 慶太は、奥歯が軋むほどの怒りを感じると同時に、ある種の**「全能感」**に支配されていく自分に気づいた。ナミの手法を理解すればするほど、彼女の書く台本(スクリプト)の先が見えてくる。

 

 

 

 

 

「……なあ、山伏くん。君は、自分がその『システム』の外側に立ったと本気で思っているのか?」

 

 

 取調室。富樫刑事の声が、慶太の脳裏にある静寂を乱暴に揺さぶる。

 

「君が神代から情報を受け取り、佐藤薫に衣裳を着せているその瞬間、君はナミがかつて行っていたのと全く同じ、**『人間の記号化』**を行っているんだよ。……ナミがサキを操ったように、君は薫さんを操っている。……君こそが、ナミが最も望んでいた『完璧な後継者』なんじゃないのか?」

 

 富樫の眼光が、慶太の心の最深部にある、自覚のない「毒」を暴き出そうとする。

 

 慶太は答えず、ただ取調室の壁に貼られた「冷静」の文字を見つめていた。

 

 

 

 

 

 公団住宅の、影のような一室。

 

 慶太は、薫の目の前に立ち、サキの「癖」を一つずつ、精密に指導していた。

 

「……もう一度。首を傾ける角度は、あと五度。……笑うときは声を出さず、ただ三日月のように唇を歪めるだけでいい」

 

 薫は慶太の指示に従い、何度も、何度も、鏡の前で「サキ」を演じ続けた。

 

 彼女の指には、あの日慶太が盗み出してきたサキの「ピンクのシュシュ」が巻かれている。その質感、その色が、薫の肌に馴染んでいくにつれ、彼女の中から「佐藤健司の妻」としての魂が削ぎ落とされ、代わりに空虚な「サキ」という器が満たされていく。

 

「……慶太さん。私、最近ね……時々、分からなくなるの」

 

 薫が、鏡の中の自分を見つめたまま、掠れた声で呟いた。

 

「このシュシュをつけて、この制服を着て、サキの瞳で世界を見ているとき……健司が壊されたときの悲しみさえ、どこか遠い他人の出来事みたいに思えてくる。……私、本当に薫なの? それとも、もう……」

 

 慶太は薫の背後に回り、その華奢な肩を強く、しかし冷酷に抱きしめた。

 

「それでいいんです。……人間を捨てることでしか、ナミという怪物は殺せない。……自分を殺し、記号になって、あいつの脳を狂わせるんです」

 

 慶太の耳に届く、薫の不規則な鼓動。

 

 ナミが作り上げた**循環の系譜**。

 それは、被害者が加害者の手法を学び、新しい加害者として再生することで完成する、最悪の永久機関だった。

 

 慶太は、薫のポニーテールに顔を埋めた。

 そこからは、サキが纏っていたあの「死者の花」のような百合の香りが、確かに漂い始めていた。

 

 復讐は、もはや単なる報復ではない。

 

 ナミの最高傑作である「サキ」という概念を、より質の高い「偽物」で上書きし、ナミ自身の認知を内側から腐食させる**「逆ガスライティング」**の作戦は、今、最終段階へと突入した。

 

 決行の日は、ナミが「標本」を点検に訪れる、木曜日の深夜。

 

 慶太は、冷え切った社用車の中で、ナミが次に投げ込むであろう石が、自分自身の後頭部を直撃する瞬間のことを、静かに夢想していた。

 

 

 

 

 

(つづく)


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