第八章 プーさんは勉強が苦手

 運動会が終わり、十日ほどが経った。国語のテストは予定どおり執り行われ、五年二組の生徒は頭を抱えながら答案用紙に鉛筆を走らせた。


 翌日になり、その答案用紙が返される。休み時間になると、悲喜こもごもの反応が教室中から発せられた。


 「テストの結果、どうだった?」


 広康がメタボ寸前のふくよかな体を揺らしながら、優司のところにやってきた。


 「まずまずかな」


 優司は答案用紙を広康にみせた。


 「やるじゃん」


 広康は目を丸くする。なぜなら優司の国語のテストは満点だったからだ。


 「国語は得意だからね」


 優司は口角を上げた。これで、父と母に自信を持って披露することができるだろう。二人は優司のことを賞賛するに違いない。「よくやったぞ優司!」「さすが自慢の息子ね!」


 両親二人の喜び満ちた顔が、蜃気楼のようにして脳裏へ広がった。


 そのあと、友秀や恭也も集まってきて、テストの結果で盛り上がる。


 友秀はやはり優司と同様、満点であった。反面、恭也はいまいち、広康は可もなく不可もない結果となっていた。


 「何だよ二人して満点って、俺は広康と同じレベルかよ」


 「違うよ峰岡君。僕のほうが点数は上だからね」


 広康がひょうきんな仕草で人差し指を振り、恭也に突っ込みを入れると、恭也はさらに唇と尖らせた。


 「ちぇ。うるさい奴」


 四人は互いに笑い合った。


 その直後だった。離れた席から誰かの驚いた声が上がった。


 「プーさん、テスト0点なんだ」


 振り返って見てみると、プーさんの席を囲んでいる取り巻きの中から、ちょっとしたざわめきが起こっていた。


 「うん。ぼくは、とってもあたまのわるいクマなんだ」


 プーさんがにやにやと笑いながら、そう返答をする声が聞こえた。


 取り巻きたちの隙間から、プーさんの持っている答案用紙がちらりと見えた。そこには、全て赤いペンでバツを書かれた用紙の姿があった。まるで全身傷だらけの人間を思わせた。


 取り巻きが言ったように、プーさんは本当に国語のテストで0点を取ったらしい。恭也でもさすがに0ではなかったのに。


 「プーさんは勉強が苦手みたいだね」


 「そりゃそうだろ。授業中、当てられても全然答えられてなかったじゃん」


 恭也の言葉に、優司は授業中のプーさんの挙動を思い出す。


 確かに、プーさんは一度もまともに先生からの質問に答えたことがなかった。いつも、「んーっと、んーっと」という唸り声とともに、首を捻り、答えに窮するのだ。見かねたクラスメイトの誰かが、代わりに回答するというのが、定番の流れであった。


 「あれだけ身体能力は高いのにね」


 友秀がぽつりと呟く。


 「熊だからかな?」


 広康がのんびりとした口調で言った。


 「そんなわけないだろ」


 「そうかなあ」


 広康は首を傾げ、腕を組む。ハムのように太った腕が強調された。


 「まあ、あの身体能力は頼りになると思うぜ」


 恭也がしみじみ呟く。運動会で赤組が逆転できた喜びがまだ心の奥底に残っているようだ。


 だが、本当にそうだろうか。身体能力が高いこと、すなわちそれは、肉弾戦での強さを意味する。


 プーさんが暴れれば、取り押さえるのは用意ではないのかもしれない。それこそ、凶暴化したヒグマのごとく。


 やがてチャイムが鳴り、皆が席へと戻っていく。優司も自分の席に座るが、どこか気分は晴れなかった。



 午後の給食の時だ。ちょっとしたトラブルがあった。


 その日のメニューは、からあげに、ご飯、そしてチーズ入りサラダの組み合わせだった。


 そこに異変が起きる。


 突然、プーさんが駄々をこね始めたのだ。自分の机に置かれた給食のトレイをひっくり返し、手足を振り回しながら、泣き叫んだ。


 「ぼくちーず、だいっきらい!」


 注射を受けるのを嫌がる子供のように、プーさんは床に転がって、手足をばたつかせた。机と椅子が倒れ、中の教科書が散らばる。


 教室にいた全員が呆気に取られた。突如、凶暴な猛獣が教室に乱入したような、異様な空気に包まれる。


 やがて、先生と一部の生徒がプーさんの対処役に着任した。ひっくり返った亀のように暴れるプーさんを宥めようとする。しかし、それでもしばらくの間、プーさんは暴れ続けた。


 数人がプーさんを囲み、優しくあやす。その光景を見て、優司はプーさんは赤ちゃんみたいだと思った。


 ようやくプーさんが大人しくなった時には、皿の上のから揚げがすでに冷めた頃だった。


 

 落ち着いたプーさんに話を聞くと、黄色い熊は次のようなことを言った。


 プーさんはチーズが大嫌いで、見るのも悪寒が走るという。食べることは絶対に無理で、この世界から消し去りたいくらい嫌悪する存在なのだそうだ。


 チーズの臭いに対しても非常に敏感で、そばにあるだけですぐに気づくほどらしい。だからこそ、サラダの中に隠されるようにして入っているチーズでも、すぐに察知したのだ。


 結局、ひっくり返した給食は片付けられ、新しいものが用意された。新たなプーさん用に給食には、サラダが入っておらず、からあげが増やされる調整がされた。


 プーさんは大いに喜び、給食に手を付けた。相変わらす涎を撒き散らしながら、からあげを頬張っていた。



 給食が終わり、昼休みになると、プーさんは満足気したのか、上機嫌になって机の上に突っ伏して居眠りを始めた。


 プーさん大きな鼻から鼻ちょうちんを出し、いびきをかく。完全に寝入ったことを確信したところで、教室中に弛緩した空気が流れた。


 先生を含めたクラスの皆が、プーさんの変貌ぶりに度肝を抜かれていたのだ。


 「びっくりしちゃった。いきなり暴れ出すんだもん」


 佳代が、口に手を当てながら言う。


 「別人みたいに変わっていたな。どこか変じゃないかアイツ」


 自分の机の上で膝を立てて座っている孝太郎が、親指の爪を噛みながら忌々しげに言う。


 「確かに変な奴ね。よほどチーズが嫌いみたい」


 綾紗が孝太郎の主張に同意を示す。


 今日は、綾紗も会話に加わっていた。綾紗は妙に男子生徒、特に恭也に対して敵愾心のようなもの抱いている節があった。


 そのため、優司としても、きつく当たってくるこのアジア系子役のような女子とは、あまり会話をしたくなかったのだ。


 だが、不思議に孝太郎がいる時は、その牙は収まり、普通に会話を行えていた。

 「アレルギーでもあるのかな」


 優司の目から見ても、異様な光景だった。日向ぼっこする草食獣のような普段のプーさんとは打って変わって、あまりにも凶暴なほうに逸脱した行動であったのだ。


 「アレルギーだとしても、あんな反応にはならないでしょ」


 綾紗がほっそりとした腕を組み、眉根を寄せて言う。


 「とにかく、気持ち悪い奴だよ。早く出て行ってくれねーかな」


 孝太郎は寒さに凍えるような仕草で、腕をさすった。鳥肌が立っているようだ。孝太郎こそ、プーさんという転校生に対し、アレルギーを持っているらしい。


 「まあ、いつか落ち着くわよ。それまでの辛抱よ」


 綾紗は、孝太郎の肩を優しく叩く。だが、孝太郎は、他生徒に囲まれ、笑い声を上げるプーさんを睨んだままだった。

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