第一章 転校生

 「きりーつ。礼」


 一日の終了を告げるチャイムが鳴り、日直による掛け声が教室内に響き渡る。


 五年二組の生徒たちは、同時に礼をし『帰りの会』が終わりを迎えた。あとは下校時間となる。クラスメイトたちは皆、三々五々、帰宅を開始した。


 お喋りの声と、色褪せた床を生徒たちが踏んで歩く騒々しい音が一気に広がる。


 宇杉優司うすぎ ゆうじは、ランドセルを背負い、窓際にある自分の席から離れようとした。


 そこで、誰かに話しかけられ、優司は顔を向けた。


 「優司くん、さっきの話聞いた?」


 話しかけてきたのは、クラスメイトで友人の繁森友秀しげもり ともひでだった。ランドセルを背負っていることから、一緒に帰るためにやってきたのだとわかる。


 「うん。転校生のことだよね?」


 先ほどの『帰りの会』で、このクラスの担任教師である柏谷貴樹かしわや たかき先生が伝えてきたのだ。


 明日、転校生がこのクラスにやってくると。


 「うん。転校生。びっくりしちゃった」


 友秀は、おかっぱ頭を揺らしながら頷く。友秀が掛けているラウンド型の眼鏡のレンズが、蛍光灯の光を反射して白く光る。


 「でも、急じゃない?」


 優司は視線を少し下げ、友人の顔を見ながら疑問を口に出す。友秀は同学年の男子に比べ、身長が低めなので、話す時はいつも目線が下がってしまう。おまけに顔も童顔なので、低学年と見間違えられることもよくあると本人は口を尖らせていた。


 「本当だね。どうしてこの時期なんだろう」


 現在、ゴールデンウィークが明けたばかりの五月だ。新学年も始まって間もなく、転校生がやってくるにしては、中途半端なタイミングである気がした。


 「家庭の事情だとか?」


 「そうかもね」


 優司は、友秀と連れ立って、教室の戸口へ向かった。もうすでに、教室内には半分ほどの生徒しか残っていなかった。それらの人たちは、お喋りに花を咲かせており、しばらく居残るのだろうと思われた。もしかすると、転校生の話をしているのかもしれない。


 「転校生、どんな人かな?」


 友秀は、眼鏡の奥にある猫のような目を輝かせて訊いてくる。どうやら、転校生に大きな期待と楽しみを寄せているらしい。


 「うーん」


 とはいえ、柏谷先生の話からは、ほとんど情報が得られなかった。男子なのか女子なのか、どんな人なのか、どこからくるのか。一切教えてくれず、不明瞭だったのだ。急な転入であったせいだろうか。


 しかし、先生は、どこか自信に満ちていた。優等生の紹介を出し惜しみしているような、そんな雰囲気。


 ひょっとすると、結構すごい人がくるのかもしれなかった。


 「案外、有名人がきたりして」


 「まさか」


 二人は笑い合った。


 優司は友秀と一緒に、教室を出て廊下を進む。廊下には、下校に入った他の生徒も歩いていた。


 その中に、見知った女子生徒を見つけた。窓のそばにたむろし、友達と会話をしている。


 「やっほ。今から帰るの?」


 優司は、五年二組のクラスメイトである尾花佳代おばな かよに話しかけた。


 「あ、優司くん」


 佳代の無邪気な容貌が、ぱっと明るくなる。


 優司はふと、隣にいる佳代とお喋りをしている生徒も、知った女子であることに気づく。


 その女子は、鈴の音のような声で挨拶を行った。


 「こんにちわ」


 佳代と一緒にいたのは、同じくクラスメイトの樅山春奈たてやま はるなだ。春奈は目の前にきたのが優司と友秀だと知ると、色白の整った顔を傾けて、可憐に微笑んだ。ピンク色のワンピースがとても似合っている。


 佳代が口を開く。


 「今から私たちも帰るよ。ちょっとお喋りしていただけ。一緒にかえろ」


 佳代が歯並びの良い歯を見せ、明るく言った。ショートパンツから伸びている日焼けした細い足が印象的だ。


 つい先日、国語の授業で習った『天真爛漫』という四字熟語が頭に思い浮かぶ。


 「何の話をしていたの?」


 優司が尋ねると、佳代はリスのようにくりくりとした目を瞬かせた。


 「明日やってくる転校生の話だよ。優司くんたちも話してたでしょ」


 優司は頷いた。やはり、他のクラスメイトも気になっているらしい。


 たむろしている四人のそばを、他の生徒たちが雑談を交わしながら通り過ぎていく。耳に届いた限りでは、その生徒たちも転校生について話をしているようだった。


 「ねえ、どんな人だと思う?」


 友秀が自身のさらさらのおかっぱの髪をかき上げたあと、目の前の女子二人に尋ねる。しかし、目線は春奈のほうを向いていた。


 「私は……そうね。普通の人だと思うわ」


 「そ、そうだね。僕もそう思ってたよ。一緒の意見だね」


 春奈の返答を聞き、友秀は何度も頷きながらドギマギした感じでそう言った。なぜか、少し緊張しているらしい。


 優司は心に引っ掛かっていることを佳代たちに質問してみる。


 「なあ、先生は俺らに男か女かも教えてくれなかっただろ? なにか変じゃないか?」


 大した問題ではないと思うが、喉の奥に小骨が刺さったように、どうしても気になっているのだ。


 目の前の仲良し二人組は、同時に首を傾げて「うーん」と唸った。


 「そうかな? そんなものじゃない?」


 「忙しくて、まだはっきり知らないんじゃないかしら?」


 二人は情報量の少なさに対して、特に疑問を抱いている様子をみせなかった。


 優司はさらに訊く。


 「あと先生の態度、どこかおかしくなかった? 何かを隠しているみたいな」


 思わず声が大きくなってしまったので、優司は周りを確認する。生徒は結構な数が帰っており、すでに廊下には優司たちの姿だけだった。


 「もう優司くん、気にしすぎ。そんなに神経質だと、女の子にモテないよ」


 佳代がからかうように、こちらの頬を突っついてくる。くすぐったさと一緒に、優司は妙に恥ずかしい気持ちにとらわれた。何だか自分が馬鹿みたいなことにこだわっている気がした。


 「そうだよね。考えすぎだよね」


 「そうそう」


 そして四人は、その場を離れ、下校を開始した。教室があるのは二階なので、階段まで歩き、一階へ下りる。


 下駄箱の前で、佳代がふと何かを思い出したかのように口を開いた。


 「そう言えば、十月にある合宿って、場所は千葉に決まったらしいよ」


 「千葉に?」


 およそ五ヵ月後、五年生を対象に宿泊学習が開かれる。合宿先は未定だったが、ようやく決まったらしい。


 「千葉かー。もっと遠くだと良かったんだけど」


 友秀が自身の靴を下駄箱から取り出しながら、頬を膨らませる。


 優司たちが通う宮戸小学校は、東京都内の横浜市に建っている。千葉とは比較的近く、極端に遠出とは言えない場所だ。


 もっとも、所詮は宿泊学習である。修学旅行ではないので、距離としては妥当な所だろう。


 「具体的に千葉のどこなの?」


 春奈はワンベルトの高価そうな靴を手に持ったまま、透き通った声で尋ねる。


 「えっと、そこまでは……。隣のクラスの子に訊いただけだし」


 佳代は舌をぺろりと出し、肩をすくめた。


 優司は佳代の言動を見ながら思う。友達の多い佳代が得た情報なら、合宿先が千葉というのは正しいはずだ。おそらく、先生から直接話を聞いた生徒から伝わってきたのだろう。


 いずれにしろ、合宿に関しては、近いうちに学校側からアナウンスがあるはずだ。詳細はその時までお預けだ。


 靴を履き替えた四人は、玄関を出て、校門へと向かう。傾きかけた太陽が、皆の全身を包む。午後なのに結構暑く、夏の到来を肌で感じた。


 四人は雑談を交わしながら校門を通り、通学路に入った。宮戸小学校は住宅街の中にあるため、帰宅は住宅街を通る形になる。


 静かな住宅街の中は、時間帯のせいか、大人や制服姿の学生の姿は少なかった。ほとんどが自分たちと同じランドセルを背負った小学生ばかりだ。


 皆と話を話をしつつ、優司はぼんやりと思った。明日、転校生がやってきたとして、こうやって一緒に下校したりするのかなと。


 優司は特に人見知りするタイプではなかった。転校生という属性の人と接するのははじめてではなく、すぐに馴染んできた実績はある。


 しかし、不思議に、明日やってくるその転校生に関しては、優司の心は動かなかった。なんだか、嫌な予感がするのだ。


 それは先生の態度のせいかもしれないし、あるいは、急な出来事で、ただ心が受け入れる準備を整えていないだけかもしれない。それか、ただの思い込みか。


 いずれにしろ、漠然とした不安が、心の中に墨汁の染みのようにして広がっているのだ。


 優司は皆と共に、のどかで平和な住宅街の中を、言い知れぬ胸騒ぎを覚えたまま、家に向かって歩いた。



 翌日になった。優司が朝登校すると、クラスの中は騒々しかった。登校しているのはクラスの三分の二ほどだったが、ほとんどが席に着いていなかった。


 トラブルとか、揉め事などではなく、地に足がつかないような感じである。おそらく、今日姿を見せるであろう転校生について、盛り上がっていると思われた。


 昨日の先生からの報せによれば、転校生は『朝の会』の際に紹介されるらしい、そのため、お披露目まであと少しというのも、沸き立っている理由の一つなのかもしれない。


 優司が机のフックにランドセルを掛けると同時に、クラスメイトの峰岡恭也みねおか きょうやがそばに寄ってきた。


 「よお優司。今朝は遅かったな」


 恭也は、無邪気に笑いかけてくる。すぐ横にある窓から差し込む朝日が、恭也の襟足の長い茶色がかった髪を明るく照らした。


 「ちょっと寝坊したんだ。昨日あまり寝付けなくて」


 「もしかして、お前も転校生がくるから興奮しているクチか?」


 恭也は、肘でこちらの脇腹を小突いてくる。恭也は細身で身長も優司より少し高いくらいだが、サッカー部に所属しているため体幹が強く、小突かれただけでも結構痛かった。


 「まあ、そんなところかな」


 優司は脇腹をさすりながら、苦笑いをする。


 「クラスの連中も、転校生の話ばっかりだぜ」


 「だろうね」


 運動会や体験合宿が控えているとはいえ、大したイベントのない学校生活である。転校生という存在は、そんな灰色の空間に突如吹き込んできた一種の清涼剤みたいなものなのだろう。


 「おはよ」


 友秀が登校してくる。優司と恭也は、揃って「おはよう」と挨拶を返した。


 「いよいよ転校生と会えるね」


 友秀は、鼻の穴を膨らませた。期待に漲っているようだ。


 「なんだよ繁森。お前も転校生の話かよ」


 恭也が口をへの字に曲げた。


 「うん。だって、一大イベントだよ」


 友秀は、目をキラキラさせて言う。まるでアイドルの握手会にでも参加するような風情である。それは、友秀だけではなく、クラス全体がそんな雰囲気だった。


 「まあ確かに気になるな。どんな奴なのか」


 「名前も教えてくれなかったよね。先生」


 「ああ。男か女かどうかもな」


 恭也も先生があまり転校生の情報を伝えてくれなかった点について、どこか引っ掛かっているようだ。


 とはいえ、あと十分も経てば、全て解決するだろうが。


 「今の時期に転校って、一体どこから――」


 優司がそこまで言った時だった。『朝の会』の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。


 同時に、五年二組の担任教師である柏谷先生が教室に入ってくる。席を離れている生徒たちは皆、ぞろぞろと自身の席に戻っていく。


 「それじゃあ、またな」


 恭也と友秀も優司の元を離れた。


 生徒全員が着席し、教室が静まり返る。それから、日直による挨拶の号令が行われ『朝の会』が始まった。


 いよいよ転校生の姿がお披露目される瞬間がやってくるのだ。

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