第十章 夏休み明け
「きりーつ、礼」
朝の始業を告げるチャイムが鳴り、日直による掛け声が教室内に響き渡る。
五年二組の生徒たちは、同時に礼をし『朝の会』が始まりを迎えた。
夏休みが明けた九月一日、五年二組の面々は久しぶりに勢ぞろいをした。
特に大きな変化はないものの、海やプールに行ったのか、こんがりと焼けた肌の者もいれば、そのままの者もいる。十人十色の夏休みを体験したことがうかがい知れる光景だ。暗い顔の生徒がいないのは、皆が満喫した証でもあるのだろう。
優司もその一人である。国内旅行や、プール、海などを楽しみ、また時おり、友秀や恭也、佳代などのクラスの友達ともゲームなどをして遊んだ。
それなりに充実した夏休みだったと思う。
「こうしてまた皆さんと再会できて嬉しいです」
柏谷先生の挨拶が行われた。先生も日に焼けており、忙しい業務の合間を縫って、バカンスを楽しんだようだ。
先生の挨拶が終わり、夏休みの宿題や、自由研究の提出が行われる。
突貫作業で仕上げた『夏休みの友』が回収されるのを見届けながら、優司はちらりと一つの席をうかがった。
そこには、どっしりと椅子に座ったプーさんの姿があった。さきほど、『朝の会』が始まる前、久しぶりの再会で、プーさんを皆が取り囲み、近況報告で盛り上がっていた。
今こうして見ると、黄色い熊のぬいぐるみのような風体は夏休み前と相変わらずだが、どこか夏休み前と雰囲気が変わっているような気がするのは気のせいか。
やがて、プーさんのところにも回収係の生徒がやってくる。しかし、プーさんは微動だにしなかった。よく見ると、机の上には何も乗っていない。
回収係が、宿題の提出を催促する。すると、プーさんは生意気な子供のように頭の後ろで手を組み、唇を尖らせながら言った。
「ぼく、しょくだいやってないんだもん。わたせないよ」
プーさんの言葉を聞き、回収係の生徒は慌てた仕草をみせた。
「や、やってきてないの? でも、それじゃあどうするの?」
「ちょうだい」
「え?」
「みんなのしゅくだい、ちょうだい」
プーさんは、周りの人に催促を始めた。
「頂戴って言われても……」
催促された生徒たちは、戸惑いをみせる。何だか、プーさんの体からは野生動物のような、凶暴なオーラが立ち昇っている気がした。
「いいからよこせよ!」
プーさんはそう叫ぶなり、隣の席の生徒から宿題を奪った。プーさんの開いた口から、狼のような鋭い犬歯がのぞく。その生徒は、怯えた表情をみせた。
プーさんは一度では終らせなかった。別の生徒たちからも、宿題をひったくるようにして奪う。狙われた者は、野生動物に襲われた時みたいに、小さく身を縮こませた。恐ろしさを感じているのか、震えている。
やがてプーさんは、何冊もの宿題を手に入れた。
クラス全員が誰も抗議せず、ただただ戦慄していた。優司は、プーさんの行動に対し、鳥肌が立つのを覚えた。
皆から宿題を奪ったプーさんは、両手で抱え、先生のいる教卓へと持っていく。そして、誇らしげに渡した。
先生は最初は困った顔をしていたが、やがて頭をぽりぽりと書くと、親指を立てて笑顔を作った。
「しょうがないなあ。プーさんだけ特別だぞ」
先生は、きらりと光る白い歯をみせそう言った。
クラス全員が、あんぐりと口を開けた瞬間だった。
休み時間になった。優司は友秀の席に行く。
「ねえ、『朝の会』の時のプーさんどう思う?」
優司は、プーさんの様子をうかがいながら友人にそう質問した。
現在、『朝の会』の行動のせいか、プーさんの周りには誰も集まっていなかった。しかし、プーさんは、近くの席の男子生徒に何やらちょっかいをかけていた。
「なんだか、ちょっと乱暴になったよね」
眼鏡のズレを直しながら友秀は言う。少し怖がっているらしく、唇をきゅっと結んでいた。
「夏休みの宿題って、そんなに難しかったっけ?」
「プーさんは勉強苦手だから、できなかったのかも」
成績優秀の友秀は、首を捻りつつ言う。
結局、プーさんの『抗議』により、プーさんの宿題は実質免除も同然となった。自ら集めた他生徒の宿題を丸々写す形で決着がついたのだ。
しかも、その丸写しも、他の生徒が行う始末である。
「何だか変だよね」
友秀はぼそりと呟いた。優司は頷く。うなじの辺りに、ちりちりとした感覚が生じていた。
すると、唐突に怒鳴り声が耳を貫いた。
「なんだよおまえー。つまらないやつだな」
はっとして見ると、プーさんが近くの席の生徒を小突いていた。先ほどちょっかいを出されていた男子だ。ぬいぐるみのようなふわふわした拳で、ぽかぽかと殴っている。
「や、やめてよ」
男子生徒は気の弱そうな声で、身をすくめていた。やられているのは、百野智史という名前の男子だ。色白で小柄な大人しい生徒。
見かねた隣の生徒が止め入るが、プーさんはニヤニヤ笑いながら、楽しそうに智史を叩き続けた。
教室中が、プーさんのちょっかいという名のいじめ行為を黙ってみていた。
とうとう智史は泣き始める。しかし、プーさんは止まらない。そこで、恭也と孝太郎が同時に立ち上がり、プーさんのほうへ歩き出した。
二人ともやる気だ。闘志がみなぎっている様が伝わってくる。外敵に対応する群れの若い狼たちを想起させた。
だが、その直後、チャイムが鳴り響く。休み時間が終わりを迎えたのだ。
プーさんはスイッチを切り換えたように、腕を掴んでいた智史から離れ、椅子にちょこんと座った。
同時に、扉が開き、先生が教室に入ってくる。教室内の異様な雰囲気を感じ取ったのか、一瞬怪訝な表情をみせるが、すぐに澄ました顔で教卓に着く。
泣いている智史には気がつかなかったようだ。
プーさんは何事もなかったように、相変わらずの朗らかな顔で、前を向いて座っていた。
静まり返った教室の中に、先生の声が響く。
「何してるんだ。チャイムは鳴ったぞ。早く席に着きなさい」
立ち尽くす恭也と孝太郎に対し、先生はぴしゃりとそう注意した。
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