第十一章 暴君

 給食の時間が訪れた。白い給食着を着た生徒が、食器を持ち、配膳を行っている。


 今日のメニューはカレーだった。カレーのスパイスが効いた香ばしい匂いが、学校中を漂っている。優司も含め、子供はカレーが大好物だ。皆が食事を心待ちにしていた。


 しかも、今日に限っては、先生は不在である。午後の会議に合わせて、準備があるらしく、食事は職員室でとるという。


 つまり、美味しいカレーを食べながら、気兼ねなく友達とお喋りも堪能できるという素晴らしい時間を迎えるのだ。


 給食当番の配膳が終わり、五年二組の全ての生徒の前に給食が置かれた。優司は熱々のカレーを前に、唾を飲み込んだ。


 給食係の生徒も自分の席に着き、食事の準備が終わる。


 教室が静まり返り、日直による「いただきます」の挨拶を皆が待った。先生がいないとは言え、決められた慣習だ。挨拶さえ終われば、あとは美味しいカレーを口にできる。


 「それでは、手を合わせてください」


 日直がそう言い、クラス皆が手を合わせた。その時である。


 突如、大きな泣き声が教室中に響き渡った。不機嫌な子供が絶叫した時のような、耳をつんざく声だ。


 クラス中が、一斉に、声の発生源に顔を向けた。優司も、同じように振り返る。


 全員の視線の先に、プーさんがいた。プーさんは頭を抱え、体を捻りながら悶えていた。


 プーさんは「うーうー」と呻いている。急に腹痛を発症したような仕草だ。


 隣の席である智史が、プーさんにどうしたのか尋ねた。クラス中が様子をうかがっていた。


 プーさんは、クラス全員が聞こえるくらいの声量で言う。


 「ぼくのかれーがすくない」


 「え?」


 皆がきょとんとなった。誰も意味がわからず、言葉を発しなかった。


 それが気に食わなかったのか、プーさんはさらに声を張り上げた。


 「だから、ぼくのかれーがすくないっていってるの。もっとちょうだい!」


 プーさんは、ヒステリックに喚いた。


 「そう言われても……」


 矢面に立っている智史は、困惑した表情を浮かべた。すでに、給食は余っていない。カレーは全て配膳を完了しているのだ。


 智史がそう説明しても、プーさんは聞く耳を持っていなかった。


 「いやだ! みんなのかれーちょうだい! ちょうだい!」


 腕を振り回し、喚き散らす。椅子が倒れ、周りの生徒が怯えたように席を離れた。


 プーさんの行動を見て、優司の脳裏に一つの記憶が呼び起こされた。以前、両親と動物園に行った際、猿の檻の前で見た光景である。


 ちょうど給餌の時間であったため、檻の中では、飼育員の手によってエサが撒かれていた。


 猿たちは地面に撒かれたエサに群がっていたが、そのうちの一匹がエサにありつけなかった。そこでその猿は、叫び声を上げ、手足を振り回しながら暴れたのだ。


 その時の光景が、目の前のプーさんの姿と重なった。


 「いやだ! いやだ! かれーがもっとほしい!」


 そして、その時の猿は、次にとある行動を取ったのだ。


 すなわちそれは――。


 暴れていたプーさんは、ぴたりと行動を止めると、隣の席にある給食に視線を定めた。それから手を伸ばす。


 「いただきまーす」


 プーさんはカレーが入った容器を手に取り、中身のカレーを鷲づかみにして口へと運んだ。


 「そ、それ僕のカレーだよ」


 カレーを奪われた智史が、制止するがプーさんは無視をした。がつがつと手でカレーを貪り食っている。


 「返してよ!」


 智史は、細い腕でプーさんの体にすがり付いた。クラス全員が、固唾を呑んで事態を見守っていた。


 そして、『それ』が起こる。


 「うるさい!」


 プーさんは、カレーが混じった唾を飛ばしながら激昂し、片手で智史の右腕を掴んだ。


 直後、ぽきりと枯れ枝を折るような、乾いた音がかすかに聞こえた。


 智史の口から絶叫が迸る。掴まれた腕を押さえ、しゃがみ込んだ。


 優司は、はっと目を見開いた。智史の右腕の肘から手首までの中間部分が、まるでもう一つ関節が増えたように、妙な方向に曲がっていたのだ。


 「あ、あれ折れてない?」


 佳代が悲鳴に似た声を上げる。他のクラスメイトの中からも、ざわめきが発せられた。


 そう。佳代が言うとおり、智史の腕は折れていたのだ。いや、正しくは『折られた』のだ。


 激痛に泣き叫ぶ智史を尻目に、プーさんは次々に近くの席に置かれてあるカレーを食べ始めた。誰も何も言わず、手も出さず、黙って退くしかなかった。やんちゃな恭也や体格の良い孝太郎ですら青ざめて、遠巻きに見ているだけだ。


 プーさんの所業はまさに、獣そのものだった。民家にやってきて、残飯やペットのエサを貪り食う野生動物。


 やがて、プーさんは満足したのか、給食を食うのを止めた。その時点で、机の上に並んでいたクラスのほとんどのカレーが、食い尽くされていた。まるで地震でも起きたように、机の上は荒れていた。


 プーさんは、大きく膨らんだお腹をさすり、大きくゲップを行う。


 「あーおいしかった」


 そう言いながら、なおも腕を押さえてすすり泣いている智史のそばに近づいた。そして、智史の目線に合わせてしゃがみ込むと、智史の顔をのぞきこんだ。


 「おい。わかってるだろうな。このことせんせいにいうなよ。ころんでこっせつしたといえ」


 プーさんは顔を伏せている智史の髪を掴み、顔を無理矢理上げさせたあと、普段の甲高い声のまま、そう指示をした。


 顔は涙にまみれ、激痛により歪めている智史の顔が直後、恐怖で硬直する。


 「いいな? ほんとうのこといったらおまえをころすからな」


 鷲掴みにしている智史の頭を何度か乱暴に振ったあと、プーさんはようやく手を離す。智史は床に伏して、嗚咽を漏らし始めた。あまりにも悲惨な光景だ。


 プーさんは立ち上がった。そして、絶句して静まり返っている五年二組の面々を、黒真珠のようなつぶらな眼で見回した。口角が上がっているような、普段のファニーフェイスは崩れていない。それが帰って、今の状況と比べて非常に不気味に感じた。


 そして、プーさんは甲高い声をさらに一オクターブほど上げて叫ぶ。


 「おまえらもわかってるな? ぼくのことをせんせいにつげぐちしたらころすぞ」


 プーさんは堂々と宣言した。誰も何も言えず、ただ黙っているしかできなかった。



 暴君が誕生した瞬間だった。

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クマのプーさんの殺しかた 佐久間 譲司 @sakumajyoji

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