第七章 プーさんははちみつが大好き
午前の授業が終わるまででも、プーさんの人気は衰えることはなかった。むしろ時間が経過するにつれて『信奉者』は増えていっているような気がした。
そして給食が始まる頃、プーさんにまつわる一つの特徴を優司は知った。
プーさんは、はちみつが大好物という点だ。ちょうどその日は、給食でパンが出ており、パック分けされた小袋のはちみつも添えられていた。
そのはちみつに、プーさんは並々ならぬ興味を示したのだ。
「ぼく、はちみつだ~いすき!」
口の端から涎を垂らしながら、そう言い、取り巻きの生徒たちに催促を行っていた。黒い飴玉のような目が、爛々と輝いている様が見て取れた。
取り巻きの生徒たちは、プーさんの要望を聞くな否や、喜んではちみつを献上していた。アイドルに貢ぐファンは、こんな感じなのだろうかと思わせる光景だった。
自分の元に集まったはちみつを、プーさんは皿へとまとめて移し、手を使って掬いながら夢中で貪っていた。
犬のように唾液を撒き散らしながら、はちみつを食うプーさんの姿を見ると、さながら餓鬼を想起させた。
「何だか下品な食べ方だね」
近くの席にいた孝太郎がパンを齧りつつ、呟く。露骨に嫌悪感を抱いた顔付きだ。
孝太郎は運動会以降、プーさんに対し、どこか敵意のようなものを抱いている節があった。プーさんの得体の知れなさを警戒しているのだろうか。
「……うん。そうだね。あまり行儀は良くないね」
孝太郎の皺が寄った眉間を見ながら、優司は同意する。
「そもそも、なんだって、あんな変な奴がこの学校に……」
パンを飲み込み、吐き捨てるようにして言う。よほどプーさんが気に食わないらしい。
優司は、プーさんに視線を戻した。手に付いたはちみつを舐め回し、給食をがつがつと食い散らかす姿を目にすると、何だか急速に食欲が失せてきた。他の生徒たちは微笑ましくその姿を見守っていた。
柏谷先生も同じだ。教室の前方の隅にあるデスクから、給食を食べる手を止め、愛おしそうな眼差しをプーさんに注いでいた。
しかし、クラスの一部の生徒たちは違っていた。その一部の生徒たちは、先ほどの孝太郎のように、嫌悪感を滲ませた様子でプーさんに視線を投げかけていた。
江田町の自宅にて、夕食と入浴を済ませた優司は、寝る前に水を飲もうとリビングへと下りた。
リビングではちょうど、残業を終え、帰宅していた父の幸造が、遅い夕食を取っている最中だった。
「おかえり」
優司が声をかけると、幸造は彫りの深い顔をこちらへと向けた。無精ひげが生え、少しだけ疲れているような様子だった。
「優司、お前そろそろ国語のテストだろ? 勉強はちゃんとしているのか?」
幸造は咎める口調で訊いてくる。そのあと白米を口に運んだ。
「やってるよ」
優司はキッチンに行きながら答えた。実際は、あまり手を付けていなかったが、まあ国語に関しては問題ないだろう。
対面型のキッチンには母がおり、簡単な片づけを行っていた。優司はその隣のシンクの前に立つ。
「七月にあるテストはどうなの? 大きなテストでしょ?」
母が口を挟んでくる。キッチンの天板の上には、錠剤のシートが乗っていた。おそらく、母が服用している睡眠薬だろう。母は神経質なところがあるので、時々寝る前に睡眠薬を飲んでいるのだ。
「まとめテストのこと? 大丈夫だよ。もっと先だし」
水道の蛇口からコップに水を注ぎ、口に含む。
「もう。あんたの大丈夫は、あてにならないから。プーさんを見習いなさい」
唐突にプーさんの名前が出て、優司は水を吹き出しそうになった。
「プーさん?」
「そう。プーさんよ」
由美は夕食の調理に使ったフライパンを棚に入れながら、首肯する。
「プーさんのどこを見習うの?」
「だってあんた、プーさんの運動会の活躍見てたでしょ。あんたもそれくらい頑張んなさい」
由美は晴れやかな調子で言う。プーさんの話になると母は明るくなるのだ。
父の幸造もまた同じだった。カウンターの向こうから、低い声が聞こえる。
「そうだぞ。あの時のプーさん、格好良かったからな。あんな息子を持てたら、親もさぞかし鼻が高いだろう」
幸造は、実の息子の前で、とんでもないことを言う。カウンター越しに見える父の顔は疲れが吹き飛んだようにとても明るく、至って真面目だ。本当にプーさんを息子に迎え入れたい気持ちがあるかのようだった。
そのあと信じられないことに、父と母、二人の夫婦は、息子そっちのけで、プーさんについて盛り上がった。
この二人が仲睦まじげに会話をすることは久々なので、優司は面を食らってその光景を眺めていた。
やはり、プーさんには人の心を明るくさせる力があるかもしれなかった。
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